1.裏切り者と呼ばれて | ||||||||||||||
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誰も好き好んで裏切る者はいません。
弱者につけば滅びるんです。
強者につかなければ生き残れないんです。
義なんて叫んだところで何もなりません。
天正三年(1575)の長篠(ながしの。愛知県新城市)城の戦で、私はそれを目の当たりにしました。
そうです。あの時、鳥居強右衛門(とりいすねえもん。勝商)を捕えたのは私の部下でした(「人質味」参照)。
当時の私の主君・武田勝頼は寛容でした。
強右衛門に義を捨てさせて勇者の軍団・武田軍に加えようとしたのです。
私も強右衛門を説得しました。
『お前は勇者になるべきだ。共に勝頼様のもと、天下を目指そうではないか』
しかし彼は義を捨てませんでした。
そのため命を奪われたのです。
カラスに食われていた彼の無残な遺体を見て、私は心に誓いました。
(義は無力だ。私はこんな死に方はしない!私は誰にも押さえつけられず、自分のために、ありのままに生きてやる!)
戦国時代は強者と弱者はめまぐるしく入れ替わります。
状況に応じて主君を替えることは仕方のないことでしょう。
私はまだ我慢強い方です。
武田から織田、一回替えただけじゃないですか。
それなのに私は、小山田信茂(おやまだのぶしげ)と並ぶ武田家中随一の裏切り者とされています。
私をおとしめたものは何でしょうか?
やはり、あの無残な最期でしょう。
「アハハ!武田を裏切ったむくいだ!これ以上裏切り者にふさわしい死に方があろうか?」
そうです。皮肉なことに何よりも無残な最期を嫌っていた私が、あんなにも無残な最期を遂げてしまったのです。
私の失敗もまた、義を捨てなかったことでした。
(まさか、あの方が私を裏切るはずがない……)
そうです。義を信じていなかった私もまた、義に殉じてしまったのです……。