5.最後の晩餐 | ||||||||||||||
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嘉吉元年(1441)五月十六日、美濃垂井(たるい。岐阜県垂井町)において足利安王丸(やすおうまる)と春王丸(はるおうまる)が処刑された。
享年は安王が十三、春王が十一であった。
二人は永享の乱の首魁(しゅかい)・鎌倉公方足利持氏の遺児で、結城(ゆうき)合戦を起こした結城氏朝(うじとも)によって反乱の盟主に擁立されていた。
この前月、氏朝は敗死し、反乱は終結している。
「戦勝祝いの宴を開きましょう!」
五月二十三日、足利義教の義兄(妻の兄)・正親町三条実雅(おうぎまちさんじょうさねまさ)の邸宅で祝宴が開かれた。
五月二十六日には細川持之邸で祝宴があった。
「将軍様もいらっしゃいますので、どうか性具入道殿もおいでください」
赤松満祐も誘われたが、どちらの宴も赤松教康を代席させて自身は顔を出さなかった。
義教が細川持之にぶうたれた。
「三尺入道、来ないではないか」
「来ないですね」
「本当に誘ったのか?」
「誘いましたよ!」
持之は向きになってみたが、本当はそれとなく赤松義雅に知らせておいた。
『入道殿は来られないほうが身のためかと』
義教は吐き捨てた。
「暗殺できないとなると、いよいよ切腹させるしかないな」
「お待ち下さい。上様は六月二十四日に赤松邸での祝宴にお越しの予定です」
「なるほど。自分の実家での祝宴なら、ヤツも現れないわけにはいくまい」
「そのとおりです。処罰はそれからでも遅くはないかと」
「余は血を見るのは好まぬ」
「はあ?」
「暗殺は赤松邸の外で済ませよということじゃ」
「御意。では、当日は周辺に刺客どもを潜ませておきます」
「血は見たくないが、できれば暗殺が進行中だということは知りたいのう」
「……。贅沢なお望みですな」
持之は少し考えてから提案した。
「では、こうしましょう」
「どうするのじゃ?」
「ヤツが赤松邸にたどり着いたら、馬たちを騒がせます」
「ほう」
「上様は馬たちが騒いだら、一、二、三、四、五――、と、十までお数えください。そして、その間に暗殺が終了したものとお思いください」
義教は喜んだ。
「そうすれば余は館内にいても暗殺を共有できるわけだな? 三尺入道の最期を数えながら確認できるわけだな? ひひひっ、あっぱれな趣向じゃ!」
六月二十四日、義教を招いて赤松邸で祝宴が開かれた。
将軍一行は西洞院二条上ルにあった赤松邸に申の刻(午後四時頃)に到着したという。
一行とは、義教の他に、正親町三条実雅、細川持之、山名持豊、畠山持永(はたけやまもちなが)、細川持常、細川持春(もちはる)、京極高数(きょうごくたかかず)、大内持世(おおうちもちよ)、赤松貞村、山名熙貴(ひろたか)ら、錚々(そうそう)たるメンバーであった。
一方、赤松邸で接待するのは赤松教康十九歳。
「上様。いらっしゃいませ」
教康は義教から偏諱(へんき。名前の一部をもらうこと)を賜っていたため、嫌われてはいなかった。
「御苦労。ところで、赤松家当主の座は慣れたか?」
「まだまだですので、叔父二人に色々と聞いております」
隣で赤松義雅と則繁が頭を下げた。
「うむ。叔父に聞くのもいいが、当主のことはやはり前当主であった父に聞くほうがいい。三尺――、いや、性具入道はどうした?」
「父は隠居して家臣の富田宅に引きこもっています」
「呼べばいいではないか!余はもう何も怒ってはおらぬ。今夜は戦勝祝の宴じゃ。大勢で祝ったほうが楽しいではないか。苦しゅうない。入道を呼び寄せよ」
教康は叔父たちを見た。
義雅が、
「では、拙者が御隠居を呼んできます」
と、出ていった。
則繁は将軍一行を庭へ案内した。
「まずは戦に疲れたみなさまに、癒やしを御覧に入れましょう」
庭の池ではたくさんのカルガモの子たちがちまちまと泳いでいた。
諸将らは喜んだ。
「なんだこいつら!かわいいのう!」
「今年は思いのほかたくさん生まれたのです」
義教も陰気な顔を緩ませた。
「余は、カモのようなか弱き生き物は好きじゃ。こいつらは決して裏切らぬし、良からぬことを考えることもない。本当にかわいいヤツラじゃ」
「それはようございました」
則繁も目を細め、心の中だけで続けた。
(もうじき貴様がいいカモにされることも知らずに――)
一行はしばらくカルガモを堪能した後、館内に入って猿楽を見物した。
奥の間には義教と正親町三条実雅が、次の間には貞村ら近習衆が、次の次の間には持之や持豊ら大名衆が座り、山海の珍味が運ばれて酒宴が始まった。
宴もたけなわ、屋外で大きな物音がした。
その瞬間、義教の意識が猿楽から戻ってきた。
『ヤツが赤松邸にたどり着いたら、馬たちを騒がせます』
と、持之が言っていたのを思い出したのである。
(馬だ!持之の刺客が馬を騒がせたのだ!三尺入道暗殺がいよいよ始まったのじゃ!)
