3.石作皇子&車持皇子の正体 | ||||||||||||||
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ここでお断りしておくが、今回は石作皇子と車持皇子の偽装のお話しである。
残りの三人は「偽装」はしていないので、今回は紹介しない。
『竹取物語』については私なりの見解があるため、残る三人の話及びその後のかぐや姫については、いずれ改めて紹介する(「金持味」「仰天味」参照)。
●大宝元年の朝廷首脳 |
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官 職 | 官 位 | 氏 名 | 兼職・備考 |
左大臣 | 正二位 | 多治比島 | 宣化天皇の子孫。 多治比王の子。 |
右大臣 | 従二位 | 阿倍御主人 | 壬申の乱の功臣。元布勢氏。 |
大納言 | 正二位 | 大伴御行 | 壬申の乱の功臣。長徳の子。 |
大納言 | 正三位 | 石上麻呂 | 壬申の乱の敗臣。元物部氏。 |
大納言 | 正三位 | 藤原不比等 | 鎌足の子。藤原四子の父。 |
大納言 | 従三位 | 紀 麻呂 | 大人の子。宇美らの父。 |
中納言 | 大神高市麻呂 | 壬申の乱の功臣。元三輪氏。 | |
中納言 | 従三位 | 大伴安麻呂 | 御行の子。家持の祖父。 |
※ 赤字はこの年死亡。青字は昇進。 ※ 黄色枠は竹取物語のモデルと推測される人物。 |
ところで、五人の貴公子のうち、阿倍御主人と大伴御行と石上麻呂は実在の人物であるが、石作皇子と車持皇子は、史上その名が登場しない人物である。
かといって五人中の二人だけが架空人物とは考えにくい。
これについて江戸時代の歴史家・加納諸平(かのうもろひら)は、石作皇子は多治比島(たじひのしま)、車持皇子は藤原不比等がモデルだとしている。
なるほど、古代〜近世の閣僚名簿『公卿補任(くぎょうぶにん)』をみると、大宝元年(701)に五人は勢ぞろいしている。
しかしながら、島と不比等は「皇子」ではない。
『竹取物語』の中に「皇子」と書かれている以上、「皇子」の中から候補者を探すべきではないか?
私が石作皇子と車持皇子の候補とするのは、穂積皇子(ほづみのおうじ・ほづみのみこ)及び長皇子(ながのおうじ・ながのみこ)である(「亀虎味」参照)。
また、この物語が「恋争い」ではなく「政争」を暗示しているのであれば、長皇子の代わりに忍壁皇子(刑部親王)が相当するのではあるまいか?
いろいろ考えられるが、今回は誰とは断定せず、石作皇子&車持皇子のまま、物語を進めていく。