1.死刑宣告 〜 長門連行

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大日本帝国連合艦隊旗艦・軍艦長門
1.死刑宣告 〜 長門連行
2.死刑執行 〜 長門炎上!?
3.死刑再行 〜 長門よ、永遠に……。

 私は処刑されることになった。
 アメリカのニンゲンたちによって、死刑にされることになった。
 かつて私は「日本の誇り」であった。
 長い間、大日本帝国の主力艦隊・連合艦隊の旗艦として、日本のすべてのフネやニンゲンたちからあがめ奉られる神のような存在であった。

長門 PROFILE
【生没年】 1920-1946
【出 身】 呉海軍工廠(広島県呉市)
【設 計】 平賀 譲
【姉 妹】 陸 奥
【排水量】 基準 32720→39130t
【喫水長】 213.367→221.07m
【最大幅】 28.96→34.6m
【喫 水】 9.14→9.49m
【主 機】 タービン
【パワー】 80000馬力
【速 力】 26.5→25ノット
【備 砲】 主砲 41cm×8門
副砲 14cm×20→18門
高角砲 8→12.7cm×4→8門
【没 地】 ビキニ環礁(マーシャル諸島)

 そう。
 私は日本海軍の王将であった。
 アメリカ・イギリスに次ぐ、世界第三位の海軍大国・大日本帝国の「フネの大将」であった。
「ニイタカヤマノボレ」
 御存知の方も多いであろう。
 あのハワイ作戦、真珠湾攻撃の暗号も、私から連合艦隊全艦に発せられたのである。

 そう。
 私は戦艦。名は長門。
 半永久的武家政権・江戸幕府を滅ぼし、もロシアも打ち破ったアジアの雄国・大日本帝国を築き上げた、偉大なる長州藩の所在地長門国にちなんだ名前である。

 大正九年(1920)十一月二十五日、私は呉(くれ。広島県呉市)の海軍工廠(こうしょう)で誕生した。
 世界初の十六インチ
(41cm)砲八門を搭載し、戦艦でありながら巡洋戦艦に並みの速力を持つ私は、当時世界最強最速の戦艦であり、後に日本史上最大の戦艦・大和(やまと)が誕生するまで、連合艦隊中最大最強の戦艦であった。
 しかし、我が連合艦隊は、太平洋戦争によって、アメリカによって壊滅してしまった……。

 太平洋戦争
 そう。
 真珠湾攻撃マレー半島上陸に始まる、アメリカやイギリスなど連合国との四年に渡る死闘である。

 昭和十六年(1941)十二月八日(ハワイ時間七日)未明、「ニイタカヤマノボレ」の暗号を受けた空母六隻(赤城・加賀・飛竜・蒼竜・翔鶴・瑞鶴)・戦艦二隻(比叡・霧島)を中心とする機動部隊は、航空部隊などを繰り出し、アメリカ太平洋艦隊の拠点・ハワイの真珠湾(パールハーバー)を急襲、戦艦四隻(アリゾナ・カリフォルニア・ウエストバージニア・オクラホマ)を撃沈し、戦艦四隻、巡洋艦四隻、駆逐艦三隻などを破壊した(「攻撃味」参照)
 沈みゆくアリゾナは、
「だまし討ちだー!」
 と、叫んでいたが、もともと戦争にだまし討ちもクソもない。
 そもそも「戦争」自体が「この世の中で最悪の悪」なのであるから、それ以上の悪など、決して存在するはずがないのである。

 緒戦で日本はイギリスも破っている。
 十二月十日のマレー沖海戦で、イギリスの東洋艦隊を連合艦隊の航空部隊が迎撃、戦艦二隻
(プリンスオブウェールズ・レパルス)を撃沈し、同艦隊の主力を壊滅させたのである。
 当時はまだ、正面からの戦いで戦艦が戦闘機に沈められるなんて思いもよらないことであった。
 しかもプリンスオブウェールズは「イギリスの誇り」と呼ばれ、不沈艦として知られていた名鑑である。
「ああ、私が沈むなんて!」
 彼自身も信じられなかったことであろう。
 しかし、彼は私の将来も予期していた。
「覚えておくがよい! 余の運命は汝
(なんじ)の運命でもあるのだっ!」

