7.新左衛門はいつ没したか?

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芸人恐るべし〜曽呂利新左衛門は実在したか?
1.新左衛門はいつ登場したか?
2.豊臣秀吉はサルそっくりか?
3.瓢箪からホントに駒は出るか?
4.黒駒騒動をどう収めたか?
5.新左衛門はなぜ狂歌がうまいか?
6.世界で一番大きな歌とは?
7.新左衛門はいつ没したか?

 曽呂利新左衛門の没年は不明である。
 慶長二年(1597)説、慶長八年(1603)説、寛永十九年(1642)説など色々あるが、ここでは豊臣秀吉より前に死ぬということで、慶長二年ということにしておく。

「曽呂利が重病だそうな」
 知らせを聞いた秀吉は、新左衛門の自邸へ駆けつけて励ました。
「何じゃ曽呂利。疫病神など、笑わせて追い払え!」
「いえ、もうそんな気力は……」
「では、何か望むものはないか? 何なりととらせるぞ」
 新左衛門は力なく最後の狂歌を詠った。
 いわゆる辞世の句であった。

  御威光で三千世界手に入らば
   極楽浄土われに賜れ

[2007年2月末日執筆]
参考文献はコチラ

※ この物語は異説が多くある曽呂利新左衛門の逸話を再構成し、筆者なりのアレンジを加えたものです。

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