2.出家とその弟子

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カダフィ大佐虐殺
1.天平の面影
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3.大脱走
4.生きてゐる兵隊
5.憎いあンちくしょう
第三次長島一向一揆攻め織田軍陣容
攻撃方面
(現在住所)
主な武将 兵力
一江口
(愛知県弥富市)
織田信忠・織田信包・織田秀成
・織田長利・織田信成・斎藤利治
・簗田広正・森長可・坂井越中守
・池田恒興・長谷川与次・山田勝盛
・梶原景久・和田定利・中島豊後守
・関成政・佐藤秀方・塚本小大膳ら
約20,000人
賀鳥口
(三重県桑名市)
佐久間信盛・柴田勝家・稲葉一鉄
・稲葉貞通・蜂屋頼隆ら
約30,000人
早尾口
(愛知県愛西市)
織田信長・織田信広・木下(豊臣)秀長
・浅井政貞・丹羽長秀・氏家直通
(氏広)
・安藤守就・飯沼長継・不破光治
・不破勝光・丸毛長照・丸毛兼利
・佐々成政・市橋利尚・前田利家
・中条家忠・河尻秀隆・飯尾尚清ら
約30,000人
水軍
(伊勢湾)
織田信雄・織田信孝・九鬼嘉隆
・滝川一益・伊藤実信・水野守隆
・島田秀満
(秀頼)林秀貞・佐治信方ら
約10,000人

 天正二年(1574)七月十三日、織田信長長島一向一揆攻めのため美濃岐阜城(岐阜県岐阜市)を出陣、その日のうちにその子・信忠(のぶただ。尾張清洲城主)とともに尾張津島(つしま。愛知県津島市)に陣を張った。
 いわゆる「第三次長島一向一揆攻め」の始まりである。
 織田軍総勢九万
(七、八万とも)
「今度こそ決着をつける!」
 信長の意気込みの表れであった。

 数だけではなかった。
 林秀貞
(はやしひでさだ。通勝。通政の父。尾張那古屋城代)・氏家直通(うじいえなおみち。行広。卜全の子。直昌の弟)・織田信広(おだのぶひろ。津田信広。信興の長兄)・織田信包(のぶかね。信興の兄。伊勢上野城主)・織田秀成(ひでなり。津田秀成。信興の弟)・織田長利(ながとし。津田長利。信興の弟)・織田信次(のぶつぐ。津田信次。信興の叔父。尾張守山城主)・織田信成(のぶなり。津田信成。信興の従兄弟)など、前回までの戦いで戦死した身内の敵討ちに燃えるヤカラも大勢引き連れていったのである。
「息子よ。おまえのカタキは必ず取る!」
「目指すは憎き下間頼旦
(しもつま・しもずまらいたん)の首!」
「信興の恨みは織田一族総出で晴らすのだー!」

 織田軍の布陣は右の通り。

「織田信忠軍、長島の東、一江(いちのえ。一ノ江)口から来襲!その数約二万!」
「佐久間信盛軍、長島の西、賀鳥
(かとり。香取)口から進軍中!その数約三万!」
織田信長軍、長島の北、早尾口から侵攻!その数約三万!」
「織田信雄ら水軍、長島の南、伊勢湾を埋め尽くしています!船数数百艘
(そう)!」
 織田軍襲来の報は、長島一向一揆の事実上の総帥・下間頼旦のもとにもたらされた。
「約九万か。前回六万で前々回が五万。敵の数は一挙に増えたのう」
 頼旦は余裕だったが、下間豊後
(ぶんご。頼重または頼成)は心配していた。
「数もそうですが、今回は前回や前々回にはなかった水軍も来ています。長島は陸も海も完全に四方を取り囲まれました。これでは兵糧が届きません」
 豊後もまた、石山本願寺から派遣された坊官であった。
「たとえ兵糧が届かなくとも、一、二か月は籠城
(ろうじょう)できるだけの食糧はある。その間に補給路を確保すればいいだけのことじゃ。我が水軍服部(はっとり)党は強い。じきに本願寺や武田の水軍も応援に来る。弱い織田の水軍など、ひとひねりじゃ。――もっともその前に大雨が降り、織田軍本軍が撤退するであろうが」
「その時はまた、多芸山
(養老山。岐阜県養老町大垣市)で待ち伏せ攻撃ですか?」
「そうじゃ。『二度あることは三度ある』よ」
 そこへ頭を丸められた少年がやって来た。
「なに話しているの〜?」
 長島願証寺第五代住職、長島一向一揆の名目上の総帥・顕忍
(けんにん。佐尭)であった。
「上人さま。大人の話ですよ」
「ボクは仲間に入れてくれないの〜?」
「さ、さ、上人さま。こちらへどうぞ」
 頼旦は顕忍を伊勢湾の見える櫓
(やぐら)に案内した。
「ほら、敵の船がたくさん見えます」
「ホントだね〜。アリンコみたいだね〜」
 顕忍は楽しそうであった。
 頼旦がささやさいた。
「もうすぐあの船たちに火がつきます」
「え!そうなの?」
「きれいな夜景になりますよ〜」 
「楽しみ〜」

