3.石作皇子&車持皇子の正体

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耐震強度偽装事件
1.愛人かぐや姫
2.五人の貴公子
3.石作皇子&車持皇子の正体
4.石作皇子の偽装
5.車持皇子の偽装
     

 ここでお断りしておくが、今回は石作皇子と車持皇子の偽装のお話しである。
 残りの三人は「偽装」はしていないので、今回は紹介しない。
竹取物語』については私なりの見解があるため、残る三人の話及びその後のかぐや姫については、いずれ改めて紹介する
(「金持味」「仰天味」参照)

大宝元年の朝廷首脳
(701当時)

官 職 官 位 氏 名  兼職・備考
左大臣 正二位 多治比島 宣化天皇の子孫。
多治比王の子。
右大臣 従二位 阿倍御主人 壬申の乱の功臣。元布勢氏。
大納言 正二位 大伴御行 壬申の乱の功臣。長徳の子。
大納言 正三位 石上麻呂 壬申の乱の敗臣。元物部氏。
大納言 正三位 藤原不比等 鎌足の子。藤原四子の父。
大納言 従三位 紀 麻呂 大人の子。宇美らの父。
中納言 大神高市麻呂 壬申の乱の功臣。元三輪氏。
中納言 従三位 大伴安麻呂 御行の子。家持の祖父。
※ 赤字はこの年死亡。青字は昇進。
※ 黄色枠は竹取物語のモデルと推測される人物。

 ところで、五人の貴公子のうち、阿倍御主人と大伴御行と石上麻呂は実在の人物であるが、石作皇子と車持皇子は、史上その名が登場しない人物である。
 かといって五人中の二人だけが架空人物とは考えにくい。

 これについて江戸時代の歴史家・加納諸平(かのうもろひら)は、石作皇子は多治比島(たじひのしま)、車持皇子は藤原不比等がモデルだとしている。
 なるほど、古代〜近世の閣僚名簿『公卿補任
(くぎょうぶにん)』をみると、大宝元年(701)に五人は勢ぞろいしている。

 しかしながら、島と不比等は「皇子」ではない。
竹取物語』の中に「皇子」と書かれている以上、「皇子」の中から候補者を探すべきではないか?

 私が石作皇子と車持皇子の候補とするのは、穂積皇子(ほづみのおうじ・ほづみのみこ)及び長皇子(ながのおうじ・ながのみこ)である(「亀虎味」参照)
 また、この物語が「恋争い」ではなく「政争」を暗示しているのであれば、長皇子の代わりに忍壁皇子(刑部親王)が相当するのではあるまいか?

 いろいろ考えられるが、今回は誰とは断定せず、石作皇子&車持皇子のまま、物語を進めていく。

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