3.GEDO/外道

ホーム>バックナンバー2017>3.GEDO/外道

トランプ大統領は暴君か?
1.仁義なき戦い
2.首領になった男
3.GEDO/外道
4.荒ぶる魂たち
5.最後の晩餐

 足利義教のオトコ・赤松貞村には、宮内卿局(くないきょうのつぼね)という娘がいた。
 宮内卿局が年頃になると、貞村は義教に勧めた。
「拙者の娘です。上様の側室にどうぞ」
 義教は彼女の顔をのぞき込むと、まじまじと見つめて鼻息荒らげた。
「ほう、お父さんの若い頃にそっくりじゃないか。ぐふふ!」
 義教は、即、側室にした。
 いわゆる「父娘丼
(おやこどんぶり)」というヤツであった。
 父と娘は両脇
(りょうわき)から義教にねだったのであろう。 
「ねえ」
「ねえねえ」
「何だい?」
「ちょうだい〜ちょうだい〜」
「ちょうだいだい〜」
「何を?」
「土地ぃ〜」
「土地〜土地〜」
「どこの?」
「アイツの土地〜」
播磨備前美作〜」
「アイツか」
「そう、アイツの〜」
赤松満祐、坊主名性具
(しょうぐ)〜」
「アイツは醜い」
「そしてチビ」
「三尺入道」
「おまえらはかわいい」
「はずかしいです〜」
「ホントのこといわないで〜」
「決定!アイツの土地はおまえらの土地!」 
「やったー!」
「ひゃっほー!」

 義教満祐と仲が悪い山名持豊に相談した。
「余は将軍じゃ。三尺入道を失脚させようと思えば、今すぐにでもできる。だが、物騒なことはしたくない。なるべく穏便に事を進めたい。何かこう、自然の流れで三尺入道を失脚させる手だてはないものか?」
 満祐持豊がケンカした永享九年(1437)、なぜか西洞院二条上ルにあった赤松邸は炎上していた。
 持豊は提案した。
「たとえば、ヤツの弟を責めるとか」
「則繁
(のりしげ)か?」
 応永三十一年(1424)、赤松則繁は酒の席で細川持之
(ほそかわもちゆき)の家臣・安藤某を斬ってしまったことがあった。
 則繁は足利義持から切腹を命じられたが、満祐がかばい通したのである。
「古傷を責め立てるのも手ですが、則繁は貧乏です。取り上げる物がありません。それよりもその兄の義雅
(よしまさ)を責めるべきでしょう。義雅は所領をたんまり持っていますから」
「道理である!」

 ところが、この企みを聞いてしまった十六歳の少女がいた。
 義教の侍女をしていた満祐の娘であった。
(大変!父に知らせなきゃ!)
 満祐の娘は父に手紙を書いたが、出す前にそれをなくしてしまった。
(ま、まさか……)
 満祐の娘は不安になった。

 その晩、満祐の娘の不安は的中した。
 義教に呼びつけられたのである。
「何でしょうか?」
 義教は普段と変わらない陰気な顔をしていた。
「それはこちらが聞きたいものじゃ。何か余に隠し事をしていないか?」
「別に……」
「では、これはなんじゃ?」
 義教が出してきたのは、満祐の娘が書いていた手紙であった。
 彼女はとっさに取り戻そうと手を出したが、義教に引っ込められた。
「このことは三尺入道に伝えたのか?」
「いえ、まだ」
「伝えたいであろう?」
「……」
「これを父に渡してほしいであろう?」
「……」
「渡すわけがなーい!」
「……」
「なんじは当面監禁だ。父が失脚したら解放してやろう」
 満祐の娘は泣いた。
「父が何か悪いことをしたでしょうか?」
「……」
「私が何か悪いことをしたでしょうか?」
「……」
「悪いことをなさろうとしていたのは、上様ではありませんか!」
「黙れ、小娘!」
 義教は笑った。陰気な顔が醜かった。それでも彼は正当化した。
「余は正道を行っている。余の正道に歯向かうヤツラは、すべて悪じゃ」

 ほどなくして満祐の娘は自害した。
 満祐は娘のために千手観音像を作らせ、円教寺
(えんきょうじ。兵庫県姫路市)に十妙院を造立したという。

inserted by FC2 system