4.生きてゐる兵隊 | ||||||||||||||
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天正二年(1574)八月十二日、今度は篠橋城の城兵が織田信長に降伏を申し出てきた。
「降伏は許さぬ」
信長は一点張りであったが、篠橋城を攻めていた織田信広が、篠橋城将・太田修理亮(おおたしゅりのすけ)を捕らえてやって来た。
「太田が上様に申し上げたきことがあると」
「何度でも言う。降伏は許さぬ。戦に情けは無用!弟信興は一揆どもに情けをかけたために殺されたのだ!兄者も信興の兄であろう!弟を殺した一揆どもが憎くないのかっ?」
「私だって憎い。しかし、時には情けも必要だ。私は上様の情けがなければ、こうして生きながらえてはいなかった」
弘治三年(1557)頃、信広は当時の美濃国主・斎藤義竜(さいとうよしたつ。「最強味」参照)とともに信長排斥をたくらんだことがあった。
が、信長は未然に察知し、兄を許したのである。
「わかった。話だけは聞こう。ただし、その後どうするかは余の勝手だ」
「すまぬ」
信広は太田を連れてきた。
太田は額づいて訴えた。
「どうか、拙者の命と引き換えに、篠橋城の城兵を助けて下せえ!」
「ダメだ」
「なぜダメなのです!?」
「降伏を許さぬのは、貴様たちのためだからだ」
「意味が分かりません!」
「貴様らは『進めば極楽、退けば地獄』と言っているであろう?」
「はい」
「降伏とは、退くことじゃ」
「!」
「余は貴様らを地獄に落としたくはない」
「……」
「分かったら城へ帰り、全員で餓死して極楽往生を待つがよい」
「……」
「以上!」
信長は床几(しょうぎ)から立ち上がって去ろうとした。
「お待ちをっ!」
太田は叫んだ。
「私たちは死にたくありません!」
「ほう」
信長は振り返った。
「私たちは、極楽に逝くより、生きたいのですっ!」
「『進めば極楽、退けば地獄』というのはウソか?」
「そんなもん、建前に決まってるじゃないっすかー!」
信長は笑った。愉快になった。
太田は本性むき出しになった。
「お願いです!私たちは生きたいんです!不確実な極楽より、今ある確実な幸せのほうを守っていたいんです!どうか、どうか、あわれな私たちにお情けをぉー!」
信長は泣いて懇願する太田の前で座り込んだ。
「ならば、機会を与えよう」
「へ?」
「篠橋城にいる全員を助命し、長島城へ逃がしてやる代わりに、貴様は頼旦と顕忍を討ち、その首を余のところへ持参せよ」
「!」
「その他の条件はない。どの道、一揆が壊滅するのは時間の問題」
「……」
「嫌ならせずともよい。篠橋城で『極楽往生』のほうがよければそれでよい」
「ややや、やります〜、やります〜」
「猶予は一か月。長島城への総攻撃はしばし待ってやる。その間に頼旦らの首を持ってこなければ、長島城の者どもともども皆殺しじゃ」
「分かりました。それが生きるためのただ一つの手段であれば、仕方ありません」
「約束だぞ」
「ははあー」
同日、篠橋城は開城し、城兵やその家族たちは長島城へ逃げていった。
長島城では頼旦が太田たちを迎え入れた。
「御苦労。これからはともに戦おうぞ」
そう言ったものの、頼旦は不機嫌であった。
彼は「密命」には気づかなかったが、もう一つの思惑には気づいていた。
(信長め!長島城の兵糧を早く尽きさせる気じゃな)