3.ぶーむ

ホーム>バックナンバー2023>令和五年5月号(通算259号)爆弾味 爆弾三勇士3.ぶーむ

岸田首相襲撃&スーダン内戦
謡.どーよ
1 ぼーん
2.じーん
3.ぶーむ
歌.ゆーし

「上海で自らの身を犠牲にして敵陣を切り崩した勇者がいたそうな」
「頑強な敵陣に九州男児三名が体に爆弾巻いて突っ込んでいったんだって」
「三勇士は同い年の二十一歳」
「若くてたぶん全員イケメン」
「お国のために自爆するなんて、なんてかっこいいんだ!」
 国民は新聞各紙が垂れ流した爆弾三勇士の「美談」に感動感涙した。

 新聞各紙は連日彼らを特集して報道した。
 顕彰歌を作ることになり、毎日新聞は与謝野鉄幹の作詞で『爆弾三勇士の歌』を、朝日新聞は山田耕筰の作曲で『肉弾三勇士の歌』を発表した。
 国民新聞は『廟行鎮決死隊の歌』を、報知新聞は『肉弾三勇士』を作ったほか、辻順治・長田幹彦・渡部栄伍・野口雨情・中山晋平・古賀政男・古関裕而ら錚々
(そうそう)たる面々が争って彼らをたたえた軍歌や童謡を作り始めた。

 書籍も次々と出版された。
 わずか一年の間に、『忠烈爆弾三勇士
(小笠原長生著。実業之日本社)』、『護国の神・肉弾三勇士(大和良作他著。護国団)』、『爆弾三十六勇士(村松梢風著。改造社)』、『爆弾三勇士(植木信行著。高踏社)』、『壮烈無比爆弾三勇士(滝渓潤著。三輪書店)』、『爆弾三勇士(英雄偉人叢書。金蘭社)』、『爆弾三勇士(愛国美談叢書。金の星社)』、『爆弾三勇士の真相と其観察(小野一麻呂)』、『爆弾三勇士物語(岡慶彦。第一出版協会)』、『軍神江下武二正伝(宗改造編著。欽英閣)』などが刊行された。

 映画界はもっと素早かった。
 河合映画の『忠魂肉弾三勇士
(根岸東一郎ら監督)』、新興キネマの『肉弾三勇士(石川聖二監督)』、東活の『忠烈肉弾三勇士(古海卓二監督)』、日活太秦の『爆弾三勇士(木藤茂監督)』、福井映画の『昭和軍神 肉弾三勇士(福井信三郎監督)』、赤沢映画の『昭和の軍神 爆弾三勇士(赤沢大助監督)』のうち四本は爆死事故からわずか一か月後、新聞の第一報から十日余りしかたっていない三月三日の封切りであった。

 その他芸能界も黙っていなかった。
 歌舞伎『肉弾三勇士』・『上海の殊勲者 三勇士』、新派劇『上海の殊勲者 三勇士』、文楽『三勇士名誉肉弾』、新国劇『爆弾決死隊』、人形浄瑠璃『三勇士名誉肉弾』、ラジオドラマ『肉弾三勇士』、琵琶曲『噫・肉弾三勇士』、アニメ映画『蛙の三勇士』などが次々と登場、人気漫画『のらくろ
(田河水泡作)』には三勇士を模したとみられる三匹の犬が活躍する話が掲載された。

 影響は芸能界だけにとどまらなかった。
 女性の髪型として「三勇士まげ」が流行し、「銘酒三勇士」、「爆弾チョコレート
(森永製菓)」、「肉弾キャラメル」、「三勇士饅頭」、「三勇士煎餅」、「三勇士料理(大阪高島屋)」など便乗商品が続々と発売、グリコは菓子のおまけに「肉弾三勇士之像」を仕込ませ、銀座松坂屋は三勇士を模した五月人形を販売、キリンビールは三勇士が破壊筒の代わりに瓶ビールを抱える新聞広告を掲載した。

 この昭和七年(1932)は血盟団事件(「凶弾味」参照)や五・一五事件など大事件が多かったが、「爆弾三勇士ブーム」という社会現象は一向に収まらなかった。
「こういう美談はもっと広く知らしめるべきだ」
 徳富蘇峰の文章で初等教科書国語科に掲載され、唱歌教材にも使われた。

 三人の合同墓は大谷本廟(おおたにほんびょう。京都市東山区)に作られた。
 昭和九年(1934)二月二十二日、全国からの寄付金で青松寺に三人の銅像が建てられ、台座に遺骨の一部が収められた。
 その銅像は戦直後に進駐軍にしかられるのを恐れて撤去されたが、北川の像は切り離され、彼の故郷にある三柱神社
(長崎県佐々町)に移された。
 江下の像は青松寺に残されたが、作江の像は所在不明になってしまった。
 江下個人の墓は、彼の故郷にある正念寺
(しょうねんじ。佐賀県蓮池町)にある。
 作江個人の墓は、彼の故郷にある天桂寺
(てんけいじ。長崎県平戸市)にある。

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