1.没収!山名満幸!! | ||||||||||||||
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山名満幸 PROFILE | |
【生没年】 | ?-1394 |
【本 拠】 | 丹後(京都府)ほか |
【職 業】 | 武将 |
【役 職】 | 侍所頭人(1384-1385,1386) 丹後・伯耆・出雲・隠岐守護 ・讃岐守→播磨守・弾正少弼 |
【 父 】 | 山名師義 |
【 妻 】 | 山名氏清女 |
【兄 弟 】 | 山名義幸・氏之(氏幸)・義煕 |
【没 地】 | 京都五条高倉(京都市上京区) |
明徳二年・元中八年(1391)十月十六日午刻(正午頃)、地震が起こった。
「何事じゃ?」
将軍・足利義満(「足利氏系図」参照)は揺れが治まると、駆けつけてきた陰陽師(おんみょうじ)・安倍有世(あべのありよ。土御門有世。「安倍氏系図」参照)に占わせた。
「兵乱が起こりまする」
「ほう。凶事か?」
「いえ。雨降って地固まりまする」
「吉兆じゃな」
義満はニヤリとした。管領後見・細川頼之(ほそかわよりゆき。「細川氏系図」参照)に聞いた。
「戦支度は万端であろうな?」
「ととのいました!」
義満は喜んだ。
「機は熟せり!」
十一月、足利義満は、丹後伯耆出雲隠岐守護・山名満幸(やまなみつゆき。「山名氏系図」参照)から領国の一つを没収した。
「そちは仙洞御領(せんとうごりょう。後円融上皇領)である出雲横田荘(よこたのしょう。島根県奥出雲町付近)を強奪し、代官・日野資教(ひのすけのり。「日野家系図」参照)の家人を追い出した。よってそちの出雲守護職を没収し、丹後への下向を命ずる」
満幸は反抗しなかった。
「ははあー」
正確には、反抗心を内に秘めていた。
満幸は、幻の紅葉狩り以降、仮病で山城宇治(うじ。京都府宇治市)にこもっている山城和泉丹波但馬守護・山名氏清にあいさつに行った。
「叔父上。将軍に出雲を没収されました。今から丹波を通り丹後に帰ります」
丹波は氏清の領国である。
氏清は苦笑した。
「荘園強奪は言いがかりじゃ。この御時勢、似たようなことはどこの守護でもやっておる。わしも人事とは思えぬ。そのうちにわしも難くせを付けられ、この山城あたりが没収されるであろう」
「そうでしょう。将軍の魂胆は、オレたちの領国を没収して時煕(ときひろ)と氏之(うじゆき)にくれてやることですから。いずれ今は叔父上のものになっている但馬も時煕に、オレのものになっている伯耆と隠岐も氏之に返還されてしまうのです」
「領国を没収されては、わしらは武装解除ということだ」
「そのとおりです!将軍はオレたちを丸腰にしてから、時煕と氏之に追討させようとしているのです!やり方が汚すぎますっ!」
「そうはさせるか!すでに山名の長老・義理(よしただ)兄はわしらに味方することを約束してくれた!因幡守護・氏家(うじいえ。氏冬の子。氏清の甥)も近く領国へ下り、挙兵する予定だ!しかもわしらには必勝の奥の手がある!」
氏清は奥から旗を出してきた。
「おおっ、これは!」
「そうだ!南朝から拝領した錦の御旗だ!これでわしらは官軍になったのだ!」
「官軍!」
「そうだ!わしらは錦の御旗を掲げて京に攻め上るのだ!お前は西国の兵を結集し、西から京を攻めよ!わしは南から京へ攻め込む!義理兄も紀伊から和泉へ出て、摂津天王寺(てんのうじ。大阪市天王寺区)に陣する予定だ!わしは義満を討ち取って征夷大将軍になる!ともに山名幕府を打ち立てようぞっ!」
「願ってもないこと!――で、決戦の日時は?」
「十二月二十七日!」