3.新次郎奮戦 | ||||||||||||||
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天正元年(1573)九月二十六日、長島一向一揆を救援するため、南近江元領主・六角義賢(ろっかくよしかた。承禎)の残党や南近江一向一揆の人々、伊賀・甲賀(こうか・こうが。滋賀県甲賀市)の忍者たちが連合して峠を越え、伊勢へ侵攻してきた。
「近江勢は伊勢西別所(にしべっしょ。三重県桑名市)城へ籠城(ろうじょう)ー!」
報告を受けた上様は、佐久間信盛・木下秀吉・丹羽長秀(にわながひで)・蜂屋頼隆(はちやよりたか)・氏家直昌隊を遣わして攻略させた。
また、柴田勝家・滝川一益(たきがわかずます)隊は、伊勢坂井(さかい。桑名市)城と伊勢北廻(きたまわり。桑名市)城を陥落させた。
「西別所城落城!全城兵女子供皆殺しー!」
「坂井城陥落ー!全城兵女子供皆殺しー!」
「北廻城も落ちましたー!全城兵女子供皆殺しー!」
これにビビッたのは、第一次長島一向一揆攻め後に一向一揆側に寝返っていた北伊勢の諸豪族たちである。
「こりゃ大変だ!」
「攻められる前に降伏しないと皆殺しにされる!」
「一刻も早く投降だ!わしは滅亡したくねえー!」
こうして伊坂(いさか。三重県四日市市)城・萱生(かよう。四日市市)城・赤堀(あかほり。四日市市)城・田辺(たなべ。いなべ市)城・桑部(くわべ。桑名市)城・南部城・千草(千種。菰野町)城・長深(ながふけ。東員町)城にいた北伊勢の城主らがこぞって太田城から東別所(ひがしべっしょ。桑名市)に移陣した上様に投降し、人質を差し出してきた。
ただし、伊勢白山(桑名市)城の中島将監(なかじましょうげん)は来なかったため、信盛らが陥落させた。
また、山城静原(しずはら。京都市左京区)城に立てこもっていた山本対馬守(やまもとつしまのかみ)を明智光秀が策を用いて自害させ、その首を東別所まで持参してきた。
「上様。つまらないものですけど、どうぞ〜」
ぴらっ!どろろ〜ん。
「つまらないものと申すな」
上様は言ったものの、生首を見て御機嫌であった。
「戦は連戦連勝。攻める城攻める城は落城し、近隣の農民は新領主にあいさつにやって来る。――待てよ。この光景、余はかつて見たことがあるな」
上様の笑顔が止まった。どろろ〜んと鳴った遠雷が不気味であった。
「いや。余が見たわけではない。かつて余と戦い、余に敗れたあの武将が見ていたはず……」
上様は刀を抜いた。
名刀・左文字――。
上様に桶狭間の戦で敗れた海道一の弓取り・今川義元(「最強味」参照)の愛刀であった。
「だとすれば、次に起こることは予測できる……」
上様は身震いした。
風が起こったせいでもあった。
ピカーッツ!
雷光が左文字にきらめいた。
雨も降り始めた。ぽつりぽつりと雨粒は次第に大きくなり、豪雨になった。
「あの時と同じだ……」
上様は呆けように立っていた。
拙者は心配して上様に申し上げた。
「この雨では長島近辺は泥沼になりますよ」
上様は我に返った。突如として命令を下した。
「北伊勢平定は成った!長居は無用!全軍撤退じゃー!」
上様は馬に飛び乗りながら拙者に命じた。
「殿軍(しんかり)を頼む」
「承知!」
上様は駆け出しかけたが、馬を返して付け足した。
「気にするな。新次郎、逃亡せよ!」
「ははあーっ」
上様は逃亡した。
風雨が強くなったが、風より速く激走した。
拙者も上様に振り落とされないように馬を飛ばした。
家臣一同、みな必死であった。
一揆軍は追ってこなかった。
追ってこないはずであった。
一揆軍は第一次長島一向一揆攻めの際、柴田勝家軍を奇襲した多芸山(たぎやま。養老山。岐阜県養老町・大垣市)で再び待ち伏せていたのである。
今回は雨風激しいことを見越し、伏兵の主体は弓隊三千人であった。
「信長が来たぞ!今だ!一斉に矢を放てー!」
ぴゅぴゅぴゅぴゅぴゅーん!
ぴゅぴゅぴゅぴゅぴゅーん!
ぴゅぴゅぴゅぴゅぴゅーん!
雨あられである。
が、上様は豪矢の嵐の中を猛然と疾走して振り切った。
「うわっ!信長、速っ!もうあんな遠くまで!」
「こうなったらザコどもを討ち取れーっ!」
ぴゅんぴゅんぴゅぴゅーん!
ぴゅんぴゅんぴゅぴゅーん!
ビュービュー!ゴーゴー!
ざーざーざー!たぴたぴたぴたぴ!
しかも、矢音が雨風音でかき消されたため、通り過ぎる織田軍はしばらく奇襲に気づかなかった。訳も分からないままバタバタと討ち取られていったのである。
「あれ〜?何だか今日の雨は痛いぞ?」
「風が痛いのか?」
「何だかチクチクする〜」
「刺すように痛いなー、と、思ったら、矢が刺さってる〜!」
「大変だ!伏兵だー!みんな気をつけろー!」
バラバラバラララララ!