 そう。
 イギリスとアメリカのニンゲンたちは気付いたのである。
「これからは戦艦よりも戦闘機の時代だ」
 しかし、日本のニンゲンたちは、ただ熱狂するばかりであった。
「大国アメリカとイギリスに連勝した!」
 そんなことはどうでもいいことであった。
 ニンゲンというものは、なぜ負けたのかは熱心に分析するが、なぜ勝てたのかは考えないものである。

 ほどなくして、私は連合艦隊の旗艦を下ろされた。
 昭和十六年(1941)十二月に誕生した戦艦大和、その翌年に誕生した戦艦武蔵
(むさし)に旗を譲ったのである。ただ、戦艦を引退したわけではなく、その後も現役の主力戦艦として幾多の戦場へ赴いている。

 その後も日本は目覚しい快進撃を続けた。
 海軍も陸軍も連戦連勝、開戦からわずか五か月で東南アジア及び西太平洋を制圧してしまった。
「あらら。もう当初の攻略目標を達成してしまったではないか!」
 日本のニンゲンたちは有頂天になった。
 そのため、優位な状況に持ち込んで講和に持ち込むという、明治維新以来のお決まりの方針を忘れてしまったのである。
「次はオーストラリア侵攻だ!」
「いや。次はアメリカ本土だ! アメリカ本土を攻略するために、ミッドウェー
(ミッドウェー諸島)とアリューシャン列島を奇襲せよ! そして、飛んで火に入る夏の虫、アメリカ主力艦隊と決戦し、すなわちこれを完膚なきまでに殲滅(せんめつ)すべし!」

 こうして戦艦十一隻(大和・長門・陸奥・伊勢・日向・山城・扶桑・榛名・霧島・比叡・金剛)、空母六隻(赤城・加賀・飛竜・蒼竜・瑞鳳・鳳翔)ほかフネ総数三百五十隻、飛行機一千機、ニンゲン十万人超という、連合艦隊空前の大艦隊が編制された。
「真珠湾の再現だ!」
「しかも今度は総動員だ!」
「アメリカを圧倒する兵力でもって一気に押しつぶすのだ!」

 ところが、日本の暗号を解読したアメリカは、空母三隻(エンタープライズ・ホーネット・ヨークタウン)を緊急派遣、連合艦隊の先鋒・戦艦二隻(榛名・霧島)・空母四隻(赤城・加賀・飛竜・蒼竜)からなる機動部隊を待ち伏せし、逆に奇襲を仕掛けてきた。
 いわゆるミッドウェー海戦である。
「あ、敵!」
「ゲッ! そんなところから!」
 赤城
(あかぎ)と加賀(かが)はあせった。
 飛竜
(ひりゅう)も蒼竜(そうりゅう)も慌てて向きを変えようとした。
「ちょっと待って!」
「今、戦闘態勢を整えるから!」
 戦争である。そんなもん、待ってくれるわけがなかった。
「今のうちだ!」
「それいけ!」
「やっちまえ!」
 エンタープライズら三空母はウンカのように戦闘機を噴射、空から海から島から上から横から下から銃弾・魚雷雨あられの猛攻撃を開始した。
 だだだだだだーん!
 ぎゅーん!
 ぐわーん!
 ぼわーん!
 どわーん!
 たまらず赤城・加賀・蒼竜は、火を噴き、傾き、黒煙上げて大炎上。
「やられた〜」 
「痛い〜」
「熱い〜」
 そして、共々ずぶずぶと沈没。
 最後に残った飛竜は、
「何をクッソ〜!」
 と、激しく抵抗、暴れまくって駆逐艦一隻
(ハマン)を道連れにしたがそこまで。他の三隻を追うように沈没し、海のモクズ、魚の住みかになってしまった。
 こうして空母四隻と搭載機三百機などを失った機動部隊は壊滅。私たち主力部隊はすごすごと引き上げるしかなくなってしまったのである。

