2.滝沢 文

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芸術の秋
1.岡倉天心
2.滝沢 文
3.遠藤直子
4.横山静子
5.五島慶太

 明治二十九年(1896)、横山大観東京美術学校助教授になり、翌年、上田(うえだ。長野県上田市)の儒家の娘・滝沢文(たきざわぶん。文子)と結婚しました。
 が、明治三十一年(1898)、岡倉天心がケンカで東京美術学校校長を辞職したのに従い、大観菱田春草らとともに東京美術学校を辞職してしまいます。
 公務員を辞めただけではありません。
「美術団体を作ってやる!」
 日本美術院を創設しようとした天心のために貢いであげることにしたのです。
 文は悲しんだことでしょう。
「仕事を辞めて大金も持ち出して、毎日お酒を一升二升三升当たり前に飲み続けてどうするつもりですか?絵も売れないし、お米も買えなくなるじゃないですか。せめてもう、お酒はやめてください」
「わかったよ、文ちゃん」
 大観は決心しました。
「俺はもうやめるよ」
「ううっ、わかってくれたのね」
「ああ。俺はもう、お米を食べるのをやめるよ」
「!」
「そうだとも!これから俺は、ごはん代わりに酒を飲むぞ!」
「!!」
 以後約半世紀、大観の主食は酒になりました。
 早起きして午前中は絵を描き、昼下がりから酒を飲むのです。

 明治三十六年(1903)、文は肺を患って死んでしまいました。
 大観がインドや欧米へ渡航しているうちに長女・初音
(はつね)も死んでしまいました。

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