4.日本の仁義 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2022>令和四年10月号(通算252号)併合味 ハーグ密使事件4.日本の仁義
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高宗の告発未遂は、たちまち日本政府の知るところとなった。
「自ら墓穴を掘ることはあるまいに」
首相・西園寺公望は元老・山県有朋や松方正義らと相談、
「これは日本に対する反逆ですぞ」
「反逆者に政治は任せられぬ。韓皇から内政の権限を取り上げるべし」
という意見を統監府に知らせた。
要請を受けて伊藤博文は高宗に詰め寄った。
「韓皇は日本に守ってもらいたくはないのですかな?」
「……」
「このような陰険な手段でもって日本の保護権を拒否したいのであれば、日本に対して宣戦布告するほうが捷径(しょうけい)でしょう」
高宗はとぼけた。
「朕は何も知らぬ。部下が勝手にやったことだ」
「だまらっしゃい! 密使が陛下の命令で動いた証拠はつかんでいる! 各国の新聞によって日本をおとしめようとしたことも周知である!」
伊藤はさらに李完用韓首相も呼びつけてまくし立てた。
「韓国は反逆した! 日韓協約を破って自分勝手に動きまくった! 日本には韓国を成敗する大義名分がある! 日本と戦いたくなければ、韓皇は責任を取るべし! それが日本の仁義というものである!」
「陛下はいったいどうすれば?」
「退位するしかありませんな」
「ううう……」
追い詰められた高宗は、明治四十年(1907)七月二十日に子の純宗に譲位してしまった(純宗が即位したのは八月二十七日)。