2.余裕の仏徒

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この暴力に満ちた世界
1.憤激の魔王
2.余裕の仏徒
3.太田口の戦

織田信長軍二万、津島口に着陣! 柴田勝家軍二万は太田口から、佐久間信盛軍一万は中筋口から来襲! 敵は総勢五万!」
 魔王の襲来に、長島願証寺第四代住職・証意
(しょうい。佐玄)は、
「ごっ、五万とな!」
 と、驚いたが、参謀・下間頼旦
(しもつま・しもずまらいたん)は武者震いした。
信長はアホじゃ!」
 外は朝から豪雨であった。
「この梅雨の季節に、この水浸しの長島に攻めてくるとは、自分から死にに来るようなものじゃ。信長は天の時、地の利、人の和をまったく無視しておる」
「だが、信長には『梅雨将軍』の異名がある」
 言ったのは斎藤竜興
(さいとうたつおき)
 斎藤道三の孫で、信長の前の美濃国主である。
 永禄十年(1567)、居城・稲葉山
(いなばやま。岐阜)城落城によって美濃から追放された竜興は、しばらくここ長島にとどまり、後に越前の朝倉義景を頼り、刀根坂(とねざか。刀祢坂。福井県敦賀市)の戦で散ることになるのである(「大雪味」参照)
 頼旦は思い出した。
「『梅雨将軍』か。桶狭間の戦
での勝利に由来するものじゃな(「最強味」参照)。フッ!過去の栄光など何の役にも立たぬ。ここ長島では豪雨は我々の味方じゃ」
「ですな。川の近くにあるこの辺りは雨が降れば地面がぬかるんでドロドロになり、進軍どころではなくなる。立ち往生しているところへ弓・鉄砲を撃ちかけられたら一巻の終わりよ」
 竜興は無能とされているが、案外切れ者だったという説もある。
「それじゃ」
 頼旦はニヤリとした。
「――今回は、織田軍に『泥沼地獄』を味わわせてやろうと思っておる」
「えげつないですな」
「それが戦というものですよ」
 軍議の輪には日根野弘就
(ひねのひろなり。「最強味」参照)もいた。これは竜興の旧臣である。
 別に旧主について回っているわけではなく、これ以前は駿河の今川氏真
(いまがわうじざね。義元の子。「銃器味」参照)に、今は浅井長政のところにやっかいになっていた。
 また、軍師も同席していた。
 石山本願寺から出張していた楠木正具
(くすのきまさとも)である。
 かの楠木正成
(「窮地味」参照)の末裔で、元は伊勢国司・北畠具教(きたばたけとものり)の家臣だったが、信長に領国を追われたため、石山本願寺を頼っていた。
 織田軍は陸路三方は封鎖しているが、南の海路
(伊勢湾)は封鎖できていない。そのため石山本願寺やこれに組する面々は、海路から人や武器や救援物資を長島へ送り続けているのである。
「近いうちに信長は必ず撤退する。撤退のスキを突いて奇襲を仕掛けるのが上策かと」
 正具は長島近辺の地図を広げた。
「いずれにせよ、三軍すべてを相手にするのは効率が悪い。どれか一軍に対し集中攻撃を加えるのがよろしかろう。攻め入る敵は三か所。津島口の信長軍、太田口の柴田軍、中筋口の佐久間軍。さあ、各々方。このうちどれを攻撃しますかな?」
「これっ」
 竜興は、迷うことなく柴田軍を指した。
「理由は?」
「柴田軍には憎き美濃三人衆
(西美濃三人衆)がいる」
 美濃三人衆とは、氏家卜全
(うじいえぼくぜん。友国・直元。美濃大垣城主)と安藤守就(あんどうもりなり。道足・伊賀範俊。美濃北方城主。「ロス味」参照)と稲葉一鉄(いなばいってつ。良通。美濃曽根城主)の三名のことである。
 そもそも竜興が美濃を追われたきっかけは、この三名が信長に寝返ったためであった。
 竜興はメラメラ恨みをよみがえらせて憤った。
「おのれ美濃三人衆!テメーらが裏切らなければ、オレは今でも美濃国主をやっていた!信長め!何が弟のカタキ討ちだ!オレのほうこそキサマに国を盗られたカタキ討ちだ!柴田もろとも美濃三人衆をぶっ殺してやるっ!」
 が、弘就が口を挟んだ。
「でも〜、柴田軍は織田軍最強。とても怖くて攻められませんよ〜。私なら弱そうな佐久間軍を攻めますけどね〜。兵力も半分ですしっ」
「ちなみに楠木殿はどれを?」
「拙者も柴田軍ですな。柴田軍が最強なのは攻撃時だけ。守勢に回った柴田軍は恐れるに足らず。一方、佐久間は「退き佐久間」といわれているほどの撤退上手。また、信長の撤退のすばやさについては、すでに金ヶ崎の退け口
(「大雪味」参照)で実証済み。つまり、信長軍と佐久間軍は攻めたところで逃げ失せられてしまう可能性が高い」
「なるほど。しかし、柴田はこれまで数々の戦で殿軍
(しんがり)を務めてきましたが」
「とはいえ大敗北時の殿軍はない。それにもう一つ、拙者が注目しているのは太田口の地形。太田口は西に山塊
(養老山地)、東に大河(揖斐川)があり、その間には細長い道しかない」
 頼旦は気づいた。
「ということは、その細長い道を通る大軍もまた、細長い行軍をするしかないわけじゃな?」
「いかにも。軍が細長くなれば、側面からの攻撃に弱くなる」
「ははーん。分かったぞ。柴田軍の退路の山中に伏兵を忍ばせておき、待ち伏せ攻撃を仕掛けるわけじゃな?」
「いかにも。山塊だけではなく、大河も利用する。対岸から早船を出し、柴田軍の側面目掛けて弓・鉄砲を撃ちかけて挟み撃ちにすれば、柴田軍は混乱し、勝家は覚悟を決めるしかなくなる。勝家は誇り高き男。そしてその性格が今回は命取りになる」
「ほう。されば勝家はおろか、勝家を助けようとして戦うであろう美濃三人衆の皆殺しも夢ではないと?」
「十分可能かと」
「うはははっ!」
 竜興は喜んだ。雄たけびを上げた。
「よーし、やってやるぞ!最強の柴田勝家美濃三人衆を失った信長に明日はない!これでオレが美濃に帰る日も遠くはなくなった!岐阜城はオレサマがいただきだっ!改築しようが豪華絢爛
(ごうかけんらん)に造りなおそうが、もともとあれはオレんちなんだ!ワッハッハ!信長の家来はみなオレサマにひざまずきやがれっ!」

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