2.絶世の美女 | ||||||||||||||
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平曲は終わった。
みなが余韻に浸っている中、ある人が切り出した。
「それにしても源頼政は損だなぁ。命がけで化け物を退治したのに、もらったのが美女だなんて。拙者は所領とか金品をもらったほうがいいよ」
「うん。美人は三日で飽きるからな」
人々が納得する中、高師直は反発した。
「なんてことを抜かすんだ。わしは菖蒲ほどの絶世の美女であれば、所領十か国と交換してでも惜しくないと思うであろう」
師直の好色は、史上有名である。
今まで当サイトでも、雄略天皇(「日朝味」)・嵯峨天皇(「告発味」)・深草少将(ふかくさのしょうじょう。「尾行味」)・花山天皇(かざんてんのう。「満月味」)・豊臣秀吉(「花見味」)・小早川秀秋(こばやかわひであき。「変節味」)などのエロっぷりを紹介してきたが、師直こそまさしくエロの権化、下半身の暴走族、制御不能の機関銃であろう。
何しろ師直は、京都の人々に、
「執事の宮参りに手向けを受けぬ神もなし」
と、うわさされたほどである。
つまり、京中の貴族の娘はみな師直の愛人であったというわけだ。
もちろん、
「そんなとんでもない男のところに大事な娘をやれるか!」
と、怒って断る貴族もあった。
が、師直はあきらめなかった。
そういう家には屈強の男どもを遣わして、強引に娘をさらって来るのである。
また、師直は情報屋も雇っていた。
「どこどこの○○はかわいいぞ」
「××の娘が裳着(もぎ。成人式)をすませたそうだ」
「△△の妻が後家になったそうな」
そういうようなのを集めていたのであろう。
また、囲っていた女に「間男」があることを知り、その男の家をわざわざ炎上させに行ったこともあった。
とにかく師直という男は、女のことになると無茶苦茶で恐ろしい男であった。
そういう男であるから、それほどの絶世の美女となら所領十か国と交換しても惜しくないと言い切ったのであろう。
師直のタチを良く知っている家来たちは納得した。
が、そこに居合わせたのは、彼のことをよく知っている者だけではなかった。
長年ある貴族に仕えてきた侍従局(じじゅうのつぼね)なる老女も、その一人である。
侍従局は高笑いした。
「菖蒲が絶世の美女ですって! ヒッヒッ! そんな話はウソじゃ! 菖蒲が本当に絶世の美女じゃったら、いくら鳥羽上皇が意地悪しても、頼政は迷うことなく引き当てることができたでしょうに。それができなかったということは、それほど際立った美女ではなかったということじゃ。高様はそんな平凡な女と所領十か国と交換なさるのですか? そんなんでしたら、早田宮(さわだのみや。真覚。宗尊親王の王子)の娘・弘徽殿の西台(こうきでん・こきでんのにしのたい)なんぞを御覧になられたら、日本はおろか、唐(から。中国)・天竺(てんじく。インド)とも交換なさるおつもりですか?」
師直の目が輝いた。耳が立った。鼻が膨らんだ。
家来たちは、またかといった顔を見合わせた。
師直が帰ろうとした侍従局を呼び止めた。
「待て。弘徽殿の西台とやらは、そんなに美人なのか?」
「ええ、それはもう天下一でございます」
「おかしいな。京中の美女はなめ尽くしたはずなのに、まだそんな美女が残っておったとは……。彼女は今はどこに?
年はいくつじゃ?」
「はい。高様が上洛されたときには、すでに田舎人のところへ嫁いでおりましたので、年は結構いっているはずです。が、少し前に物詣の途中で拝見しましたが、全くお変わりないどころか、かえって美しさに磨きがかかっておりました」
師直は生ツバを飲み込んだ。
「田舎人とは、武士か? どこの武士じゃ?」
「塩冶高貞(えんやたかさだ)殿でございます」
塩冶高貞は出雲出身の武将である。
父・佐々木貞清(ささきさだきよ)の後を継いで出雲守護となり、元弘三年(1333 北朝は正慶二年)後醍醐天皇の挙兵に応じて鎌倉倒幕戦に参戦、建武二年(1335)相模箱根竹ノ下の戦後は足利尊氏に寝返って北朝武将として活躍、今では出雲に加えて隠岐守護にも任じられている太守である。
それでも師直から見れば、眼中にない武将であった。
師直はうれしそうに言った。
「おもしろい話を聞かせてもらった。褒美をやろう」
師直は侍従局に美しい着物と香木入りの枕を即座に与えると、にじり寄って頼んだ。
「ついでに、その西台との仲を取り持って欲しいのだが……。成功したら、そちの望みどおりの褒美を与えよう」
侍従局は慌てた。
「そ、そんな! 相手はすでに嫁いでいる身。とても御紹介なんて……」
「嫌だと申されるか?」
「い、いえ、そんなことないです!」
怖かったので、承諾せざるをえなかった。