1.化け物

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大米帝国の暴走
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 高師直の生年は不明である。
 高氏は高階
(たかしな)氏の一族で(「高氏系図」参照)、早くから清和源氏(せいわげんじ)の名門・足利(あしかが)氏に近侍、代々その執事を務めてきた。
 師直もまた尊氏の執事となり、鎌倉倒幕戦に従軍、後醍醐天皇
(「秘密味」等参照)による建武(けんむ)政権では、雑訴決断所三番局奉行人を務めるが、主君とともに後醍醐天皇にそむいて南朝諸将と交戦、建武三年(1336 北朝は延元元年)の摂津湊川(みなとがわ。神戸市兵庫区)の戦で新田義貞(「進撃味」等参照)楠木正成(「窮地味」参照)を破り、暦応元年(1338 北朝は延元四年)和泉石津(いしづ。大阪府堺市)の戦(堺浦の合戦・堺浜合戦)で北畠顕家(きたばたけあきいえ)を敗死させた。

高 師直 PROFILE
【生没年】 ?-1351
【別 名】 高五郎右衛門尉
【本 拠】 三河国(愛知県)
【職 業】 武将
【役 職】 足利家執事・窪所衆
・雑訴決断所三番局奉行人
・室町幕府執事・三河守・武蔵守
・上総武蔵守護
【 父 】 高師重(高階氏末裔)
【 妻 】 貴族女性のほぼ全員
【 子 】 高師詮・師夏ら
【養 子】 高師冬(師行の子)
【兄 弟】 高師泰・重茂・師茂・師久ら
【お じ】 高師行・師春・師信・師義・師氏ら
【従兄弟】 高師秋・師業ら
【主 君】 足利尊氏
【仇 敵】 北条高時・後醍醐天皇・新田義貞
・楠木正成・楠木正行・北畠顕家
・足利直義・塩冶高貞・上杉重能ら
【墓 地】 摂津武庫川
(兵庫県西宮市・尼崎市境)

 その師直が病気になった。
 南朝の大元帥
(だいげんすい)後醍醐天皇が没した二年後の興国二年(1341 北朝は暦応四年)の春のことである。何の病気かは分からないが、それほど重くはなかったらしい。
 にもかかわらず、見舞い客は大勢やって来た。
 何しろ尊氏の実弟・直義と並ぶ北朝のナンバーツーが病に伏せたわけである。
「高様が御病気だそうな」
「それは見舞いに行かないとまずいな」
「御機嫌取れば、何かもらえるかもしれないぞ」

 その晩も師直は、日ごろ世話してやっている家来、これから世話してもらいたい野心家たちから接待を受けて上機嫌であった。
 その晩の趣向は「平曲
(へいきょく)」。
 琵琶法師が琵琶を伴奏に『平家物語』を語る芸能である。
 語り手は、当代一流の琵琶法師・明石覚一
(あかしかくいち)と真都(しんと)

*          *          *

 仁平(にんぴょう・にんぺい 平安末期の元号)の頃でございました。
 時の帝・近衛天皇
(このえてんのう)が不思議な病気にかかられました。
 毎晩丑三つ時
(うしみつどき。午前二時頃)になると、おびえて気を失われるのです。
「どうしたことじゃ?」
 近臣たちは首を傾げました。偉い坊さんを呼んでお祓
(はら)いをさせてみましたが、具合は良くなりません。そこで、お付きの女房に聞いてみました。
「丑三つ時に、帝の近辺で何か異変は起こらぬか?」
「そういえば、御殿を黒い雲のようなものが覆います」
「何だそれは、化け物か?」

 化け物退治なら、武士の仕事です。近臣たちは源頼政なる男を呼び付けました。当時、兵庫頭(ひょうごのかみ。朝廷の武器庫管理人)を務めていた武人です。
「毎晩帝を悩ませている化け物を退治して欲しいのだが」
 そんな依頼は初めてでしたが、頼政は引き受けました。

 その晩、頼政は部下の井早太(いのそうた)を連れて物陰に隠れ、怪物の出現を待ちました。
 丑三つ時、怪物は現れました。
 東三条の森から黒い雲のようなものが生じたかと思うと、御殿の上に飛来して覆い被さったのです。
「来たか」
 頼政は弓を構えました。そして、
「南無八幡大菩薩!」
 と、唱えて、黒い雲のようなものに向かって矢を放ちました。
「ビャオゥ!」
 手ごたえがありました。
「やった!」
 黒いものが落ちたところへ井早太が駆け寄って押さえ込み、刀でめった刺しにしました。
「ヒャー! ヒャー!」
 化け物はトラツグミのような鳴き声を上げて暴れましたが、すぐに静かになりました。
「やったか!」
 怖いもの見たさに人々が駆け寄ります。
 明かりを近づけてみると、顔はサル、胴はタヌキ、手足はトラ、尾はヘビという化け物が死んでいましたいました。「ヌエ」という怪鳥だそうです。

 ヌエを退治して以来、近衛天皇の体調はウソのように良くなりました。
 近衛天皇の父・鳥羽上皇は、頼政の武勇に感心されました。
「そうじゃ。頼政に何か与えよう」
 鳥羽上皇は、頼政が菖蒲
(あやめ)という究極の美少女女房のうわさに聞きつけて、恋焦がれていることを知りました。
「そうか。ならば頼政には菖蒲をやろう」
 しかし、ただで与えてはおもしろくありません。
 そこで鳥羽上皇は、菖蒲と同じような十六歳ぐらいの美少女女房を何人か選り抜くと、彼女たちにも同じように着飾らせ、頼政の前にズラリと並べ立てて尋ねました。
「さあ、そちが恋焦がれている菖蒲はどれかな? 見事当てて見せたら、遠慮なく持ち帰ってよいぞ」

 頼政は困りました。
 美少女女房たちもおもしろがって、流し目したり、チラ見せするなど色目を使ってきます。
 困り果てた頼政は、歌を歌いました。

  五月雨に沢辺の真薦(まこも)水越えていずれ菖蒲と引きぞ煩ふ

 下品に言えば「みんなかわいい。もう誰でもいいや」という心境だったのでしょう。
 関白藤原忠通が笑って、
「これが菖蒲ぞ」
 と、彼女の手を引いて頼政のところに連れていきました。

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