6.泣不動説話 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2006>泣き不動説話
|
弟子たちはみな沈んでいた。
医者の宣告を聞いたからであった。
「残念ですが、師はそう長くはありません」
師は三井寺の僧・智興(ちこう)。
内道場(宮中内寺院)に奉仕する内供奉(ないぐぶ)を務めた高僧であった。
弟子たちは悲しんだ。
「なんとか助けることはできないのですか?」
「医学の力ではなんとも。あとはもう祈祷師(きとうし)にでも頼むしかありませんな。無駄でしょうが」
「祈祷師か」
「そんなんじゃタメだ」
「本職の我々が祈ってもよくならないのだから誰にも頼みようがない」
そのとき、弟子の一人が思いついた。
「そうだ! あのお方なら治せるかもしれない……」
「あのお方とは?」
「当代一流の陰陽師・安倍晴明」
「おお! 確かに」
こうして三井寺に晴明が呼ばれた。
晴明は「人間じゃない方」を二匹連れてやって来た。
「な、なんですか、その異様な方々は?」
「助手のシキちゃんとガミちゃんです。気になさらないでください」
「気になりますよ〜」
晴明は智興を診察して告げた。
「残念ながら手遅れですね」
弟子たちはがっかりした。
「ああ、晴明様の超能力でもっても治せないのか」
陰口する者もいた。
「高名な陰陽師といわれていても、口ほどにもないものだ」
晴明はカチンときた。
「いえ。治せない方法がないわけではありません。あえてその方法を行わないだけです。私に力がないわけではありません」
弟子たちは理解できなかった。
「治せる方法があるのなら、なぜそれをやってくれないのです?」
「やってもいいんですか? それをやれば確実に犠牲者が出るんですよっ」
晴明は説明した。
「その方法とは『泰山府君(たいざんふくん)の法』です。泰山府君は生死をつかさどる神で、これに祈ることによって命の取替えが可能になるのです。つまり、師の命を助ける代わりに、弟子の誰かが身代わりにならなければならないんですよ。しかも失敗すれば、無駄死になる可能性もあります」
弟子たちは黙ってしまった。
もちろん、師の命は助けてもらいたいが、その代わりに自分が死ぬのは嫌であった。
「さあ! この中に誰か身代わりになりたい者がいれば、今すぐにでも『泰山府君の法』をやってみせましょう。さあ!」
弟子たちは周りを見回して、一様にうつむいてしまった。
いや、一人だけ、まっすぐに晴明を見返して手を挙げた者がいた。
証空(しょうくう)という若い僧であった。
「私が身代わりになります! 師の命が助かるのなら、助かる可能性がほんのわずかでもあるのなら、私は喜んで死にましょう!」
晴明は嬉しそうであった。
すぐに式神たちに『泰山府君の法』の用意させた。
「わかりました。この晴明も生命をかけて祈祷いたしましょう」
『泰山府君の法』の祈祷は七日七晩続いた。
「智興内供の命をお助けを!」
証空も日頃から信仰している不動明王に一心に祈った。
「師の命をお助けください! 私はどうなってもかまいません!」
八日目の朝、智興はウソのように起き上がった。
「何じゃ、お前たち。みんな集まってどうしたのだ? 縁起でもない」
「おお、師がウソのようによくなられた!」
弟子たちは喜んだ。
特に証空は感涙した。彼は晴明に聞いた。
「『泰山府君の法』は成功したんですね? 私が身代わりに死ぬんですね?」
晴明は首を横に振った。
「いえ。『泰山府君の法』の命の取替えは同時に行われるものです。師がよみがえったのにあなたが生きているということは、もう死ななくてもよくなったということです。あなたの信仰する不動様があなたの心意気に感銘して命を救ってくださったのでしょう」
晴明は、証空が拝んでいた不動明王像を指し示した。
「御覧なさい!不動様も泣いておられる!」
「おお! 不動様が……」
その両眼からは血の涙が流れ出ていたという。
[2006年10月末日執筆]
参考文献はコチラ
※ 安倍晴明の奇術には何らかのタネがあると思われます。