5.シッシッ | ||||||||||||||
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医者の所に患者がやって来た。
「あのー、体調悪いんです〜」
「どう悪いんですか?」
「ゲロして下痢(げり)して苦しいんです〜」
医者は診察して告げた。
「コロリ(コレラ)ですね」
「コロリ?」
「ええ、コロリと死ぬのでそんな病名がついたんですよ」
患者は驚いた。
「ええ!私、死ぬんですか!?」
「私の言うことを聞けば大丈夫です」
「どうすれば?」
「シッ!シッ!」
「え?」
「コレラ患者は他の人に迷惑ですので、もうここには来ないでください。シッ!シッ!」
「!」
* * *
事実、うつりたくないためコレラ患者から逃げ回っていた医者もいたらしい。
コレラにかからないためには、患者から離れたり、寄せ付けないのも手であろう。
明治十二年(1879)夏、関西でのコレラ蔓延を知った日本政府は、関東流行を阻止するため、東京湾に入ってくる外国船を検疫することに決めた。
「東京湾に入る外国船は検疫するので長浦(神奈川県横須賀市)に回航してください」
そのため、神戸から横浜に向かっていたドイツ船ヘスペリア号も検疫場に回された。
これには独弁理公使アイゼンデッヘルがかみついた。
「ただちにヘスペリア号を出航させろ!検疫は我々で独自に行っている!」
日本は検疫期間の短縮などを提案して譲歩しようとしたが、アイゼンデッヘルは聞かず、軍艦ウルフを差し向けて護衛につけさせると、強引にヘスペリア号を横浜に入港させてしまった。
外務卿・寺島宗則は、
「我が国の行政権の侵害だ!」
と、ドイツに厳重抗議したが、不平等条約下では司法に訴えることもできないのが現実であった(ヘスペリア号事件)。