▽ 太平洋戦争日本主要軍艦沈没年表 ▽
沈没年月日 軍艦名 沈没地・沈没理由
昭和17.05/07 空母祥鳳 珊瑚海海戦で沈没。
昭和17.05/25 特務艦朝日 雷撃により南シナ海で沈没。
昭和17.06/06 空母赤城 ミッドウェー海戦で沈没。
昭和17.06/06 空母加賀 ミッドウェー海戦で沈没。
昭和17.06/06 空母蒼竜 ミッドウェー海戦で沈没。
昭和17.06/06 空母飛竜 ミッドウェー海戦で沈没。
昭和17.07/24 敷設艦出雲 爆撃により呉で沈没。
昭和17.08/24 空母竜驤 ソロモン海戦で沈没。
昭和17.10/12 巡洋艦古鷹 サホ島沖海戦で沈没。
昭和17.11/13 戦艦比叡 ガダルカナル島の戦で沈没。
昭和17.11/15 戦艦霧島 ガダルカナル島の戦で沈没。
昭和17.12/18 巡洋艦天竜 雷撃によりニューギニア島マダン沖で沈没。
昭和18.06/08 戦艦陸奥 爆発により柱島で沈没。
昭和18.12/04 空母冲鷹 雷撃により八丈島沖で沈没。
昭和19.01/11 巡洋艦球磨 雷撃によりぺナン島沖で沈没。
昭和19.02/16 巡洋艦阿賀野 トラック島の戦で沈没。
昭和19.02/17 巡洋艦那珂 トラック島の戦で沈没。
昭和19.02/17 巡洋艦香取 トラック島の戦で沈没。
昭和19.04/27 巡洋艦夕張 雷撃によりパラオ諸島ソンソル島沖で沈没。
昭和19.06/19 空母翔鶴 マリアナ沖海戦で沈没。
昭和19.06/19 空母大鳳 マリアナ沖海戦で沈没。
昭和19.06/20 空母飛鷹 マリアナ沖海戦で沈没。
昭和19.08/07 巡洋艦長良 雷撃により九州西方で沈没。
昭和19.08/18 空母大鷹 雷撃によりルソン島沖で沈没。
昭和19.09/17 空母雲鷹 雷撃により南シナ海で沈没。
昭和19.10/24 戦艦武蔵 攻撃によりフィリピンシブヤン海で沈没。
昭和19.10/25 戦艦扶桑 レイテ沖海戦で沈没。
昭和19.10/25 空母瑞鳳 レイテ沖海戦で沈没。
昭和19.10/25 空母千歳 レイテ沖海戦で沈没。
昭和19.10/25 空母千代田 レイテ沖海戦で沈没。
昭和19.10/25 巡洋艦最上 レイテ沖海戦で沈没。
昭和19.11/17 空母神鷹 雷撃により黄海南部で沈没。
昭和19.11/21 戦艦金剛 雷撃により台湾海峡で沈没。
昭和19.11/25 巡洋艦八十島 爆撃によりルソン島西岸で沈没。
昭和19.11/29 空母信濃 雷撃により潮岬沖で沈没。
昭和19.12/19 空母雲竜 東シナ海で沈没。
昭和20.04/07 戦艦大和 攻撃により東シナ海で沈没。
昭和20.07/14 空母海鷹 別府湾で座礁。
昭和20.07/18 特務艦春日 爆撃により横須賀で着底。
昭和20.07/24 戦艦摂津 爆撃により江田内で着底。
昭和20.07/25 戦艦日向 爆撃により呉で着底。
昭和20.07/26 巡洋艦磐手 爆撃により呉で沈没。
昭和20.07/28 戦艦榛名 爆撃により呉で着底。
昭和20.07/28 戦艦伊勢 爆撃により呉で着底。
昭和20.07/28 空母天城 爆撃により呉で着底。
昭和20.07/28 巡洋艦青葉 爆撃により呉で着底。
昭和20.07/28 巡洋艦利根 爆撃により江田内で着底。
昭和20.07/28 巡洋艦大淀 爆撃により江田内で着底。
昭和20.08/09 敷設艦常盤 爆撃により大湊で着底。

