4.田 楽 | ||||||||||||||
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街外れに北村幽庵の行きつけの茶店があった。
その日、幽庵は開店前から茶店の前で待っていた。
茶店の主人が気づいて出てきた。
「あ、幽庵先生。これはこれはお待たせして申し訳ありません。今、開けますから」
「いいんじゃ。わしが早く来すぎただけじゃ」
そこへ茶店の板前が出勤してきた。
「幽庵先生。毎度ありがとうございます」
板前は背にしょっていた竹籠(たけかご)を下ろした。
「仕入れかね?」
「ええ。難波(なにわ。大阪市)で素材を仕入れてまいりました」
店が開くと、すぐに何人か客が入ってきた。
幽庵は田楽を頼んだ。いつもこれを食べにくるのである。
客の中に侍がいた。
侍も田楽を注文した。
「お待ちどおさま」
侍は田楽を完食した後、変な顔をした。
「おい、主人」
「は、なんでございましょう?」
「まずい。まずすぎる。半月前に食べたときはもっとうまかったぞ」
「え!? 素材も味も何も変えておりませんが……」
「そんなはずはない。確かに変わっている。恐ろしくまずくなっている。こんなまずい田楽にカネは払えぬ。さらばじゃ」
侍は席を立った。
「あ、お侍様。そんな……」
侍は店を出ようとした。その前に幽庵の席の前を通った。
幽庵はつぶやいた。
「カネを払いたくないだけでしょう。本当にまずいのであれば、完食するはずがありません。いわゆる食い逃げってヤローですな」
侍は立ち止まった。振り返って幽庵をにらみつけた。
「貴様。わしが小銭欲しさに食い逃げすると申すのか?」
幽庵が爪楊枝(つまようじ)で歯をいじりながら続けた。
「そうとしか思えませんな。京豆腐に西京味噌(さいきようみそ)、伊丹(いたみ。兵庫県伊丹市)の酒に奄美(あまみ。鹿児島県)の砂糖、隠し味に鞍馬(くらま。京都市北区)の山椒(さんしょう)と博多(はかた。福岡県博多区)の味醂(みりん)を少々。半月前とまったく同じ素材、まったく同じ作り方。むろん、味も変わっておりません。私はおいしくいただきました」
侍は仰天した。
「な、な、何者だ!? キサマはーっ!!」
主人が代わりに答えた。
「近江堅田にその人ありといわれた高名な美食家・北村幽庵先生ですよ」
侍はフッと笑った。
「そうか。キサマがかの有名な北村センセーか。おもしろい! もし、貴様がこの田楽の素材すべてを答えることができたなら、わしは貴様の分の田楽の代金も支払ってやろう!」
「ごちそうさまでございます。素材は先ほどすべて申し上げました」
「まだ全部を申しておらぬ! 素材は口に入れるものだけとは限らぬ! 皿はどこの皿だ? 串(くし)はどこの串だ?」
「なんと……」
幽庵は絶句した。明らかに動揺していたが、答えてみた。
「皿は信楽(しがらき。滋賀県甲賀市)。串は……」
そんな産地まではさすがの幽庵も知らなかった。
「さあ! 串は?」
侍は勝ち誇ったように迫った。
そして、幽庵が黙ってしまったのを見てあざ笑った。
「ケッ! 田楽の串の産地も知らずに、何が食通だ! みなの衆、高名な美食家とはこの程度のものだ。ワッハッハ!」
立ち去ろうとした侍に、幽庵が声をかけた。
「思い出しました。この串は難波で採ったものです」
「難波だと――。本当にそうなのか?」
聞かれた主人は知らなかったので、奥から板前を呼んできた。
板前は答えた。
「ええ。確かにそれは難波の竹の串です。竹籠の竹を割いて串にしたものですよ」
幽庵はニンマリとした。
客たちが侍を見た。
冷ややかな目で、みんなでじーっと見つめてやった。
侍は追い詰められた。窮鼠(きゅうそ)に成り果てた。そして、財布を投げ出してわめき散らした。
「なんだお前たち! そーだよ! みんなわしが悪いんだよ! わしが悪いって言ってるじゃねーかぁー!
えーい! こうなったらてめーらの分まで全部おごってやらぁー! 持ってけドロボー!
クソッタレーッ!」
そして、泣きそうになりながら、猛然と土煙を上げて駆け去っていった。
[2007年11月末日執筆]
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