ブス!ブス!ブススッ!
「また矢が降ってきた!」
「やめてよー、いたいて〜!」
「多すぎてよけられないよ〜!」
「こっちからも放ち返せー!」
賀藤次郎左衛門は得意の弓で必死に応戦したが、数には勝てず、織田軍はちりちりになった。
一揆軍は勢いづいた。
「敵は小勢になったぞ!かかれーっ!」
一揆軍は大挙して山から跳ね下ってきた。
「何をー!押し返せーっ!」
元朝倉家臣・毛屋猪介(けやいのすけ)は、
「外様は危険な仕事をしなければ出世はできぬ」
と、意気込んでしばらく奮戦していたが、まったく減らない敵の数に、
「でも、死んでは元も子もねえー!」
ついには逃げ去ってしまった。
次郎左衛門が拙者のところに来て勧めた。
「殿、ダメです!味方は無勢、敵は大勢!このままでは取り囲まれます!地面もぬかるんできました!我らは十分戦いました!逃亡しましょう!」
拙者は「逃亡」にはカチンときた。
『新次郎逃亡!』
『戦で逃げるようなヤツが勇者であろうはずがない』
あの織田軍随一の勇者投票の時の悔しさがよみがえってきたのである。
「拙者は逃げぬ」
「何を言っておられるんですか!もう上様は大丈夫です!上様もおっしゃらたではありませんか!『新次郎、逃亡せよ!』と」
拙者は上様の顔を思い出した。
が、悔しさがすべてをかき消してしまった。
「拙者は逃げぬ!ここで逃亡すれば、織田軍随一の勇者の名が廃る!逃げたい者は逃げよ!真の勇者とは何があっても逃げぬものなり!」
拙者は槍をつかんだ。
次郎左衛門も覚悟を決めた。
「分かりました。どこまでもついて行きます〜」
一揆軍は気がついた。
「おお!あそこにいるのは槍林!林新次郎通政!」
「あれが織田軍随一とかいう勇者か」
「だいぶ矢を受けて弱っているようだ。よし、わしが討ち取ってくれよう!」
「オレだオレだ!手柄は渡さねえー!」
一揆軍は争うように拙者に襲い掛かってきた。
「おもしれえ!」
拙者の槍が火を噴いた。
「でやー!」
バシ!ブスス!ぐりんぐりん!どかかっ!ぼすっ!ぼすっ!ばったばった!くるくるりんっ!
一揆軍はたじろいだ。
「全然弱ってねーじゃねーか!」
「つええー!」
「近づけねえ!」
「馬をねらえ!」
じゅば!
「アヒイ〜ン!」
馬は簡単にやられた。
拙者は飛び下りた。
槍を下ろして目を閉じた。
一揆軍は刃を振りかざすと、喜んで襲い掛かってきた。
「お、手ぶらになった!」
「ついに覚悟を決めたか!」
「切腹賛成!」
「その首、もーらい!」
が、彼らの刃は寸前で拙者に達することはできなかった。
ドカカカカカカ!
ブススススス!
拙者は敵を十分にひきつけておいてから瞬時に両手で槍をつかむと、数名ずつを串(くし)刺しにしてやったのである。
「おお!いつの間に!」
「何という早技!」
「やられた〜!」
バッタタターン!ズテテテーン!どろーりべたべた〜。
串ごと倒れて泥にまみれると、みたらし団子のようになった。
それでも敵は次から次へと押し寄せてくる。
次郎左衛門は弓の弦を切ってしまったため、刀で戦っていた。
「敵に取り囲まれました!もはや逃げ場はありません!」
拙者の槍も次から次へと折れまくっていた。
「また折れた!予備の槍はどこだ?」
「もうありません!」
「ここにありますよ!」
「おう。貸せっ」
拙者は声のした方に向いて槍を受け取ろうとしたか、
ブサッ!
先っぽが腹に刺さってしまった。
拙者は怒った。
「スゲエいてえじゃねーか!」
槍を持っていたのは味方ではなかった。
「残念でした〜。敵でした〜」
刺したソイツはグリグリやり出したため、
「やめんか!」
拙者はそいつを引き寄せて、
ボキキ!
「くべぉ!」
首をねじ折ってやった。
「スキあり!」
ばすっ!
敵は背後からも飛び掛ってきた。
「てめー!」
刀で斬ってやろうとしたところ、
ボス!
横からも別のヤツが体当たりを食らわし、何か刺しやがった。
拙者は目がくらんできた。目の前が真っ赤になった。
「ぐわあー!わうわー!」
拙者はむちゃくちゃに暴れた。
「殿ー!」
次郎左衛門が叫んでいるようであったが、赤い世界は気持ち悪い音とともに終焉(しゅうえん)した。
時に天正元年(1573)十月二十五日。享年内緒。
拙者が討ち取られると、次郎左衛門はすぐに追い腹を切った。
* * *
その晩、上様は大垣城にたどり着いた。
第一次長島一向一揆攻めに続き、第二次長島一向一揆攻めも敗北であった。
「林新次郎殿、討ち死にー!」
十月二十六日、上様は岐阜城に帰還した。
「おのれ長島一向一揆!このままではすまさぬ!」
戦国史上最悪の大惨事「第三次長島一向一揆攻め」は、この翌年に起こるのである。
(「虐殺味」へつづく)
[2011年9月末日執筆]
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