 そう。
 それからである。連合艦隊が勝てなくなったのは……。
 そして、負けるたびに多くの仲間たちが死んでいった……。
 ソロモン海
(パプアニューギニア)戦では、空母竜驤(りゅうじょう)が死んだ。
 ガダルカナル島
(ソロモン諸島)の戦では、戦艦比叡(ひえい)・戦艦霧島(きりしま)らが死んだ。
 私の姉妹艦である戦艦陸奥
(むつ)は、柱島(はしらじま。山口県岩国市)で休息中、原因不明の爆発によって死んだ。
 空母冲鷹
(ちゅうよう)は、八丈島(はちじょうじま。東京都八丈町)沖で殺された。
 マリアナ沖
(北マリアナ諸島)海戦では、空母翔鶴(しょうかく)・空母大鳳(たいほう)・空母飛鷹(ひよう)らが天へ召されていった。
「我々も死ぬのか?」
 怖がっていた戦艦武蔵も、シブヤン海
(フィリピン)で沈められた。
「今度こそ勝つ!」
 勇んで出かけた戦艦扶桑
(ふそう)も、レイテ沖海戦(フィリピン沖海戦・レイテ湾海戦)で死去。この海戦では、空母瑞鳳(ずいほう)・空母千歳(ちとせ)・空母千代田(ちよだ)たちも死んでいる。

 そして、とうとう戦艦大和も沖縄戦に出撃することになった。
 連合艦隊の旗艦としてではなかった。海上特攻艦隊旗艦としてであった。
 大和は私にあいさつに来た。
「先輩、お先に」
「死ぬなよ」
「私は特攻隊なんですよ。お国のために死んでくれと見送ってくださいよ」
「我々はニンゲンではない! たとえニンゲンであっても、そんな愚かなことすべきではない!」
 大和は黙って笑った。
 私は念を押した。
「生きるんだ! 必ず帰ってくるんだっ!」
 大和は出港した。
 彼は帰ってこなかった。
 彼は沖縄にもたどり着くことができなかった。
 途中、九州南方で撃沈されたのである。

 私は泣いた。
 ニンゲンにばれないように隠れて泣き叫んだ。
「どいつもこいつも、なんだ! なんだ! なんだーっ!」
 敵討ちをしようにも重油が少なくなったため、燃費の悪い戦艦は出撃できないようになってしまった。
 アメリカのニンゲンたちは喜んだ。
「ヤツラは動けなくなった! 日本中の戦艦を全滅させよ!」
 こうして停泊中の戦艦たちはなぶり殺しにされた。
 戦艦榛名
(はるな)・戦艦摂津(せっつ)・戦艦伊勢(いせ)・戦艦日向(ひゅうが)・空母天城(あまぎ)などなど、無抵抗な仲間たちが次々と殺されていった。
 私も殺されかけた。
 ここ横須賀
(よこすか。神奈川県横須賀市)で大襲撃を受けて半殺しにされたが、かろうじて生き延びた。
 こうして連合艦隊の主要艦のうち、私だけがただ一人生き残り、戦後を迎えたのである。

 敗戦でしょげていた日本のニンゲンたちは、横須賀港に浮かぶ私を見てしみじみと言った。
「やはり長門は『日本の誇り』であった……。長門は不滅だ……。アメリカの猛攻にも、たった一人生き残ったんだ……」
 アメリカはおもしろくなかったのであろう。
「何が不滅だ。ぶっ殺してやる」
 こうしてアメリカのニンゲンたちは、この老いぼれで傷ついた私に対して死刑を宣告したのであった。

 アメリカのニンゲンたちが私に乗り込んできた。
 私を死刑場へ連行するために……。
「長門はアメリカの原爆実験で沈められるそうだ」
 うわさを聞きつけて、横須賀港には大勢のニンゲンが集まってきた。
 その中には、かつての私の艦長の息子もいた。彼はどんな思いで私を見つめていたことであろう。

 私は出港した。
 昭和二十一年(1946)三月十八日のことである。
 ニンゲンたちはしょげていたが、私には魂の叫び声が聞こえた。
「長門! アメリカなんかに負けるな!」
「最後の大和魂を見せつけてやれ!」
「きっとだぞ……」

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