3.天 狗 | ||||||||||||||
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天明五年(1785)八月二十一日夜、岡山城下にある旭川の河原にて、チンピラ野郎やいけ好かねえ女らが夜宴を開いていた。
チンピラ野郎は杯を重ねて上機嫌だったが、気づいて聞いた。
「おい、幸吉のヤツはどうした?」
いけ好かない女が酒を注ぎながら答えた。
「来ないって」
「へん。付き合いが悪いヤツだ」
チンピラ野郎の舎弟も同じた。
「あいつ、最近変ですよねー。そうそう、例の天狗騒動のあたりから」
「ああ、天狗になり損ねて骨を折ったとかいう」
「バカですよねー、天狗になんてなれるわけないのに」
「そもそも天狗なんてもんがこの世に存在するのか?」
「さあ〜?見たことないです〜」
「いたら、お目にかかりたいもんだな」
「そうですよ」
チンピラ野郎は立ち上がった。いい具合に酔いが回っていた。
「天狗!出てこいっ!出てきて、俺様と相撲で勝負しろ!」
一同はどっと笑った。
「やい、天狗!出てきやがれ!」
「来ないんかよ!」
「どうやら親分を怖がって出てこれないようです〜」
「へん!もともと天狗なんていねーよ」
「いなかったら、出てきたくとも出てこれないですよね〜」
「そーだよなー。あはははは!」
チンピラ野郎は座ろうとした。
が、中腰のまま固まってしまった。
「いた」
チンピラ野郎はガタガタ震えた。
「はあ?」
一同は首をかしげた。
「マジで、天狗が、いた……」
チンピラ野郎は旭川にかかる京橋の方を指さした。
一同はいっせいに京橋を見た。
現在の京橋周辺(岡山市北区) |
月の下、橋の上に物影があった。
大きな翼を広げたような、巨大な影であった。
「な、な、なんだあれは?」
「まっ、まっ、まさか……、本物の天狗!?」
舎弟が動揺しているみんなを安心させようとした。
「イタズラに決まっているじゃないですか!人間が翼みたいなのを持って立ってるだけですよ!」
いけ好かねえ女はハッとした。
「アイツ、まさか……」
巨大な影は京橋の欄干の上にスッと立った。
「なんだ?なんだ?」
かと思ったら、宙に浮いた。
ふわっ!
「飛んだぞ!」
「何てことだ!」
ふわ!ふわ!
「しかも飛び続けている!落ちてこない!」
「うへえ!やっぱり人間じゃねえ!」
ふわ!ふわ!ふわわわ!
「天狗だ!本物の天狗が出たんだーっ!」
「怖ぇぇ〜!親分が怒らせたからだ〜!」
影はスーッとこっちに迫ってきた。
一同はパニックになった。
「ぎゃあ!こっち来たぁぁぁー!」
「食われるぅぅぅー!」
「逃げろぉぉぉー!」
一同は蜘蛛(くも)の子を散らしたように逃げ去ってしまった。
ずっちゃーん!
川に落ちた影は、ジャバジャバと上陸し、宴の後に登場した。
影とは言うまでもなく幸吉であった。
幸吉は前回をしのぐ五間四寸(約九メートル)×六尺一寸(約二メートル)の「グライダー」で川の上を数〜数十メートル滑空したのであった。
幸吉は愉快であった。
「うはははは!ざまあみろだ!ヤツらの逃げっぷりは痛快だったぜー!」
幸吉は戦利品とばかりに、彼らが残していった酒や御馳走をたらふく飲み食いしてから帰宅した。
おもしろくないのはチンピラ野郎たちである。
「なんだ。幸吉のいたずらだったのか。このままですむものか!」
チンピラ野郎らは奉行所に訴えた。
「表具師の幸吉が天狗に化けて我々を驚かし、食い逃げまでしました」
そのため幸吉は逮捕され、牢屋(ろうや)にぶち込まれた。
幸吉の話は岡山藩主・池田治政(いけだはるまさ。「池田氏系図」参照)の耳にも入った。
「ほう、空を飛ぶとは、命知らずのヤツもいるもんだ」
筆頭家老・伊木忠福(いぎただとみ)が皮肉を言った。
「殿も十分命知らずですけど」
この年、治政は寝所に忍び込んだ有名盗賊・田舎小僧(いなかこぞう)を自ら追い回して捕まえようとしていた。
また後年、松平定信の寛政の改革に反抗、江戸町民にこんな狂歌を詠まれたことでも知られている。
越中(松平定信)が越されぬ山が二つあり 京で中山(中山愛親)備前岡山(治政)
「いひひっ!幸吉とやら、存外余と気が合うかもしれぬな。会って話してみたいものじゃ」
「おやめください。ヤツのしたことは愉快犯であり、食い逃げ犯なんです。我欲のために無益な殺生をすることも感心しません。奉行所の中には死罪にすべしと声も」
「そうまでせずともよい。そうじゃ。岡山から『所払い(追放)』じゃ。決定!」
こうして幸吉は治政の計らいによって牢屋から解放されたという。
幸吉は引っ越し先の駿府でも凧(たこ)を使っての飛行実験を敢行し、再び所払いにされたという。
その後は遠江見附(みつけ)に住み、弘化四年(1847)に没したという。
[2014年2月末日執筆]
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参考文献はコチラ
※ 幸吉は駿府での飛行実験後に処刑されたという説もある。
※ 幸吉は入れ歯作りも得意で、あの清水次郎長も彼の入れ歯を愛用していたという。
※ 平成九年(1997)、旧岡山藩主池田家当主・池田隆政(いけだたかまさ)は、幸吉の「所払い」を解いたという。