 七月十四日、織田軍は陸の三方から攻撃を開始した。
「者ども、今度こそ織田信興
(のぶおき。「騒乱味」参照)・氏家卜全(うじいえぼくぜん。「暴力味」参照)・林新次郎(通政。「泥沼味」参照)らの無念を晴らそうぞっ!」
「おおー!」

 まず、賀鳥から佐久間信盛軍が西から渡河して長島に上陸、森小一郎(もりこいちろう)の守る松之木砦(まつのきとりで。桑名市)を陥落させたため、森ら残兵は中江城へ退いた。
 信長軍は織田信興の元居城・小木江
(こきえ。愛知県弥富市)城を奪還し(「騒乱味」参照)、渡河して五明(五妙。弥富市)まで進んだ。
 一揆勢が篠橋
(しのばし・しのはせ。桑名市)城から打って出てきたが、木下秀長(きのしたひでなが)・浅井政貞(あさいまささだ)隊が撃退した。
 また、丹羽長秀
(にわながひで)隊は長島の南に回り込み、小田御崎(こたのみさき。桑名市)砦を攻撃、多数の敵を討ち取り、前ヶ州・海老江島(弥富市)・加路戸島(かろとじま。三重県木曽岬町)・いくいら島を焼き払った。

 七月十五日、織田信雄(のぶお・のぶかつ。伊勢大河内城主)ら水軍も戦闘に加わった。
 主力は志摩の海賊大名・九鬼嘉隆
(くきよしたか。志摩田城城主)率いる九鬼水軍である。
「攻め寄せよー!」
 数百艘の船団の中には、「安宅船
(あたけぶね・あたかぶね)」と呼ばれる主力艦が十数隻あった。
 全長五十メートル超、大鉄砲を搭載し、天守閣のような艦橋を背負った巨大戦艦である。
 一揆勢は仰天した。
「なんだあれは!」
「でかすぎー!」
「敵は城ごと攻めて来るぞー!」
「こりゃ勝てんわー!」
 各所で敗れた一揆勢は、各城に閉じ困ったっきり、出てこなくなってしまった。

 その晩、長島城(桑名市)では顕忍が夜景を見て喜んでいた。
「頼旦。城下が燃えてるよ。きれいだねー」
 頼旦は苦笑するしかなかった。
「ええ。燃えているのは残念ながら味方のほうですが」
 豊後が尋ねた。
「こうなったら籠城
して雨待ちですか?」
「ああ。雨が降るよう仏に祈るしかあるまい」
「ところで、仏の御加護って本当にあるんでしょうか?」
「たわけ!いまさら何を言っておるのじゃ!」

 一方、信長・信忠父子は長島に上陸、長島城の目と鼻の先にある殿名(とのめ。桑名市)に進軍した。
「敵は引きこもったか」
 信長は馬に乗って敵陣の様子を眺め回った。
 丹羽長秀が告げた。
「一揆勢は五つの城に分かれて籠城
し始めました」
 五つの城とは以下の通りである。

  長島城 顕忍・下間頼旦ら
  篠槁城 太田修理亮ら
  大鳥居城 水谷盈吉ら
  屋長島城 安藤秀国ら
  中江城 森小一郎ら

 このうち、長島内にあるのは長島城だけで、篠橋城は長島の東の島に、大鳥居(おおとりい。桑名市)城と屋長島(やながしま。柳ヶ島。桑名市)城と中江(なかごう。中郷。桑名市)城は、長島の西対岸にあった。
 また、長島の南端にはこれらとは別に大島
(おおしま。桑名市)城があり、大島親崇(ちかたか)という阿波の三好氏の一族が死守していた。

「であるか」
 信長は陣取りを指示した。

  篠橋城攻撃隊 織田信広・織田信成・織田信次・氏家直通・安藤守就・飯沼長継・浅井政貞・水野信元・横井時延ら
  大鳥居城攻撃隊 柴田勝家・稲葉一鉄・稲葉貞通・蜂屋頼隆ら
  長島城攻撃隊 織田信長・織田信忠ら
  坂手郷守備隊 佐久間信盛ら
  推付守備隊 市橋利尚・不破光治・丹羽長秀ら
  加路戸島口攻撃隊 織田信包・林秀貞・島田秀満ら
  大島城攻撃隊 織田信雄・織田信孝ら

 攻撃部隊は各城を取り囲んだ。
 信忠は勇み立った。
「一気に攻め込みましょうか?」
「いや」
 信長は慎重であった。
「もはや敵に逃げ場はない。打って出てきた敵をたたきつつ兵糧攻めを行う」
「いつまで包囲するのですか?」
「きやつらが一人残らず飢え死にするまでだ」

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