4.寛和の変 | ||||||||||||||
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天下一家藤原氏の直系御曹司(おんぞうし)、藤原兼通(かねみち)・兼家兄弟は犬猿の仲であった。
藤原氏による他氏排斥は、安和二年(969)の安和の変でもって終了、政権争いは第二段階、つまり同族抗争に推移していたのである。
● 藤原伊尹政権閣僚 (972.10/当時) |
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官 職 | 官 位 | 氏 名 |
摂政太政大臣 | 正二位 | 藤原伊尹 |
左大臣 | 従二位 | 源 兼明 |
右大臣 | 正三位 | 藤原頼忠 |
大納言 | 正三位 | 源 雅信 |
大納言 | 正三位 | 藤原兼家 |
中納言 | 従三位 | 藤原朝成 |
中納言 | 従三位 | 源 延光 |
中納言 | 従三位 | 藤原文範 |
権中納言 | 正三位 | 源 重信 |
権中納言 | 従三位 | 藤原兼通 |
※ 権中納言以上を掲載。 ※ |
天禄三年(972)十月、摂政太政大臣・藤原伊尹(これまさ・これただ。兼通・兼家の長兄)が死の床について政界を引退すると、二人はバチバチと火花を飛び交わせた。
「次なる天下はオレサマのものだ!」
「兄じゃなくてマロのものだ!」
官位は弟・兼家のほうが上であった。
兼家が大納言で兼通が権中納言、しかも間に四人もいたのである。
「次の摂関は兼家殿だ」
誰が見ても勝負はついているように思えた。
が、兼通には「奥の手」があった。
彼は妹・安子(あんし)の遺言書を預かっていた。
安子は村上天皇の皇后であり、現帝・円融天皇(えんゆうてんのう)の生母である。
兼通は円融天皇にそれを見せた。
「陛下、これを御覧ください」
それには、
「摂関は兄弟順が望ましい」
と、書いてあったのである。
円融天皇は確認した。
「確かに母の筆跡だ」
兼通は付け加えた。
「妹の遺志だけではありません。兄・伊尹の遺言も同じです」
翌月、伊尹が四十九歳で没すると、兼通は兼家を含む上位九人をごぼう抜きして内大臣に昇格、事実上の関白として実権を握った(正式就任はこの翌々年)。
兼家は悔しがった。
「こんなバカな話があるか!」
が、開き直るのも早かった。
「まあいい。兄の後はマロだ。絶対にマロの天下だっ!」
● 藤原兼通政権閣僚 (977.10/当時) |
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官 職 | 官 位 | 氏 名 |
関白太政大臣 | 従一位 | 藤原兼通 |
左大臣 | 正二位 | 藤原頼忠 |
右大臣 | 従二位 | 源 雅信 |
大納言 | 従二位 | 藤原為光 |
大納言 | 正三位 | 藤原兼家 |
権大納言 | 従二位 | 藤原朝光 |
中納言 | 正三位 | 源 重信 |
中納言 | 従三位 | 藤原文範 |
中納言 | 従三位 | 源 重光 |
権中納言 | 従三位 | 藤原済時 |
権中納言 | 従三位 | 藤原顕光 |
※ 権中納言以上を掲載。 ※ |
貞元二年(977)十月、関白太政大臣・兼通は発病、重態に陥った。
兼家は歓喜した。
「やったぞ! マロは勝つ!」
兼家は動いた。すぐに内裏へ牛車を飛ばした。今度こそ円融天皇から次期関白の確約をもらうために。
途中、兼家の牛車は兼通邸の前を通った。
家人が勘違いして兼通に告げた。
「大納言が参られました」
「何、兼家が!?」
兼通は驚いた。見舞いに来てくれたのだと思って涙を流した。
「なんだかんだ争っても最後は弟だな」
が、兼通の牛車は猛スピードで素通りしていった。
行き先が内裏と知った兼通は怒り狂った。
「おのれ兼家! そういう腐りきった魂胆かー! 車を出せー! 関白は死んでも渡さーん!」
兼通は最後の力を振り絞って内裏へ車を飛ばした。
そして、家人に両脇を抱えられながら円融天皇の御前に進むと、強引に除目(じもく。人事)を行ったのである。
「次期関白は藤原頼忠(よりただ。実頼の子。兼通の従兄)殿。なお、大納言兼家兼任の右大将(うだいしょう。右近衛大将)は解任する!」
「な、なんと!」
「ハハハッ! ざまー見ろ!」
一か月後、兼通は五十三歳で病没するが、すでに新関白頼忠がいるため、兼家の出番はなかった。
しかも 永観二年(984)八月に円融天皇が甥(おい)の花山天皇(かざんてんのう)に譲位すると、権中納言・藤原義懐(よしちか。伊尹の子。天皇外戚)と左中弁・藤原惟成(これしげ。天皇乳兄弟)が強権を振るうようになってしまったのである。
人々はうわさした。
「内おとりの外めでた」
天皇(花山)はチャランポランだが、臣下二人(義懐・惟成)は優れているという意味である。
兼家は皇太子・懐仁親王(やすひとしんのう。後の一条天皇)の外戚になれたものの、まだまだ将来の話である。
「なんとかマロの目の黒いうちに権力を我が系統へ確実に引水しておかねば……」
彼はいつもそのことを考えていた。
そんな折、花山天皇の最愛の女御・シ子(シは「りっしんべん+氏」。藤原為光の女)が妊娠八か月で死んだ。わずか十七歳、寛和元年(985)七月のことであった。
「シ子よぉー! 朕(ちん)を置いていかないでくれぇー!」
