3.太田口の戦 | ||||||||||||||
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「一揆勢は五、六万!陣形は『鶴翼(かくよく)の陣』!中央に下間三位法橋(ほっきょう)頼旦!左翼に服部(はっとり)党ら水軍勢!右翼に道場坊(どうじょうぼう)ら門徒勢!」
織田信長が津島へ着陣して以来、ずっと雨が降っていた。
信長は馬を進め、視界の悪い対岸を眺めて苦笑した。
「見よ!整然と軍旗が並んでいるではないか。烏合(うごう)の衆とは思えぬ」
時折、雨音に混じって鉄砲の音も聞こえた。
「しかもこの雨の中、ヤツラの鉄砲は湿っておらぬ。石山本願寺は三千丁の鉄砲を持っていると聞くが、そのうち何割かをここへ運んできているのであろう。鉄砲だけではあるまい。鉄砲の名手軍団・雑賀衆(さいかしゅう)も来ているのであろう」
いつしか雨が信長の怒りを冷まし、冷静さを取り戻させていた。
「この戦、余の負けよ。余は長島一揆を甘く見ていた。恨みが余をどうかさせていた。長居は無用。引き上げるぞ!」
信長は、家臣の湯浅直宗(ゆあさなおむね)と野々村三十郎(ののむらさんじゅうろう)に命じた。
「急ぎ柴田・佐久間に伝えよ。近くの村々に放火し、敵が火を消している間に撤退せよとな」
「ははあ!」
「承知!」
現在の養老山(岐阜県大垣市)周辺 |
信長軍は近辺の村々に放火すると、撤退を開始した。
柴田軍と佐久間軍もこれに習ったが、柴田軍には「招かれざる客」がいた。
撤退中、多芸山(たぎやま。養老山。岐阜県養老町・大垣市)を通りかかったときに一揆軍の待ち伏せにあったのである。
「あれなるは金の装束の馬印!柴田修理亮勝家じゃー!者ども、鬼柴田を討ち取れば大手柄よ!かかれーっ!」
「わー!」
「でやー!」
「鬼の首を取るぞー!」
だんだーん!
ピュン!ピュン!ピュン!
ちゃーん!ちゃーん!
思わぬ奇襲に柴田軍は混乱した。
「敵襲ー!」
「ちょっと待っち!鎧(よろい)、生着替え中〜」
「おう!馬が埋まった!」
「鉄砲はどこだっけ?ア!火縄、湿ってる〜!」
それでも勝家は動じなかった。
「うろたえるなー!敵は小勢じゃー!」
叫びながら群がる敵をバッタバッタと切り伏せた。
それにしても乱戦である。
混乱のさなか、
「やた!いただきっ!」
金の装束の馬印が敵にかっぱらわれてしまった。
「ああっ!勝家さまの馬印があー!」
「何たる屈辱!」
「取り返せー!」
「ちょっくら私が行ってきます!」
何とか小姓・水野次郎右衛門(みずのじろうえもん)がフウフウいって取り戻してきた。
一方、川からも攻撃があった。
ジャン!ジャン!ジャン!
どん!どん!どん!
ババババババババ!
ひゅん!ひゅん!ひゅん!
鐘や太鼓を打ち鳴らしながら水軍の早船六十艘(そう)が来襲、雨あられと弓・鉄砲を撃ちかけてきたのである。
うち弾一つがたまたま勝家の玉近くの太ももに命中した。
ぼすっ!
「痛っ!上等じゃねーか!撃ってきたのはどいつだあー!?」
なおも暴れる勝家のところに、安藤守就が気づいて入れ代わった。
「柴田殿!我らは無傷、殿軍は我らに任せて逃げられよっ!」
「分かった」
勝家、存外素直に逃亡した。さすがに痛かったのであろう。
喜んだのは一揆軍の斎藤竜興である。
「出たな美濃三人衆の一人、安藤伊賀守守就っ!勝家なんてどうでもいい!にっくき安藤は必ず討ち取れーっ!」
「わー!」
「一発必中!」
「安藤さん、死んで〜!」
チャリーン!
バシ!ドカッ!
