★ ネコとキツネのあんなコト | ||||||||||||||
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あたいはネコ。
年は内緒。ヒトでいう女盛り。ネコでいうメス盛り。三十路の女。
ミソジ!
嫌な言葉だわ。あたいだって、好きで年取ったわけじゃないんだから。
恋だってネコ並みにしてたわ。ずいぶん昔の話だけどね。
うん。かっこいいオスネコだった。茶色いシマシマのネコ。特に、走っている姿が好きだった。
「こっちへ来いよ!」
彼は呼んだわ。
「うん!」
あたいは走ったわ。彼のもとに。
でも、彼は速すぎて追いつけなかった。
「何してんだよ! 早く来いよ!」
彼が走りながら振り返って言うけど、トロいあたいの足がついていかない。
でも、後から思えば、追いつけなくてよかった。
「危ない!」
キキーッ!
「フギャッ!」
ぼて。
前方で立て続けに変な音がした。
人力車が走り抜けていった後に、彼の血まみれのカラダがあった。
「どうしたの?」
彼はねそべっていた。ぐったりしていた。動かなかった。何も答えてくれなかった。
あたいは泣いたわ。次の日も次の日も、彼のそばでニャーニャー泣き叫んでいたわ。
「かわいそうに」
見かねたヒト様があたいをつまみ上げた。
あたしはもがいたけど、ミカンの箱に詰め込まれ、自転車で連れ去られた。
「着いたぞ、ネコちゃん」
しばらくして、あたいは箱の中から出された。
あたいを連れ去ったのは、加藤源太郎(かとうげんたろう)というヒト様。
鵜の木村(現在の東京都大田区)というところの農家のお方。
「何を連れてきたの!」
奥様は嫌な顔をしたが、お子様たちは喜んで集まってきた。
「うわーい。ネコだ! ネコだ!」
御主人様、エサを入れたどんぶりを持ってくる。
「ほら。ネコマンマでも、食え」
あたいは食べなかった。部屋のすみっこで小さく縮こまっていた。
でも、空腹にはかなわなかった。恐る恐る一口二口と食べているうちに病み付きになった。
(おいしい! ゴロゴロ言うほどおいしいわ!)
あたいは食べた。食べまくった。
昼も夜も食べた。翌日も翌々日も食べた。
いつしか御主人様の顔をみると、エサをおねだりするようになった。すりすりすねにすり寄るようになった。奥様やお子様たちの御機嫌も取るようになった。
「かわいいやつめ」
御機嫌を取れば取るほど、御主人は無理してカツオやらマグロやらおいしいものを買ってきてくれる。
「ふにゃぁ〜ん」
あたいは満足だった。おいしいものを食べ、ヒト様とたわむれているうちに、彼のことなんて忘れた。
こうして五、六年の月日が流れた。
あたいはすっかり加藤家のヒト様たちになじんでいた。
平凡で平和な毎日。いつしか「恋」を忘れ、「食」だけに執着するようになっていた。
(今夜の御飯は何かしら?)
昼寝の夢も御飯の夢。一日中ゴロゴロして、のどもゴロゴロ鳴らして、お子様がいれば、お子様の遊び相手をしてあげる。
(こんなことでいいのかしら?)
いいのよ。あたいはおいしいものを食べて寝て転がって、たまに起きて遊んでいればいいのよ。ずいぶん太ったけど、関係ないわ。昔のように軽やかに走れないけど、いいのよ。どうせあたいを呼ぶ彼はいないんだし。
ちょっと悲しくなったが、御飯の空想で紛らわした。土佐のカツオと焼津(やいづ。静岡県焼津市)のマグロがあたいの餌食(えじき)になっていた。
その日、あたいは夢とうつつの間をさまよいながら縁側でゴロゴロしていた。
日が西に傾きかけた頃、不意に、
「こっちへ来いよ!」
と、だれかが呼んだような気がした。
「ふにゃ?」
あたいは耳を立てて薄目を開けた。
首を起こして庭を見回したがだれもいない。
「気のせい?」
気のせいではなかった。
次の瞬間、庭先を茶色の動物がさっと通り過ぎていった。
(まさか、彼?)
目を見開いた。しきりに顔を洗った。
そんなはずはないわ。彼は死んだはずよ。
茶色の動物が立ち止まって振り返った。
その顔は、明らかに彼の顔とは異なっていた。彼よりも釣り目で尻尾(しっぽ)が長くてスタイルが良かった。
と、言うより、そいつはネコではなかった。キツネだった。
「なんだ。キツネか」
あたいはがっかりした。
でも、キツネのほうは様子がおかしかった。あたいを見て、なぜか顔を赤らめた。そして、とんでもないことをほざいた。
「かわいい!」
あたいは耳を疑った。
(え、今、何て言ったの?)
