5.五島慶太

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芸術の秋
1.岡倉天心
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5.五島慶太

 昭和二十年(1945)三月十日、東京は焼け野原になりました。
 いわゆる「東京大空襲」ってヤツです。
 そんな時も横山大観は、一升二升三升当たり前の生活習慣を変えようとはしませんでした。
「しーちゃん」
「なあに?」
「酒は?」
「ないわよ」
「ない?ないわけないだろ!」
 静子は逆ギレしました。
「こんな状況であるわけないでしょ!『酔心』の東京支店もこの空襲で燃えちゃったんじゃないの?」
「支店が燃えても本店はある。三原から送ってもらえばいい。電話は?」
「電話もつながらないのっ!」
「そんなら手紙だ。手紙を書く」
「手紙なんか書いたって届けようがないでしょ!道路も線路もグチャグチャなのよ!広島から東京まで、どうやって運ばせるつもり?」
「フッ!」
 大観は不敵に笑いました。
「俺の知人に『最強の運び屋』がいる」
「最強でも無理だって!」
「無理かどうかはその人を見てから言いな」

 大観は人をやって「最強の運び屋」を呼びました。
 しばらくして、「最強の運び屋」はやって来ました。
「先生、何でしょうか?」
「最強の運び屋」とは、運送業者ではありませんでした。
 東急グループの創業者・五島慶太
(ごとうけいた)でした。
「酒を運んでもらいたいのだ」
「酒ですか。お安い御用ですが」
「ただの酒ではない。大至急、広島の三原から『酔心』を」運んできて欲しいのだ」
「広島の三原から、ここまで……」
 五島は絶句しました。
「君は電鉄王と呼ばれている男だ。元運輸通信大臣だったため、国鉄に顔も効く。まさか、そんな君でもできないとでも?」
「でっ、でっ、できますよっ!」
「じゃ、頼んだ」
「かっ、かっ、簡単に言われますけど、権力に物言わせるにはカネがいるんですよっ!支払うつもりの酒代から手数料を天引きしますが、よろしいですか?」
「いいよ」
 大観はニヤリとしました。
 酒代は無料なので、天引きはできないからです。
 そうとは知らない五島は、関係者に口止めさせて、「酔心」を国鉄糸崎
(いとさき。三原市)駅長から東京駅長への手荷物として優先的に運ばせたのです。

 五島は自ら大観邸に「酔心」を届けにやって来ました。
「ちはー、御注文の品をお届けに参りましたー」
「御苦労」
 大観は、たくさん並んだ酒樽
(さかだる)にホクホクし、次々と邸内に運ばせましたが、
「おっと、ちょっと待った!全部持って行けとは言ってませんよ〜」
 と、途中で五島に阻止されました。
「持って行っていいのは半分だけです。残り半分は手数料としてお上が取り上げます」
 大観はふくれました。
「話が違うではないか。貴殿は手数料は酒代から天引きすると言ったはずだ。酒代は無料だから、手数料も取れないはずだ」
 五島は言い返しました。
「現ナマで取れない場合は、現物でいただくんです〜。それに、嗜好品
(しこうひん)の税金は高いんですよ〜」
 五島は部下に指示しました。
「かまわん。残りはそのまま持って帰れ」
「はい」
 大観は次々と引き返していく愛しの酒樽たちを見て激怒しました。
「これがお前らのやり方かーっ!」
 大観は五島につかみかかりました。
「酒は嗜好品じゃない!数十年に渡って俺の命をつないできた主食なのだ!それに、手数料が五割なんて、ひどすぎだろ!」
 五島は負けずに言い返しました。
「私は不可能を可能にしてあげたんです!これでも安過ぎるくらいだー!」
 これにはさすがの大観も、地団駄踏んで引き下がるしかありませんでした。

*          *          *

 酒豪大観も、晩年はさすがに酒量が減りました。
 それでも、死ぬ間際まで酒豪の片鱗
(へんりん)はありました。
「しーちゃん、薬を飲むから水を持ってきてくれ」
「はい、どーぞ」
 本物の水を持ってきた静子に、大観は言いました。
「こらこら。俺の言う水とは、酒のことだ」

 昭和三十三年(1958)二月二十六日、大観は亡くなりました。享年九十一(満八十九歳)
 平成二十七年(2015)現在も、大観の脳はアルコール漬けにされて東京大学医学部
(東京都文京区)で眠っています。
 そうです。
 彼のアルコールまみれは、まだ終わってはいないのです。

[2015年9月末日執筆]
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 ※ 池之端(いけのはた。東京都台東区)にあった横山大観邸は、昭和五十一年(1976)から「横山大観記念館」として公開されています。

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