後には「夜の帝王」として名を馳(は)せる花山天皇も(「2003年9月号 満月味」参照)、当時はまだ純粋であった。その悲観ぶりはすさまじいものがあった。
兼家はニヤリとした。
「しめた! これは使える」
兼家は三男・道兼(みちかね)を使った。
蔵人(くろうど。蔵人所職員)を務めていた道兼は、花山天皇の側近の一人であった(「詐欺味」参照)。
「もうダメ。朕の人生は終わった。すべてのことにやる気ナシ〜」
朝から晩までだらだらごろごろぼんやりため息ばかりついていた花山天皇に、道兼が勧めた。
「では、女御様の菩提を弔うために出家なされては?」
花山天皇は気が進まなかった。
「出家ぇぇ〜」
何しろ、後にはプレイボーイになる彼である。帝位には執着しなかったが、見栄えには相当なこだわりがあった。
「出家って、頭ツルツルにするんだろ〜。せっかくの格好いい顔が台無しじゃないか〜」
「いえいえ。本当に格好いい方というものは、毛なんかあってもなくても格好いいものなんですよ。帝の格好好さは天下万女を一瞬にして恋死させるほどのすさまじきもの。毛なんか全然関係ありません」
「ふへっ。そうかあ。でもなあ、ツルツルだぞ、ツルツルゥ〜」
あくまで髪に執着する花山天皇に、道兼は言った。
「では、私もツルツルに立候補します! えーい、この際ですから、私も、私の家族もみんなそろって出家いたしましょう!」
「ほう。兼家も道隆(みちたか。兼家の長男)たちもみんなツルツルか。そこまでいうなら朕も潔くツルツルにするしかあるまい」
「そうですよ! 光が満ちあふれればあふれるほど、亡き女御様もあの世で泣いてお喜びになることでしょう!」
花山天皇は出家を決意した。
「でも、義懐たちにはなんと説明しようか?」
「そんなもん、内緒に決まっているじゃないですか! さ、さ、支度はすでにできております。今から誰にも見つからないように夜陰にまぎれて元慶寺(がんぎょうじ)へ潜行しましょう」
「なんかワクワク〜」
道兼は花山天皇を連れ、内裏を出た。
寛和二年(986)六月二十二日深夜から翌日未明にかけてのことである。
夜空には月が輝いている。
花山天皇は不安になった。
「今夜は明るすぎやしないか? 別に今夜じゃなくてもいいのでは」
「何をおっしゃいます! 今夜をおいてほかにありません! あ、月が雲に隠れました!
今のうちです!」
「そういえば、シ子の手紙を持ってくるのを忘れた。取ってくるねっ」
道兼は泣きすがって懇願した。
「そんなもんは後で持ってこさせますから〜!」
一行を警備するのは頭ツルツルの源満仲。
清和源氏の祖・源経基の子で、兼家一家の用心棒である。
「御安心くだせえ、御主人様。道中は拙者どもが命を懸けて警備しますので」
「たのもしいぞ」
「行ったか」
花山天皇が京外へ出たのを確かめた兼家は、帰って来れないように宮中の諸門を閉めさせた。
また、五男・道長を関白頼忠のもとに遣わして「大事」を告げさせた。
「大変です!」
「なんじゃ、こんな夜中に?」
「陛下が行方不明です!」
「なんじゃとぉー!」
頼忠は仰天した。
義懐と惟成はおろおろした。よからぬことを考えた。
「こんな夜中にこっそり独りでお出かけになることといったら……」
「まさか……、シ子様の後追い自殺じゃないだろうね」
「捜せー! 徹底的に捜せー!」
これ以前 皇位のシンボルである剣璽(けんじ。剣と印)は、道隆・道綱(みちつな。兼家の次男)らが皇太子のところに移していた。
そう。兼家一家は一家総出で思い切った政変を敢行したのであった。
一方、花山天皇と道兼は無事に元慶寺に着いた。
同寺は陽成天皇(ようぜいてんのう)の御願寺、かの遍照(へんじょう。「尾行味」参照)が建てた寺である。
さっそく天台座主(てんだいざす。天台宗首位)・尋禅(じんぜん。兼家の弟)に頭を剃(そ)ってもらった花山天皇が、道兼を誘った。
「さあ、そちもツルツルになろうか」
道兼は後ずさった。
「さっき申し上げたじゃないですか〜。出家は一家総出で行います。今から父や兄弟たちを全員連れてきますね」
「そうだったな。でも、まさか逃げはしないだろうな」
「プハハ! 御冗談を〜。ではでは、今からすぐにみんなを連れてきますねっ」
道兼は逃亡した。
当然、帰ってこなかった。
月が傾き、夜がしらけてきた。
「なかなか帰ってこないな」
花山天皇は不安になった。
尋禅が読経するような声で言った。
「ど〜したんでしょ〜ねぇ〜」
花山天皇は気づいた。
「ひょっとして、朕はだまされたのか?」
「……」
「くぅー! なんてこったー!!」
そこへ義懐と惟成がやって来た。
「あ、帝! こんなところにおられた! 御無事でしたか!?」
「よかった、よかった」
花山天皇は頭を突きつけて怒った。
「よくない! このツルツルをどーしてくれるっ!」
夜が明けると懐仁天皇は即位、一条天皇になった。
時にわずか七歳のお子様であった。
当然摂政が置かれることになり、外祖父である兼家が恭しくずうずうしく承ったのである。
これ以後、摂関の地位は、道隆・道兼・道長と、兼家の息子たちが次々に受け継ぐことになるのであった(「テロ味」参照)。
あ、そうだ。これは晴明の物語でしたね。
実は晴明は花山天皇の退位をいち早く知ったことが『大鏡』に記されている。
なぜ、そんなことができたのかって?
彼は式神を忍者として使役していたからである。