あたいはつぶりかけた目を開いた。
キツネは遠巻きに後戻りし始めた。一歩一歩、ゆっくりゆっくり、走り抜けてきた道のりを後戻りしてきた。あたいの顔をじっと見つめながら。
(なに、こいつ)
あたいは身構えた。
キツネはあたいの近くまで戻ってくると、あたいの顔をのぞき込むようにして、確認するように言いやがった。
「やっぱり、かわいい!」
「フギャーッ!」
あたいは毛を逆立てて威嚇(いかく)した。
キツネは逃げた。庭の隅まで逃げて振り返った。そして、「ふふん」と笑って言い残した。
「でも、デブ」
あたいはむかついた。最後の一言と笑みにはやたらと腹が立った。
追いかけて引っかいてネコパンチをお見舞いしてやろうかと思ったけど、キツネはすばやく姿をくらましてしまった。
その日以来、キツネは毎日夕方になると、姿を現すようになった。
縁側でゴロゴロ寝ているあたいを、ジロジロ横目で見ながら通り過ぎていくのだ。そして庭の隅まで行くと、「ふふん」とバカにしたような笑みを残して去っていく。
(なんなのよ、アレ!)
あたいはキツネを無視することにした。ネコだけど、タヌキ寝入りをしてやった。
それでもキツネが前を通ると、やっぱり気になって薄目を開けてしまう。そして「ふふん」と笑う憎ったらしい顔を目にしてしまうのだ。
(あたいがデブなのがそんなにおもしろいわけ?)
あたいはキツネを見返すために、やせてやろうと決心した。
それ以来、あたいは小食になった。
それまでは出されたエサは出されただけ食べ尽くしていたが、それからは少しずつ残すようになった。
御主人様は心配した。
「体調が悪いのか?」
ダイエットしてるのよ。かまわないで。
半月ほどであたいはやせた。彼と一緒に走っていた頃のスマートなネコに戻ることができた。
キツネが来たとき、わざと見せつけるように背伸びしてやった。
キツネは無表情だった。今日は「ふふん」と笑わなかった。明らかに、あたいがやせたことがおもしろくなさそうだった。
(いい気味だわ)
あたいはせいせいした。
(でも、もう来ないかも――)
それはちょっと寂しかった。
翌日もキツネはやって来た。
「あら」
半分は期待が外れた。
いつものように薄目を開けて寝そべっていると、キツネがそばに寄って来て、口に加えていたものをドサッと落として勧めた。
「食べろよ」
あたいは起き上がった。
それはトリだった。まだ湯気の立っている、殺したてほやほやの野鳥だった。
キツネは言った。
「このごろ、満足に食べてないんだろ。エサもらってないの? どんどんやせていくじゃない」
「余計なお世話よ。あんたに心配される筋合いはないわ。キツネなんかに」
「キツネって、きらいなんだ……」
キツネは寂しそうだった。
あたいはちょっとかわいそうになった。せっかくなのでトリを一口食べてやった。
いや、一口では収まらなかった。二口、三口とパクパク食べた。
「おいしい! なんておいしいの、このトリ!」
結局、全部平らげてしまった。
あたいが満足してペロペロ自分の全身をなめまわしているのを見て、キツネがうらやましそうに言った。
「僕もなめたい」
「なんか言った?」
「ううん。なんでもない。――あ、そうだ。よかったら今度、一緒にトリ捕りにいかない? 捕りたてはもっとうまいよ」
キツネは相当鼻息が荒かったけど、あたいは食い意地が勝ってうなずいた。
それ以来、あたいはキツネとよく狩りに出かけるようになった。
トリだけではなく、魚を捕りに行くこともあった。
そのうちに、何も用がなくても、なんとなく彼と逢うようになった。
キツネと一緒にいると、楽しかった。
そのうちに、
(こいつはあたいと逢ってないときは、だれと何をしているんだろう)
と、気になるようになった。絶えず彼と逢っていないと落ち着かないようにまでなってしまった。
(どういうこと?)
