2.病人の命も大切だ | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2020>令和二年9月号(通算227号)病気味 御手代東人の願望2.病人の命も大切だ
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東人は満誓に連れられて粟田真人女の豪邸に向かった。
真人女の豪邸は大和の広瀬(ひろせ。奈良県河合町)にあった。
ちょうど彼女の兄の粟田人上と粟田必登が見舞いに来ていた。
「よう!」
満誓は必登に声をかけると、東人を盛って紹介した。
「とうとう妹御の病を治してくれる敏腕祈祷師(きとうし)を見つけてきましたぞ。この方が吉野山で一、二を争う法力の持ち主、東人先生だ」
「そうですか、それはありがたい」
人上も喜んだ。
「妹は離れで寝ております。どうぞこちらへ」
東人は別殿に案内された。
近づくにつれ、ムンムン熱気が漂ってきた。
(女だ!)
東人は興奮した。
(こ、こっ、これは……、間違いない! 美女の匂いだ!)
長年山籠りしていた東人は、過度に敏感になっていた。
「はあ、はあ」
真人女はあえいでいた。
どたん! ばたん!
時折、苦しそうに寝返りを打つたびにあられもない姿になった。
「すみません、このような格好で」
下女が衾(ふすま。掛け布団)をかぶせ直して謝った。
人上や必登は目のやり場に困っていたが、東人はまばたきも惜しんでしっかり見ていた。
「いいですよ〜。病気なのですから仕方ありません。患者を責めないでくださ〜い」
冷静に言ったつもりだが、声が上ずっていた。
(うおお! 何ということだ! 私が妄想していた以上のぶっ飛び美女ではないか!
これこそ観音様の御加護! ううう、たまらん! 早く嫁にしてぇー!)
「先生、治せますか?」
必登に聞かれて東人は我に返ると、せき払いして断言した。
「やりましょう!」
そして、心の中だけで続けた。
(必ずや病気を治して私の嫁にしてみせます!)
東人は興奮しながら真人女の腕を触った。
「それではちょっと失礼して、脈を取りますね〜。おおっ! めっちゃドクドクいってる!
相当お悪いですなこりゃ」
必登が指摘した。
「先生。それ、御自分の腕ですけど」
東人は失敗に気がついた。
「あ! あははは! 道理でドクドク言い過ぎてると思ったぜー」
「何で?」
「いえ、こっちの話です。改めて脈を診ますねー。あー、そうです。これが女人の手です。やわらかーい」
「大丈夫か? この先生」
人上が不安がったが、満誓が、
「大丈夫です。ちょっとそそっかしい方ですが、法力は最強なんで」
と、フォローした。
東人はもっともらしく陀羅尼経(だらにきょう)の呪文を唱えた。
何度か唱えた後、チッと舌打ちしてぼやいた。
「どうも周りに人がいると集中できませんね〜」
満誓が気を遣って立ち上がった。
「では、我々は外に出ましょうか?」
「そうですな」
「気づきませんでした」
人上と必登も続いて外に出た。
東人は最後まで残っていた下女にも促した。
「少しの間だけです。あなたも外に出てください。何かあったら呼びますから」
「そうですか。ではよろしく頼みますね」
下女も出ていくと、別殿には東人と真人女の二人っきりになった。
(こうして邪魔者はいなくなった……)
静けさがニヤニヤをこみ上げさせた。
(私は呪文を唱えることを口実にして、しばしの間、心置きなく美女の寝姿を鑑賞できる。ぐふふっ!)
初めは興奮しまくっていた東人も、陀羅尼経の呪文を唱えているうちに落ち着いてきた。
時折、真人女をみやって、
(うつくしーい)
と、ほうけながら、至福の時を感じていた。
(何という満ち足りた時間と空間であろうか? 願わくば、ずっとこのままでいたいものだ……)
その時、真人女が目を覚ました。
「どなた?」
「先生ですよ」
「何の?」
「あなたの病気を治しに来ました」
「昨日までの先生とは違いますわね?」
「ええ。私は今日からの担当です」
「そう。今度の先生は涼やかな先生――」
「ですか」
「昨日までの先生はブサイクで気に入らなかったから、病気がひどくなったふりをしちゃったわ」
「悪い方ですね」
「今日はもう、そんなふりをしなくてすみそうです」
「なぜですか?」
「なぜでしょうか?」
「仮病だったんですか?」
「病気には違いありませんけど、ひどさの程度は調整できます」
「何のために?」
「あたしは箱入り娘です。変な虫がつかないように、常に周りから監視されているのです。こうやって自分で『有事』でも作らなければ、オトコを招き入れる機会はできません」
「ということは、私は招き入れられたんですか?」
真人女は答えなかった。起き上がろうとして、バタッと倒れた。
「大丈夫ですか?」
東人が抱き起した。
「く、苦しい……」
真人女はもだえた。
「どこが苦しいんですか?」
「心が苦しいの〜」
「え?」
「こんなところにあたしの心をもてあそぶ人がいるんです〜」
「!」
「もてあそんでばっかいないで、早く法力で治しちゃってください!」
「はいはい」
東人が陀羅尼経を広げると、真人女がバーンと弾き飛ばして言い放った。
「いじわるっ! 違うでしょ、それは! そんなの、イカサマなくせにっ! イカサマはいいから、本心を見せてよっ!あたしが何も知らないとでも思っているの?
さっきからずっとずっと薄目を開けてあなたの様子を見ていたんだからっ!」
東人は腹をくくった。
「ばれてりゃ仕方ないな。じゃあ、本当に本気を出していいんだね?」
「望むところよっ!」
「行くぞー!」
東人は飛んだ。
「きゃー!」
真人女は受け止めた。
「騒がしい後に急に静かになったが、どうした?」
不思議がった必登が別殿の様子をのぞきに来た。
そして、裸で抱き合っている二人を見て聞いた。
「何をしているんだ?」
東人が飛びのいて、香炉(こうろ)で前を隠しながら答えた。
「何って、治療に決まっているじゃあないですか〜」
「そんな治療があるかぁ―っ!!」
人上も続けて入ってきて激怒した。
「けしからん! この色ボケニセ祈祷師をふん捕まえて懲らしめろ!」
「当然のことですともっ!」
人上と必登は真人女を外に引っ張り出すと、東人をなぐって蹴ってふん捕まえてそのまま別殿に閉じ込めてしまった。