1.新次郎逃亡 | ||||||||||||||
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林通政(光時) PROFILE | |
【生没年】 | ?-1573 |
【別 名】 | 光時・新次郎・新二郎・新三郎・槍林 |
【出 身】 | 尾張国(愛知県) |
【職 業】 | 武将 |
【 父 】 | 林秀貞(通勝) |
【叔 父】 | 林通具(美作守) |
【兄 弟】 | 林光之・宗信・信親 |
【主 君】 | 織田信長 |
【没 地】 | 美濃太田近辺(岐阜県海津市) |
上様は天才であった。
拙者、上様に心酔していた。
上様というのは、拙者の中では神であった。
上様を悪く言う人もいる。
鬼や魔王とののしる人もいる。
確かに上様には聖人と魔王が同居しているようなところがあった。
しかし、上様が魔王化するのにはいちいち理由があった。
上様は後悔や愚痴や言い訳が嫌いであった。
悪よりも極悪よりも偽善を憎んでいた。
ウソを言う者や、まやかし者が大嫌いであった。
これら嫌いなものを目の当たりにしたとき、上様は容赦のない魔王となられるのである。
申し遅れました。
拙者、林通政(はやしみちまさ。光時)。
通称、新次郎(しんじろう。新三郎)。
はい。上様の家臣です。
父は尾張那古屋(なごや。名古屋市中区)城代・林秀貞(ひでさだ)。
林通勝(みちかつ)、または林佐渡守といったほうが御存知かも知れない。
そう。泣く子も黙る織田家筆頭家老である。
しかし、父は家中から総スカンを食らっていた。
「何が筆頭家老じゃ。この何十年、何一つ戦功のないもうろくジジイが」
「同じ宿老の柴田勝家殿や佐久間信盛(さくまのぶもり。「銃器味」など参照)殿は昨日も出陣今日も出陣明日も出陣と働きまくっているのに」
「本来であれば処刑されてもおかしくない裏切り者のくせに、毎日宅でソロバンはじいてゴロゴロして、ええ御身分じゃのう」
昔、父は上様に反旗を翻したことがあった。
弘治二年(1556)八月、父は柴田勝家とともに、上様の弟・織田信行(のぶゆき。信勝)を擁立して反乱を起こしたのである。
結局、稲生(いのう。稲生原。名古屋市西区)の戦で完敗した父は、勝家ともども上様に投降した。
「申し訳ございませぬ〜」
「それがしもどうかしておりました〜」
上様は許した。
「是非もない」
で、父も勝家も、もとの宿老の座に収まったのである。
自分に刃(やいば)を向けてきた者ですらおとがめなしにする。
上様とは、何と寛容なお方であろうか!
ただし、必ずしもそうではなかったことが拙者の死後に判明する。
家臣たちだけではなく、上様自身も父を嫌っていたのは事実である。
父に戦功がなかったというより、上様がそういった仕事を父に与えなかったというのが正解であろう。
しかし、拙者は上様に嫌われてはいなかった。
上様の好き嫌いの基準は明白である。
使えるか?使えないか?ただそれだけなのである。
上様は、媚(こび)を売りにくるだけのヤツは好きにならない。
口先だけではなく、体で実行するヤツを気に入るのである。
そのため、拙者は武芸に励んだ。
特に槍(やり)を猛稽古した。
「槍は長いほうがよい。敵より長い槍を使えば、敵より先に刺すことができる」
それが上様の主義であった。
しかし、槍というものは長ければ長いほどを自由がきかなくなる。長ければ長いほど、余計に腕力がいるのである。
拙者は腕力を鍛えた。
結果、何となく槍の達人になってしまった。
槍林――
人は私をそう呼んだ。
「林」というのは、拙者の苗字と、目にも留まらぬ早技で槍の数が増えて見えることを掛けているのであろう。
「やあ!とう!」
しゃしゃしゃしゃしゃ!ぶるん!ぶるるーん!
ぶす!ぶす!ぶす!ぶす!べちん!べちん!べちん!べちん!
拙者の早技に、上様は上機嫌であった。
そのため、戦のたびに拙者を連れ回したのである。
あるとき、上様は家臣を集めて問うた。
「みなの者。織田軍随一の勇者とは誰か?」
誰かが何か言おうとすると、上様は制止した。
「言うな。それをこれから投票で決める。今からみなに紙を配る。それに随一の勇者だと思う名前を書いて箱に入れよ」
投票箱は拙者の父が持ってきた。
家臣たちは投票用紙に名前を書くと、順々に投票箱に入れていった。
全員が投票し終えると、箱を開けようとした父に上様が割り入った。
「余が票を確かめる。佐渡がやると、息子の票を水増しするかも知れぬからな」
ドッと家臣たちが笑った。
「ごもっとも」
父は引っ込み、上様が箱を開けて票を確かめ始めた。
まず、一票目を開いて高々と掲げた。
「林新次郎。一票!」
家臣たちがどよめいた。
上様は次の票も手にとって見た。
「林新次郎。二票!」
また拙者の名前が書かれてあった。
「さすが槍林!」
「納得だな」
三票目は違っていた。
「きのしたとうきちろうひでよし。一票!」
家臣たちはブーイングであった。
「なんでだー?」
「おかしいぞー」
上様は木下秀吉をたしなめた。
「サル。自分の名前を書くな」
「何で分かりました〜?」
「サルのほかにひらがなで書くヤツはおらぬわ」
「ぶ〜っ」
こうして次々と票が開かれていったが、どうやら拙者の名前が一番多いようであった。
「みなの者、見る目があるのう」
上様は御機嫌だったが、ある票を見たとき、急に顔が険しくなった。
「新次郎逃亡――」
しかも、そう書かれている票は何票かあった。
拙者は青くなった。
上様に顔を向けられると、思わずうつむいてしまった。
拙者には心当たりがあった。
ある戦で、やむなく逃走したことがあったのである。
おそらく、そう書いた人たちは、あのときの拙者の行動を責めているのであろう。
(戦で逃げるようなヤツが勇者であろうはずがない)
拙者に対して無言の抗議をしているのであろう。
(でも、違うんだ!)
拙者は顔を上げた。
上様はまだこちらを見ていた。
鋭い視線で拙者の表情をうかがっていた。
(拙者は何もやましいことはしていない!)
拙者は心中で訴えた。口にすれば愚痴や言い訳になりそうなので、口には出さず、目だけで必死に訴えた。
ようやく上様は笑みをこぼした。
そして、こう言った。
「『新次郎逃亡』の票が七票あったが無効だ。その他有効票だけ見てみると、一番多いのは林新次郎通政。よって新次郎こそ、織田軍随一の勇者じゃ!みなの者、ほめたたえよ!」
家臣たちは拍手でほめたたえた。
パチパチパチパチ!
「よっ、織田軍随一!」
「いや、日本一!」
「天下無双の槍の達人、槍林ここにあり!」
拙者は照れた。
秀吉が近づいてきて、拙者の耳元で一言だけささやいた。
「お見事です」
彼は拙者が勇者に選ばれたことをほめたわけではないであろう。