2.新次郎出陣

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泥沼内閣?
1.新次郎逃亡
2.新次郎出陣
3.新次郎奮戦

 天正元年(1573)九月二十四日、上様は今度こそ長島一向一揆を滅ぼすべく、美濃岐阜(ぎふ。岐阜県岐阜市)城を出陣した。
 いわゆる「第二次長島一向一揆攻め」の始まりである。
 織田軍総勢六万人。第一次よりも一万人増しである。
 しかも、前回とは形勢が逆転していた。
 この四月に長島一向一揆が最も頼りにしていた最強の武田信玄
(「惨敗味」ほか参照)が没したほか、上様によって一揆に組する者たちが各個撃破されていたのである。

  前年九月 延暦寺焼き打ち
  今年四月 武田信玄(甲斐)没
(「ニセ味」参照)
     七月 将軍・足利義昭(山城)追放。
     八月 朝倉義景(越前)滅亡
(「大雪味」参照)
     八月 浅井長政(北近江)滅亡。

 九月二十四日昼、上様は美濃大垣(おおがき。岐阜県大垣市)城に入った。
 同城は第一次長島一向一揆攻め
(「暴力味」参照)で討ち死にした氏家卜全(うじいえぼくぜん。直元)の居城であり、その死後、子の氏家直昌(なおまさ。直重)が後を継いでいた。
 直昌は刀根坂
(とねざか。刀祢坂。福井県敦賀市)の戦に参戦し(「大雪味」参照)、父の敵の一人・斎藤竜興(さいとうたつおき)を斬っていた。
 上様は出迎えた直昌をほめた。
「竜興の件はあっぱれであった。――が、なんじの父のカタキはまだ他にもいる」
「我が父最大のカタキは、長島一向一揆の事実上の総大将・下間頼旦
(しもつま・しもずまらいたん)
「今回は前回とは立場が違う。前回は不覚を取ったが、今回は絶対に勝つ!必ずや父の敵を討てっ!」
「ははーあ!」

 九月二十五日、織田軍は美濃太田(おおた。岐阜県海津市)城に移った。
 この戦には拙者も参戦していた。
「参戦するからには手柄を取る!」
 拙者の家来・賀藤次郎左衛門
(かとうじろうざえもん)も弓を鳴らして勇んでいた。
「殿。どこまでもついて行きますよっ」
 次郎左衛門は弓の名手である。
 拙者の槍裁きが戦で生かされるのは、彼の護衛があってのことであろう。

 行軍中、近くにいた侍二人が興味深い話をしていた。
「下間頼旦は『両手に花』だそうな」
「どういうことですか?」
「右手に十八歳の美女ミツタン。左手に十五歳の美少女ノリリン」
「ますます分かりません。頼旦って、坊主でしょ?」
一向宗は女色を禁じていない。ゆえに長島には女子供が大勢いる。その中でも二人はとりわけ美人。特に妹のほうは絶世の美少女」
「何なんですか?その二人の正体って?」
越前宰相・朝倉義景
(あさくらよしかげ)の娘、光姫(みつひめ)と宣姫(のりひめ)だよ」
「え!朝倉って滅んだんじゃあ!?」
「ああ、滅んだ。が、義景は滅びる前に娘二人に家来をつけて逃がしたのだ。一行は越前を出、美濃山中を潜行し、長島にたどり着いたってわけだ」
「そうだったんですか。それで二人そろって頼旦のオンナに?」
「そうではない。すでに義景の娘は本願寺法主・顕如
(けんにょ。本願寺光佐)の子である教如(きょうにょ)と婚約している。したがって、ミツタンのほうはじきに石山本願寺に送られるであろう」
「ノリリンは?」
「長島願証寺
(かんしょうじ)にとどめ置いて出家させるのでは?」
「何のために?」
「御想像にお任せする」
「うえ!生臭坊主め!」
「怒るな怒るな。もうじき頼旦は終わりだ。一揆の士気はひところよりずいぶん下がっている。斎藤竜興は戦死し、楠木正具
(くすのきまさとも)は石山へ帰り、日根野弘就(ひねのひろなり)は逃亡したと聞く。何より願証寺住職・証意(しょうい。佐玄)が暗殺されたことが痛かった」
「証意が暗殺された? いつ? 誰に?」
「前回の戦のすぐ後だ。織田軍に放火された多度
(たど。三重県桑名市)に被害状況の視察に行った際に、織田の残党に暗殺されたと聞く。あるいはお子様住職・顕忍(けんにん。佐尭)を担いで実権を握るために頼旦が殺した線もある」
「ふーん。それにしてもすごい詳しいんですね。あなた、いったい何者なんですか?」
「ひゃはは!諸国を放浪していると色々詳しくなるんだよー。あ、用事があるから、また今度な」
 ナゾの侍は、そそくさと去っていった。
 拙者はナゾの侍と話していた侍に声をかけた。
「今の侍は何者だ?」
「さあ〜。諸国で武具を売って回っている商人侍ですって。『鉄砲に当たりにくい兜
(かぶと)があるから買わないか?』だって」
鉄砲に当たりにくい兜?『日根野頭形
(ひねのずなり)』か?」
 拙者はナゾの侍が消えていったほうを見やった。
「ということは、ヤツの正体は日根野弘就――」

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