「むう!」
まもなく守就も手傷を負ったため、
「もうダメ、交代〜」
「分かった。今度は私が相手だー!」
同じく美濃三人衆の一人・氏家卜全が登場した。
これには竜興、二度喜んだ。
「今度は氏家常陸介卜全が出てきたぞ!やっちまえー!」
「行くぞー!」
「卜全倒すのボクだぜーん!」
しばらく一揆軍と交戦すると、卜全はヘトヘトになった。
「よし、十分戦った。誰かと交代してもらおー」
ところが、交代要員の市橋利尚(いちはしとしひさ)と丸毛長照(まるもながてる)は、
「ごめんなさーい!」
「ボクは死にましぇーん!」
と、とっくの前に逃げた後であった。
しかも、今まで一緒に戦っていた地侍の太田甚兵衛(おおたじんべえ)なる者が、
「おいらはまだ死にたくねえから、今から一揆の味方だー!」
と、突然裏切って切りかかってきたのである。
「何てことだ……。敵だらけになっちまった……」
卜全はジリジリと沼地に追い込まれ、ぬかるみにはまってしまった。
どっぱーん!
「しまった!」
どろ!どろろん!ぬぷぬぷ!
「ありゃ、立てない!」
ばたたん!ばたたん!べたべた!どろどろりーん!
卜全はもがいたが、泥中のドジョウのようにのた打ち回っているだけであった。
「殿!」
「卜全さま!」
「みんなで助け出せーっ!」
種田兼久(おいだかねひさ。美濃三塚城主)・種田正元(まさもと。美濃今宿城主)・西堀勘兵衛(にしほりかんべえ)・桑原右近(くわばらうこん)・河村孫兵衛(かわむらまごべえ)ら家臣十人余りが主君を助け起こそうとしたが、その間に周りをすっかり敵に取り囲まれてしまった。
「やべえ!」
「逃げ場がない!」
竜興は三度喜んだ。
「氏家卜全の命運、ここに尽きたり!」
彼は用心して遠巻きで卜全に呼びかけた。
「氏家!オレの顔を見忘れたかーっ?」
見忘れるわけがなかった。
「なんと、こんなところに竜興さま……。おなつかしや〜」
「オレは今、一揆軍の中心として戦っている!氏家!主君を裏切った報いだ!家臣の命は助けるが、おまえはここで死んでもらおう!他の者はジャマだから、どいてなっ!」
だが、種田ら家臣たちは聞かず、ずっと卜全のそばにいた。
「私は最期まで主君をお守りいたします!」
「卜全さまは誰にも殺させません!」
「来るなら来なさい!」
「死ぬのはあんたのほうですよ〜」
「クソッ!」
竜興はおもしろくなかった。
「何だ何だ何なんだこれはっ!オレはかつてこの卜全に裏切られたのだ!コヤツのために、国もカネも女も家臣もすべてを失ったのだっ!そんなかわいそうなオレの前で、みんなしてお涙頂だいの忠臣ごっこをするんじゃねえー!ああ、おもしろくねえ!氏家以外は、みんなどけやあー!」
「どきません!」
「忠臣ごっこではありません!私たちは本気なのです!」
「卜全さまは我が主君!」
「卜全さまはみなの希望の星!」
「かけがえのない唯一のお方!」
「我らが命そのもの!」
「いいやっ、どんな言葉を並べても、それらすべてが軽く感じられる永遠に大事なお方!」
「ワーッ!言うなー!だまれーっ!」
ババババババババババババババババババババ!
皆殺しであった。
沼地は血の海と化し、殺戮(さつりく)現場には霧雨と混じって硝煙が立ち込めた。
時に元亀二年(1571)五月十二日(十三日または十六日とも)。
卜全の享年は五十九(異説あり)。
美濃石津(いしづ。岐阜県海津市)に「卜全塚」という供養塔が残っている。
卜全と家臣たちに鉄砲の嵐を浴びせたのは竜興ではなかった。
しびれを切らせた頼旦であった。
竜興は怒った。
「なぜ撃った? オレはまだヤツラと話していたのにっ」
頼旦は冷笑した。
「貴殿が国を追われた理由が分かった」
* * *
第一次長島一向一揆攻めは織田軍の惨敗であった。
この年、信長は矛先を変え、悪名高き「延暦寺焼き打ち」を行うのである。
(「泥沼味」へつづく)
[2011年8月末日執筆]
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