★愉快! 痛快! 抱腹絶倒! 太閤殿下も大爆笑!! 〜 安土桃山時代のお笑い芸人・曽呂利新左衛門!! |
||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2007>芸人恐るべし〜曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)は実在したか?
|
芸人をなめてはいけない。
お笑い芸人というものを軽く見てはいけない。
芸は身を助けるものである。
笑う門には福来たるものである。
そして、お笑いを制するものは、天下を制するものである。
先月、私は「時事チップス」にこんな駄作を載せた。
「笑い」とはすべてをごまかす魔法なり
芸人は、時として難攻不落の堅城ですら、あっさりと落としてしまうものである。
一度や二度のことではない。
歴史上、それは何度も繰り返されてきた。
つい最近(平成十九年一〜二月)も「痴事(ちじ。そのまんま東)」が「知事(東国原英夫)」になり、「猫(猫ひろし)」や「杓子(しゃくし。陣内智則)」が「美女(一般女性)」や「女優(藤原紀香)」を陥落させたばかりではないか(継続できるかどうかはまた別問題である)。
芸人は歴史を動かすものである。
日本史上、最も有名な政変の一つ・乙巳の変もまた、芸人がかんでいた。
「お腰のものをお渡しくださいませませっ」
時の最高執政者蘇我入鹿を吹き出させ、その警戒心を解き、その帯剣を取り上げたのは、名もなき芸人であった。
そう。その名もなき芸人さえ存在しなければ、世紀の暗殺劇は起こらなかったわけである。
というわけで今回は安土桃山時代の大芸人、天下人豊臣秀吉のお笑い寵臣(ちょうしん)、曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)を採り上げたい。
「曽呂利新左衛門って、一休さん(「元日味」参照)のような頓知(とんち)話で有名な人だろう。そもそも実在の人物なのか?」
実在であろう。
当時の公家日記『時慶卿記(ときよしきょうき。西洞院時慶著)』天正十五年(1587)六月八日条に「ソロリ」なる芸人が豊臣秀次(とよとみひでつぐ。秀吉の甥)主催の茶会に出席しているし、江戸時代初期の仮名草子『昨日は今日の物語』にも「曽呂利」の名は登場している。
また、彼の故郷である和泉堺には、邸宅跡まで現存しているという。
一説に、江戸時代初期の茶人で落語の祖とされる安楽庵策伝(あんらくあんさくでん。金森長近の弟)と同一人物ともいわれている。年代的にも不自然ではないが、策伝の故郷は美濃である。
豊臣秀吉は御存知のように「人たらし」の名人である。
その天賦の才は、織田信長・徳川家康以下並み居る武将たちの比ではない。彼が「日本語圏」を完全統一成し得た一番の要素はそこにある。
秀吉は「話術」を重く見、「お笑い」を重視していた。
「御伽衆(おとぎしゅう。主君の話相手をする家来)」と呼ばれる芸人軍団も、他の武将以上に多数召抱えていたのである。
あるいは「曽呂利新左衛門」という名は、秀吉直属お笑い軍団の「総称」だったのかもしれない。
[2007年2月末日執筆]
参考文献はコチラ