5.憎いあンちくしょう | ||||||||||||||
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天正二年(1574)も九月の半ばを過ぎた。
「一か月が過ぎた。太田とやらはいまだ首を届けに来ぬか?」
丹羽長秀がかしこまった。
「はい。期限は過ぎました。長島城に総攻撃を仕掛けましょうか?」
「もう少し待て。じきにその必要はなくなるはずじゃ」
長島城内の兵糧はすでに尽きていた。
餓死者もバタバタと出てきた。
下間豊後は荒れた。
「本願寺は何をしているんだ!武田は何をしているんだ!早くメシを届けてくれよっ!腹減りすぎて戦なんかできねーよ!」
「もう我慢できない!餓死するよりは敵と戦って死ぬぞ!」
「そうだ!我らには仏がついている!念仏さえ唱えていれば、討たれるはずがない!」
豊後らは強引に打って出た。
だん!だーん!
そして、瞬く間に敵に討たれて仏になった。
下間頼旦は困った。
「まさかあの短気な信長に二か月以上も完全包囲されるとは、思ってもみなかった……」
「頼旦、腹減ったよ〜」
とうとう顕忍に食べさせるものすらなくなってしまった。
太田修理亮が進言した。
「もはや、降伏するしかありません」
頼旦は鼻で笑った。
「降伏したところで皆殺しじゃ」
「そうとは限りません。信長も人の子です。織田軍には織田信広など話が分かる人もいます。もちろん、私たちの命には望みはないでしょうが、顕忍上人さまほか女子供の命は助かるかもしれません。上人様はまだ十四歳(十一歳とも)なのです。まだ往生するような年ではないのです!ここはもう、わずかな可能性にかけるしかないでしょう。このまま城で餓死するよりは、降伏するほうが生き残る望みはあるはずです」
「分かった。では、おぬしが和平交渉に行ってくれ」
「了解」
信長は太田修理亮の顔を見ると、莞爾(かんじ)として笑った。
「ひさしぶりだな、太田」
「今日またお願いがやって参りました。長島城の人々の命を助けていただきたく――」
「聞くところによると、城内では大半の者が餓死したそうだな」
「はい。悲惨すぎます……」
「であるか」
「はい」
「戦は終わりじゃ。生き残った長島城の者は全員助ける」
信長の言葉に、太田は耳を疑った。
「へ!本当ですか!?」
「ただし条件がある」
「ど、どんな?」
「みなみな身に寸鉄も帯びず、死に装束で投降せよ」
「分かりました。しかと」
「約束は守れよ」
「ははあ」
太田が去った後、林秀貞がやって来た。
「上様。長島城の者全員をお助けになるということは、にっくき頼旦も助けるということでしょうか?」
「いかにも」
「ううう……。あんまりです……。息子のカタキも取ることができない無力な私が口惜しゅうございます……」
「佐渡」
「はあ」
「鉄砲をすぐに撃てる用意をしておけ」
「何ゆえに?」
「頼旦を撃ちたいのであろう?」
「え?――ひょっとして、だまし討ちをなさるので!?」
「だまし討ちではない。一度約束を破った者は何度でも破るものだ」
九月二十九日、長島城は開城した。
城兵やその家族が死に装束を着て、次々と城から出てきた。
誰も武器は持っていなかった。
みなみな身に寸鉄も帯びていないはずであった。
「さ、さ、上人さま。どうぞこちらへ」
頼旦と顕忍も城から出てきた。
「腹減りすぎて、足に力が入んないよ〜」
「もう少しの辛抱です。すぐにたらふく食べられるようになりますよ」
「おおお……。顔の前で食べ物が飛び回ってるう〜」
死に装束の行列は延々と続いた。
空腹のあまりか、行列の中の一人の男が転んだ。
どてっ!
ずしゃ!
転倒音とともに金属音がした。
「おっと、あぶねえ」
立ち上がろうとした男の懐に鞘(さや)のようなものが見えた。
それを信長は見逃さなかった。
サッと手を振って合図した。
ババババババババババハ!
突然の一斉射撃であった。
「ぎゃー!」
「何すんのー!?」
行列は波打ち、地に伏せ、船上に倒れた。
「びえーん!」
顕忍は轟音(ごうおん)の中に無残に散った。
「何てことを!」
頼旦は怒った。
「おのれ、信長!よくもだましたなーっ!」
だだだだだだだだーん!
叫ぶ頼旦の胸にもまた、真っ赤な「ハチの巣」が完成済みであった。
「南無阿弥陀仏……」
どて。
瀕死(ひんし)の太田はヨロヨロと信長に近づいた。
ばた。
倒れたが、はって寄っていった。
「約束が……、違うじゃないっすかぁ〜」
信長は冷たく言い捨てた。
「余は、約束を守らぬヤツとの約束は守らぬ」
「!」
太田は気がついた。
じょび!
気づいた瞬間にはもう、刀のさびになっていた。
死に装束の下に刀を隠していた男は一人だけではなかった。
何人も、何十人も、何百人もいた。
「ばれちゃ仕方ねえ!」
「だいたい全員助命なんてうまい話があるはずねえ!」
「初めからこうなることは分かっていたぜー!」
「どうせおいらたちは死ぬんだ!悔しいから、テメーらもまとめて死ねやー!」
連中は抜刀し、信長本陣に乱入した。
「うわっ!こっち来た!」
「降伏したんじゃなかったの〜!?」
「ぬをお!寸鉄どころじゃないもん持ってる〜!」
「逃げろー!」
油断していた信長本陣は無防備であった。
ようやく鎮圧したときには、たくさんの親族衆が血まみれで横たわっていた。
「何をしておるのじゃ!」
信長が駆けつけ、肩怒らせて歩き回り、倒れているみんなに呼びかけて助け起こした。
が、織田秀成は事切れていた。
織田信成も死んでいた。
織田信次も動かなくなっていた。
信広の遺体もあった。
信長は怒鳴りつけた。
「何だ兄者!立てっ!」
立つはずがなかった。
「今川に人質に取られても死ななかった兄者が(「最強味」参照)、余に謀反を起こしても生き延びた兄者が、どうしてこんなところで死んでいるんだ!早く立ちやがれっ!」
信長は怒り狂った。
「余は認めぬ!認めんぞっ!敵に情けをかけた弟も兄も死んだ!ゆえに情けなど無用と言ったのじゃ!戦に情けは無用なりっ!長島の残党は皆殺しじゃー!」
長島城落城を聞いた大島親崇は、大島城から退去した。
また、一揆に組して戦った香取法泉寺住職・空明(くうみょう)は、顕忍の弟・顕彗(けんえ)を連れて石山本願寺へ脱出した。
最後まで残った中江城と屋長島城は、周囲に何重もの柵を設けて絶対に逃げられなくした後、火を放たれて丸焼けにされた。
両城では約二万人が焼け死んだという。
[2011年10月末日執筆]
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