5.危うし藤原道長 | ||||||||||||||
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寛仁三年(1019)、摂関期最強の権力者・藤原道長は出家し、その翌年に無量寿院(むりょうじゅいん。後の法成寺。京都市上京区)を建立した。
「どのくらいできたかなー?」
工事中、道長は毎日かかさず白い愛犬を連れて無量寿院に車で出かけた。
どれだけたくさん家を建てても、新しい家はうれしいものであろう。道長はいつもウキウキしていた。
白い愛犬も御主人様が幸せなら幸せである。ハアハアよだれをまき散らしながら、ピョンピョン跳ねて車の後をついてくるのであった。
ある日のこと、道長はいつものように愛犬を連れて工事を見に行った。
白い愛犬も喜んでついてきたが、無量寿院に着き、道長が車から降りると、表情が変わった。
「ウウー」
いつになくうなり声を立て始めたのである。
「シロ、どうした?」
道長が門をくぐろうとすると、
「ワー! ワンワン!」
シロは激しく吠(ほ)え立て、すそにかみ付いて中に入れまいとした。
道長は察した。家人に命じた。
「晴明を呼べ」
すぐに晴明がやって来た。
道長が聞いた。
「このようにシロが門の中に入れさせてくれぬ。中に何かあるのであろうか?」
晴明が占って答えた。
「道に何か埋めてあるのですよ。おそらく呪(のろ)いのものが。知らずにまたいでいたら大変なことになるところでした。犬は人間以上にそういうものに対して敏感なので感づいたのでしょう」
「どこに埋めてあるかわかるか?」
「少々お待ちください」
晴明は再び占い、指を差した。
「ここです」
家人が言われたところを手で掘った。
しばらく掘っても何も出てこなかった。
「何もないですよ」
「もっと掘るの」
「へい」
五尺(約1.5m)ぐらい掘ると、ようやく土器が出てきた。その中にはコヨリがあり、十文字に結んであった。
晴明はコヨリを広げてみた。中には何もなかったが、土器の底に赤い文字が書いてあった。
「このような呪法は私のほか、一部の弟子しか知るはずのないものです。おそらく我が弟子・葦屋道満の仕業と存じますが、確かめてみましょう」
晴明は懐紙を取り出すと、鳥の姿に折って空に飛ばした。
「犯人のもとへ飛んでいけ!」
紙の鳥はシラサギに変化し、南の方へ飛んでいった。
下部に追わせてみると、やはり犯人は道満であった。
「なぜ、このようなことをした?」
道長に問いただされて、道満は答えた。
「堀川左大臣(藤原顕光)に脅されて仕方なくやりました。本当はやりたくなかったんです。許してください」
道長は寛大だった。
道満を故郷の播磨へ追放という甘い処分ですませてくれたのである。
「そうか。悪いのは堀川左大臣か。左大臣がわしをひがんで恨むのもわからないでもない」
ちなみに藤原顕光は兼通の子で「無能大臣」と呼ばれ、生涯道長らにバカにされ続けた男である。
「それに比べてお前はなんて賢いんだ」
道長はシロを抱き上げてほおずりした。
「くうーん(それほどでもー)」
以後、シロは以前にもまして道長にかわいがられたそうである。