3.近寄りがたき貴人 | ||||||||||||||
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あっしはどんどん男に近づきました。
男に気づいた様子はありません。
あっしはうれしくなりました。
「へっ、○○ちゃんのことで頭ん中がいっぱいなんだろう。バカタレめが」
あっしは刀の柄に力を込めました。
もちろん、殺すつもりはありません。脅すだけです。身包み置いていけば、命にまで用はありません。相手が女や少年であれば、場合によっては「他用」もありますが、今回はオヤジです。
男との距離はますます近くなりました。
すぐに飛び掛ってねじ伏せられるほどまで接近しました。
それでも男は気づく様子がありません。
歩き方や歩幅が変わることもなく、悠然と笛を吹き続けているんです。
(よし、今だ!)
あっしは飛びかかろうとしました。
でも、できませんでした。
なぜか飛びかかるタイミングが取れないんです。
(なんてこった……)
あっしはわかりませんでした。
男の歩みにまったく変化はありません。
チャンスは何度でもあるんです。
タイミングが取れないはずはないんです。
それなのにあっしは、長縄跳びに入れずに立ちすくんでしまった子供のようになってしまったんです。
(クソッ!)
あっしに疑念が生じました。
(ひょっとして、こいつはあっしに気づいているのではないか……)
そんなら、この落ち着きようは何なんでしょうか?
物騒な刃物を持った屈強の男につけられているのに、こんなにも落ち着いた態度が取れる人間が、この世の中にいるんでしょうか?
あっしは恐怖しました。
今まで感じたこともない、すさまじい悪寒に襲われました。
(いるわけがない!)
あっしはまとわりつく恐怖を振り払いました。信じようとしませんでした。
(違う!こいつは気づいていない! 気づいているはずがないではないか!)
あっしはいつものように自分に暗示をかけました。
(落ち着け。あっしは最強だ! この世の中には誰一人としてあっしにかなう者はいないのだー!)
――「この世の中のもの」ではなかったとしたら?
新たな疑念が再びぞわぞわ言い知れぬ恐怖をよみがえらせました。
(違うー! そんなもんはいないんだー! あの世なんてないんだー! 地獄なんて存在しないんだー!
そんなもんありやがったら、あっしはとんでもないことになるじゃないかー!
クッソー! 認めんぞー! あっしは絶対にそんなもんは認めんぞーっ!!)
男との間隔が空きました。
男に変化がないので、こっちの歩みが遅れたことは明白です。
(ふん。天下の大悪党ともあろうオレサマが臆(おく)したか……)
あっしは足を速めました。
(あっしは血も涙もないワルなんだー! 史上最強なんだー! こんな色ボケキザ野郎なんかに負けてたまるかーっ!)
男との間隔はすぐになくなりました。
ついで男を追い抜きました。
そうです。あっしは作戦を変更したんです。