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ホーム>バックナンバー2020>令和二年8月号(通算226号)祇園味 祇園祭など中止

祇園祭など中止
1.しわぶき禍
2.文室宮田麻呂の変

 昔、祇園祭の山鉾(やまほこ)巡行を観に行った。
 粽
(ちまき)を買って食べようと皮をむこうとしたところ、友人に注意された。
「それ、食べ物じゃないよ」
「なぁにぃぃーーー! 食えへんのかぁぁぁーーー!!」
 今年のコロナ禍による山鉾巡行の中止は、その時以来の衝撃であった。

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祇園祭
文室宮田麻呂
新型コロナウイルス
COVID

「新型コロナウイルス(COVID19)は暑さと湿気に弱い」
 というが、令和二年(2020)の夏になってもその猛威は止まらず、七月に日本では感染の第二波を迎えた。
 累計死者数は千人を超え、七月二十九日には一日の新規感染者数が千人を突破、都道府県中唯一感染者を出していなかった岩手県でもついに出してしまった。
 そうそう。二十四日には今年限定の祝日「スポーツの日」があった。
 東京五輪開会式のために設けられた祝日だが、ただただ虚しいだけの日になってしまった。
 中止や延期になった夏の祭典は東京五輪だけではない。
 全国の有名な夏祭りは、軒並み中止になってしまっている。
 先述したように、八坂神社
(やさかじんじゃ。祇園社。京都市東山区)の祭礼で、京都の夏の風物詩になっている祇園祭の山鉾巡行も中止になってしまった。

 それにしても残念である。
 祇園祭の起源は、平安時代に疫病退散を願うために始められた御霊会
(ごりょうえ)のはずである。
 疫病退散の儀式なのに、疫病によって中止に追い込まれるとは何とも皮肉な話である。

 最初の祇園祭は貞観十一年(869)六月に行われたが、基になった御霊会の文献上の初見は、『日本三代実録』貞観五年(863)五月二十日条にある。
 この日、清和天皇(「諾威味」参照)の勅命により、神泉苑
(しんせんえん。京都市中京区)に皇族・公卿が集合し、疫病退散の御霊会が盛大に催された。
 冤罪で無念の死を遂げて悪霊と化したとされる御霊六座に花が供えられ、律師・慧達
(えたつ)に『金光明経(こんこうみょうきょう)』や『般若心経(はんにゃしんぎょう)』を読ませて慰霊させたのである。

 ちなみに御霊六座(六所御霊)は、以下の人々である。  

  ・崇道天皇(すどうてんのう。早良親王) … 「怨念味」「怨霊味」参照
  ・伊予親王(いよしんのう) … 「平城味」参照
  ・藤原吉子(ふじわらのよしこ・きっし) … 「平城味」参照
  ・藤原仲成(ふじわらのなかなり) … 「内乱味」参照
  ・橘逸勢(たちばなのはやなり) … 「安保味」参照
  ・文室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)

 後にはこの六座に菅原道真(「受験味」等参照)吉備真備(「中国味」等参照)を加えて「八所御霊」と呼ぶようになったという。
 ただし、八所御霊には諸説あり、前の六座に井上内親王と他戸親王
(「ヤミ味」参照)を加えた説や、吉備真備の代わりに吉備内親王(きびのないしんのう。「令和味」参照)を加えた説、藤原仲成の代わりに藤原広嗣(「暴発味」参照)を加えた説などがある。
 いずれにせよ、弊サイトではほとんど紹介済みの人々である。
 というわけで今回は、この中で唯一紹介していなかった文室宮田麻呂が追い落とされた事件を紹介したいと思います。
 それでは、どぞっ!

[2020年7月末日執筆]
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「文室宮田麻呂の変」登場人物

【陽侯氏雄】やこのうじお。子分。文室宮田麻呂の従者。無位無官→筑前権少目・大初位下。

【文室宮田麻呂】ふんやのみやたまろ。親分。前筑前守・従五位上。貿易商。

【良岑木蓮】よしみねのいたび。左中弁。安世の子。
【人々】

【藤原良相】
ふじわらのよしみ。左近衛少将兼任阿波守。良房の弟。

【藤原良房】
ふじわらのよしふさ。大納言→太政大臣。摂関家の祖。

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