4.貴人の正体 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2007>4.貴人の正体
|
あっしは男の前に飛び出しました。
さすがに男は立ち止まり、笛を吹くのをやめました。
あっしは刀身を突きつけて脅しました。
「悪いことは言わぬ。身包み脱いで置いていけ!」
あっしは大声でそう言い放ちました。
そうです。これで男はびびるはずです。
が、男はたじろぎませんでした。
まっすぐに見返して尋ねてきました。
「何者だ?」
あっしは驚きました。あっしのほうがたじろぎました。
「なっなっなっ、ナニモノだぁ〜!? きっ、貴様ー! 今、自分が置かれている状況がわかっているのかーっ!」
男はフッと笑うと、重ねて聞いてきました。
「何者だ? そこそこのワルと見たが――」
「そこそこ〜!?」
あっしは確信しました。
そうです。やはりこいつは気づいていたんです! 始めからすべてをお見通しだったのです!
あっしはこの男を追い詰めていたのではありませんでした。逆にこの男に追い詰められていたんです!
あっしの恐怖は極地に達しました。
(くぅ〜! しくじったか……)
どうしようもありませんでした。あっしはその場にへなへなとへたり込んでしまいました。もう観念するしかありませんでした。
「へい。お察しのとおり、あっしは泥棒です。袴垂と申すものです」
男は言いました。
「名前は聞いたことがある。私について参れ」
逃げられるはずがありませんでした。
あっしは男についていきました。
男の豪邸の中に入っていきました。自邸なのでしょうか?
それとも女の邸宅なんでしょうか?
(それにしても、盗みがいのある豪邸だわ〜)
職業柄、思わずそう思ってしまったあっしの顔を見て、男はニヤリとしました。
あっしは頭を振ってやましき思考をフッ飛ばしました。
(わー! 変なこと考えるなー! この御仁はすべてお見通しなんだー!)
「おかえりなさいませ、あなた」
妙齢の女が迎えました。あっしの顔をちらと見て尋ねました。
「こちらのぼうやはどなた?」
男が答えました。
「ドロボーよ。本物だぞ」
女はクスリと笑いました。
「それはようございました。ヒッヒッヒ!」
あっしは恐怖しっぱなしでした。
(こいつら、化け物夫婦か!)
あっしは後にその女の正体を知りました。
その女こそ、かの恋多きうかれ女流歌人・和泉式部だったのです!
男はあっしに一着の着物をくれました。
「これからは人を襲うようなことはするな。襲いたくなったら、遠慮なくここに来るように」
「へ、へい。ありがとうございましたー。おじゃましましたー」
あっしは逃げるように早々と豪邸を後にしました。
でも、気になったので豪邸の主の正体を人に聞いてみました。
「ああ。あれなら摂津前司の藤原保昌(やすまさ)様のお宅じゃよ」
あっしは仰天しました。
「藤原保昌!! 藤原保昌といえば、摂関家の家司(けいし。秘書長)で、 天下の御堂関白(藤原道長)配下中随一の用心棒ではないか!! ひえー! どうりで警護を一人も連れていなかったわけだー!!」
[2007年3月末日執筆]
参考文献はコチラ
【 袴 垂 】はかまだれ。大泥棒。
【色ボケ男たち】
【近所の人】
【和泉式部】いずみしきぶ。歌人。保昌の妻。
【藤原保昌】ふじわらのやすまさ。貴人。摂津前司。藤原道長家司。