1.安倍晴明の生涯 | ||||||||||||||
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安倍晴明は延喜二十一年(921)に生まれたとされている。
出生地は摂津阿倍野(あべの。大阪市阿倍野区)。
跡地には安倍晴明神社があり、御丁寧に「安倍晴明生誕伝承地」の標柱も建てられているが、讃岐で生まれたという説などもある。
父は安倍益材(ますき)。
飛鳥時代後期の右大臣・阿倍御主人(あべのみうし)の子孫で(「2006年1月号 偽装味」参照)、大膳大夫(だいぜんのだいぶ。宮中料理長)などを務めた朝廷の役人である(「安倍氏系図」参照)。
また、阿倍野の武士・安倍保名(やすな)が父で、信田(しのだ。信太。大阪府和泉市)の白ギツネ「葛葉(くずのは)」が母だという説もあるが、考えものであろう。
安倍晴明 PROFILE | |
【生没年】 | 921-1005 |
【別 名】 | 安倍清明 |
【出 身】 | 摂津国阿倍野 (大阪市阿倍野区) |
【本 拠】 | 土御門邸(京都市上京区) |
【職 業】 | 陰陽師(霊能者)・官人(役人) |
【役 職】 | 天文得業生→天文博士 →主計権助→大膳大夫 →左京権大夫 |
【位 階】 | 従四位下 |
【 父 】 | 安倍益材(または安倍保名) |
【 母 】 | 葛葉?(信田の白ギツネ) |
【 子 】 | 安倍吉平(陰陽博士→主計頭) 安倍吉昌 |
【 師 】 | 賀茂忠行・賀茂保憲 |
【主 君】 | 藤原道長ら |
【弟 子】 | 葦屋道満(道摩)ら |
【側 近】 | 式神 |
【著 作】 | 『占事略決』など |
【霊 地】 | 安倍晴明神社(大阪市阿倍野区) 晴明神社(京都市上京区) |
晴明は幼い頃から霊感の強い子であった。
で、陰陽道のプロフェッショナル・賀茂忠行(かものただゆき)に見込まれ、その道の奥義を授けられたという。
きっかけになった話がこうだ。
ある晩、忠行は出張で車に乗って下京(しもぎょう。平安京南部)へ出かけた。
むろん、自動車ではなく、牛車である。
弟子の晴明も供をしたが、車には乗らず、その後をついて歩いた。
すると、前方からなにやら得体の知れないものが歩いてくるのが見えた。
「師匠! 師匠!」
晴明は車内で眠っていた忠行を起こした。
「なんだ、もう着いたか?」
顔を出した忠行は、それを見て驚いた。
「や! これはいかん!」
すぐにムニャムニャと隠形(おんぎょう)の呪文(じゅもん)を唱え、車や晴明ごと身を隠して事なきを得たのであった。
忠行は感心した。
「よく気づいたな。妖怪(ようかい)は修行しないとなかなか見えないのだぞ」
この後、忠行は常に晴明を身近に置いてかわいがるようになったという。
賀茂忠行、その子・保憲(やすのり)の後ろ盾を得て、晴明は陰陽家として順調に出世していった。
天文得業生(てんもんとくぎょうせい)から天文博士(てんもんはかせ。気象庁高官)になり、長保三年(1001)には従四位下に昇級、寛弘二年(1005)に八十五歳で没するまでに大膳大夫・左京権大夫(さきょうごんのだいぶ。警視監)などを務めた(「古代官制」参照)。
また、彼の著作としては『占事略決』などがある。
晴明の表の経歴はこんなものであるが、なんといっても彼の活躍はウラの世界である。『大鏡』『今昔物語集』『宇治拾遺物語』『平家物語』『源平盛衰記』『古事談(こじだん。源顕兼編)』『十訓抄』『元亨釈書』『古今著聞集』『太平記』『発心集(ほっしんしゅう。鴨長明著)』『峰合記(みねあいき・ぶしょうき・ほうしょうき。)』などなど、並みいる古典に彼の活躍ぶりは記されている。
次にそれらの逸話をいくつか紹介したい。