それでも、念のため横にいた実雅に聞いてみた。
「今の音は何じゃ?」
「雷鳴でしょう」
猿楽に熱中していた実雅は適当に答えた。
義教は持之に言われたように、心の中で十数え始めた。
(一、二、三――)
ダダダダと、足音のようなものが響いてきた。
(四、五、六――)
物音はピタッと止まった。
(七、八、九――)
その時、バッと背後の明かり障子が開け放たれた。
義教が振り向くと、夕焼けの中に数名の鎧(よろい)武者の影があった。
(十!)
ちゃぱーん!
くるくるくる、しゅぽぽぽーん!!
業物の赤い閃光(せんこう)にはねられた首が、血煙を上げて飛んだ。
生首は伸身宙返りをし、
スタッ!
と、持之の御膳の上に見事に着地。こっちを見てニヤッと笑った。
「ぶっ!」
持之は汁を吹いた。
カニの汁を飲んでいたためか、泡まで吹いた。
「ひえっ!はえっ!違うます!違うんですっ!ごめんなさーーーい!!」
肝をつぶして腰を抜かした持之は、エビみたいに逃亡した。
猿楽に熱中していた実雅は、変な音に気づいて横を見た。
そこに義教はいたが、胴体しかなかった。
ずん!
胴体は倒れ、
こぽ、こぽ、こぽっぽ!
傾けた徳利のように血を噴き出した。
「!」
実雅は鎧武者の影に気づいて固まった。
とっさに目の前に置いてあった献上品の太刀に手を伸ばしたが、
バッサ!
「痛いー!う〜ん」
耳を切られて気絶してしまった。
義教の首を一刀ではねたのは、赤松家中随一の剛の者、安積行秀(あずみゆきひで)であった。
「曲者だ! 出会え出会えー!」
細川持春は果敢にも抜刀したが、
ガチャーン!
びゆーん!
「ギャー!」
腕を切り飛ばされてしまった。
「何をする!?」
「来るなら来やがれ!」
バッサン!
グッサン!
山名熙貴と京極高数も抵抗して斬られ、
「ちょっと落ち着こうや。なっ、なっ」
グリーン!グリーン!
「うーん」
大内持世は重傷を負った。
その他諸将は、
「どういうことだこれは!?」
「将軍が今度は俺たちをまとめてだまし討ちか?」
「そうじゃないだろ! 将軍は真っ先に死んでる!」
「誰が敵やら味方やら〜?」
「わけわからん!逃げろー!」
あたふたした挙句の我先逃亡であった。
みんなが逃げ帰った後、教康は富田邸へ満祐を呼びに行った。
義教の首を見せられて仰天した満祐は、門を固めさせて追討に備えたが、誰一人として将軍の敵討ちに来る者はいなかった。
「ここまで将軍が嫌われ者だとは思わなかった」
拍子抜けした満祐ら約七百騎は、自邸を焼き払うと、播磨本国へ悠然と帰っていった。
道々、多くの人々が「凱旋(がいせん)パレード」を目にしたことであろう。
安積行秀が太刀先に義教の首を高々と掲げて行進するのを見て、拍手喝采した人もいたかもしれない。
「見よ! 公方様のお首だ!」
「暴君が無様に死によった!」
「赤松様が悪将軍を退治して下さったのだ!」
「性具入道様、万歳ー!」
[2017年1月末日執筆]
ゆかりの地の地図
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