あたいは疑問に思った。考えなくても分かっていた。
彼はかっこよかった。
「こっちへ来いよ!」
彼は呼んだ。
「うん!」
あたいは走った。彼のもとに。
あの時と一緒だった。
そう。あたいはあの時、恋をしていた。今と同じく、キュンキュンばら色だった。
(じゃあ、彼もそのうちに死んじゃうのかしら……)
嫌だった。彼と別れることなんて考えたくなかった。彼なしのネコ生なんて、自分にはもう考えられなくなっていた。
あたいの恋は、まもなく加藤家のヒト様たちにも発覚した。
まず、御主人が気づいた。
「ネコのヤツ、このごろ夕方になるとそわそわ落ち着かなくなって、どこかへ出かけていくようだ。どうしたんだろう?」
奥様が、不自然にあたいがニヤニヤしているのをみて感づいた。
「ははあん。あれはオトコを待っている顔よ」
「オトコ! そうか。そういうことだったのか――」
ある日、気になった加藤家のヒト様たちは、こぞって縁側のそばのタンスの後ろに隠れて、あたいの様子を監視した。
日暮れ近くなると、あたいはそわそわし始めた。
(いよいよ来るわ)
(どんなオスネコが来るんだろう)
すると、キツネがやって来た。
「ふにゃ〜あん」
あたいは喜びの声を上げてキツネについていった。
ヒト様たちは唖然(あぜん)として顔を見合わせた。
「まさか、彼氏はキツネだったなんて――」
お子様が尋ねた。
「ねえねえ、ネコとキツネの子供って、どんな子が生まれるの? キツネコ?」
奥様は計算高かった。
「高く売れるわよ〜。ヒッヒッヒ!」
ある夕方、彼はいつもよりまじめな顔をしてやって来た。
「今日は、会って欲しいキツネがいるんだ」
「会って欲しいキツネ?」
「そう。僕の両親」
それが何を意味するかは、あたいも分かっていた。
彼は言った。
「いきなり両親だと緊張すると思うから、その前に僕の友達に紹介するよ」
「分かったわ」
あたいは彼についていった。
待合わせ場所に彼の友達は待っていた。
「よう」
「久しぶり〜」
彼はあたいを紹介した。
「彼女のネコです」
あたいもお辞儀した。
「初めまして。ネコです」
彼の友達は顔を見合わせた。
そして、一人がプッと吹き出すと、みんなで大笑いした。
「それって、マジでネコじゃん!」
「ネコが彼女だってよ!」
「パーか、おまえ!」
「アハハ! おかしー!」
彼は怒った。あたいの腕を引っ張って、早々とその場を後にした。
彼は謝った。
「悪かった。あんなのは友達じゃない。幻だよ。何も見なかったことにして」
あたいは笑った。
「気にしてないわよ」
「こんなことなら初めから両親に紹介すればよかった」
彼はあたいを自宅に連れて行った。
居間で彼の両親が待っていた。
「今日は彼女を連れてきました」
「ほう、そうか」
彼はもういい年になっていたため、彼の父は喜んでいるようだった。
彼の母も笑顔だったが、
「彼女です」
彼があたいを紹介するなり、二人の笑顔は止まった。硬直した。
彼はかまわず続けた。
「僕たち、結婚しようと思っています」
彼の父が怒った。
「おまえ、変態かっ!」
それでも彼は言い張った。
「僕はこのネコを愛しています! だれがなんと言おうと、結婚するつもりです」
彼の母は泣き崩れた。
彼の父はどなった。
「出て行け!」
売り言葉に買い言葉。
「出て行くとも!」
彼とあたいは荒野をさまよった。何日も何日もさまよった。
げっそりやつれて、彼が言った。
「どうしてみんな、僕たちの恋を理解してくれないんだろう?僕は真剣なんだ。こんなにまで君を愛しているのに……」
彼は泣いた。
あたいは慰めた。
「だれにも理解されなくったって、いいじゃない。あたいたちの気持ちが通じ合っていれば、それ以上のことはないわ」
しばらく彼は黙っていた。そのうち、とんでもないことを口にした。
「僕たち、もう別れよっか」
「いや! それだけは絶対、いやっ!」
「だって、このままずっと荒野をさまよっているわけ? こんなんじゃ、生活できないじゃないか」
「できなくってもいい。あたいはあなたと一緒にいたいの!一緒にいるだけでいいのよっ!」
「……」
彼とあたいは古井戸のところにたどり着いた。水を飲もうと古井戸をのぞいたけど、水がかれてしまっていた。
それしても、深い井戸だった。
底が見えないくらい、深い深い井戸だった。
彼とあたいは井戸をのぞいて言い合った。
「こんなところに落ちたら、死ぬね」
「そうだね。間違いなく、死ぬよ」
「死んだらあたいたち、いつまででも一緒だわ」
「うれしいな。楽しいな。でも、痛いだろうよ」
「痛くてもいいわ。その後に永遠の天国があるのなら、一瞬の痛みなんて、すぐに忘れるわ」
「そうだね。『痛い』より、『いたい』ね」
二匹は笑った。見つめ合った。無言で手を取り合った。そして、古井戸の中にうれしそうに飛び込んでいった。
二匹の心中が新聞ざたになったのは、明治十七年(1884)五月二十四日のことである。
[2002年8月末日執筆]
ゆかりの地の地図
参考文献はコチラ