4.生きてゐる兵隊

ホーム>バックナンバー2011>4.生きてゐる兵隊

カダフィ大佐虐殺
1.天平の面影
2.出家とその弟子
3.大脱走
4.生きてゐる兵隊
5.憎いあンちくしょう

 天正二年(1574)八月十二日、今度は篠橋城の城兵が織田信長に降伏を申し出てきた。
「降伏は許さぬ」
 信長は一点張りであったが、篠橋城を攻めていた織田信広が、篠橋城将・太田修理亮
(おおたしゅりのすけ)を捕らえてやって来た。
「太田が上様に申し上げたきことがあると」
「何度でも言う。降伏は許さぬ。戦に情けは無用!弟信興は一揆どもに情けをかけたために殺されたのだ!兄者も信興の兄であろう!弟を殺した一揆どもが憎くないのかっ?」
「私だって憎い。しかし、時には情けも必要だ。私は上様の情けがなければ、こうして生きながらえてはいなかった」
 弘治三年(1557)頃、信広は当時の美濃国主・斎藤義竜
(さいとうよしたつ。「最強味」参照)とともに信長排斥をたくらんだことがあった。
 が、信長は未然に察知し、兄を許したのである。
「わかった。話だけは聞こう。ただし、その後どうするかは余の勝手だ」
「すまぬ」

 信広は太田を連れてきた。
 太田は額づいて訴えた。
「どうか、拙者の命と引き換えに、篠橋城の城兵を助けて下せえ!」
「ダメだ」
「なぜダメなのです!?」
「降伏を許さぬのは、貴様たちのためだからだ」
「意味が分かりません!」
「貴様らは『進めば極楽、退けば地獄』と言っているであろう?」
「はい」
「降伏とは、退くことじゃ」
「!」
「余は貴様らを地獄に落としたくはない」
「……」
「分かったら城へ帰り、全員で餓死して極楽往生を待つがよい」
「……」
「以上!」
 信長は床几
(しょうぎ)から立ち上がって去ろうとした。
「お待ちをっ!」
 太田は叫んだ。
「私たちは死にたくありません!」
「ほう」
 信長は振り返った。
「私たちは、極楽に逝くより、生きたいのですっ!」
「『進めば極楽、退けば地獄』というのはウソか?」
「そんなもん、建前に決まってるじゃないっすかー!」
 信長は笑った。愉快になった。
 太田は本性むき出しになった。
「お願いです!私たちは生きたいんです!不確実な極楽より、今ある確実な幸せのほうを守っていたいんです!どうか、どうか、あわれな私たちにお情けをぉー!」
 信長は泣いて懇願する太田の前で座り込んだ。
「ならば、機会を与えよう」
「へ?」
「篠橋城にいる全員を助命し、長島城へ逃がしてやる代わりに、貴様は頼旦と顕忍を討ち、その首を余のところへ持参せよ」
「!」
「その他の条件はない。どの道、一揆が壊滅するのは時間の問題」
「……」
「嫌ならせずともよい。篠橋城で『極楽往生』のほうがよければそれでよい」
「ややや、やります〜、やります〜」
「猶予は一か月。長島城への総攻撃はしばし待ってやる。その間に頼旦らの首を持ってこなければ、長島城の者どもともども皆殺しじゃ」
「分かりました。それが生きるためのただ一つの手段であれば、仕方ありません」
「約束だぞ」
「ははあー」

 同日、篠橋城は開城し、城兵やその家族たちは長島城へ逃げていった。
 長島城では頼旦が太田たちを迎え入れた。
「御苦労。これからはともに戦おうぞ」
 そう言ったものの、頼旦は不機嫌であった。
 彼は「密命」には気づかなかったが、もう一つの思惑には気づいていた。
(信長め!長島城の兵糧を早く尽きさせる気じゃな)

歴史チップス ホームページ

inserted by FC2 system