2.報告!古山満藤!! | ||||||||||||||
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明徳二年・元中八年(1391)十二月十九日、丹後の国人・古山満藤(ふるやまみつふじ。後の結城満藤)が足利義満に報告した。
「丹後にいる代官から知らせがありました。山名満幸が大軍を集め、近々京へ攻め上るつもりであると」
また、河内守護代・遊佐国長(ゆさくになが)からも報告があった。
「和泉の山名氏清が戦支度をしております。拙者らは無勢ですが、各所に砦(とりで)を構えて備えております。また、氏清は紀伊美作守護の山名義理にも加勢を求めました。義理は初めは挙兵を止めたそうですが、結局は氏清の挙兵に応じる予定です」
十二月二十三日、在京していた因幡守護・山名氏家が国へ帰った。
諸武将は震え上がった。
「氏家は山城の八幡(やわた。京都府八幡市)へ向かったそうだ」
「和泉から京へ攻め上ろうとする山名氏清を八幡で出迎えるためだそうな」
「一方、丹波からは山名満幸が、紀伊からは山名義理が攻めてくるという」
「山名一族をすべて敵に回して将軍さまは勝てるんかい?」
十二月二十四日、満幸は丹後から丹波に進軍、氏清も和泉を発し、八幡へと向かった。
● 内野の戦幕府軍陣容 | ||
守備地 |
主な武将 | 兵力 |
中御門堀河ほか (一色詮範邸ほか) |
足利義満 | 約3,000騎 |
春日猪熊 | 一色詮範 | 約300騎 |
中御門西大宮 | 細川頼之 ・細川頼元 ・細川頼春 |
約2,000騎 |
土御門大宮 | 畠山基国 | 約800騎 |
一条西大宮 (大嘗会畠) |
京極高詮 | 約700騎 |
九条大宮 (東寺) |
今川泰範 ・赤松顕則 ・六角満高 |
約800騎 |
中御門油小路 | 勘解由小路義重 | 約500騎 |
冷泉西大宮 (雀の森) |
赤松義則 | 約700騎 |
二条大宮 | 大内義弘 | 約500騎 |
幕府軍合計 | 約9,300騎 |
十二月二十五日、足利義満は柳原(やなぎはら。京都市上京区)の古山満藤邸に諸武将を招集し、軍議を開いた。
集まったのは管領後見・細川頼之(ほそかわよりゆき)、管領・細川頼元(よりもと)、淡路守護・細川満春(みつはる)、河内能登越中守護・畠山基国(はたけやまもとくに)、駿河守護・今川泰範(いまがわやすのり。「今川氏系図」参照)、遠江守護・今川仲秋(なかあき)、三河若狭守護・一色詮範(いっしきあきのり。「一色氏系図」参照)、加賀守護・勘解由小路義重(かでのこうじよししげ。斯波義教。義将の子。「斯波氏系図」参照)、周防長門石見豊前守護・大内義弘、播磨備前守護・赤松義則(あかまつよしのり。「赤松氏系図」参照)、飛騨守護・京極高詮(きょうごくたかのり・たかあきら。佐々木高詮)らである。
「いかにして山名の軍勢を迎え撃つべきか?各々の意見を述べよ」
諸武将の意見は様々であった。
「我らは官軍。正々堂々と京に陣を構えて迎え撃つべきでしょう」
「いや。京は攻めるにやすし、守るにかたし。東山(ひがしやま。京都市東山区)か比叡山(京都府・滋賀県境)に布陣し、地の利を利用して迎撃すべきかと」
「山名を甘く見てはならぬ。山名は十一か国の領国すべてを軍功で得た天才戦闘集団なのじゃ。できれば戦わないほうがいい」
「和平ということか?」
「幕府軍は約一万。対して氏清・満幸軍は数千。しかし、これに義理軍が加われば、幕府軍を上回ることは必定」
「さらに南朝軍も加わるかも知れぬし」
「鎌倉公方(足利氏満)が幕府軍に加勢すると言ってきているが、あれは形勢が有利なほうにつくつもりであろう」
「さかのぼれば、この戦いは康暦の政変(「戦争味」参照)での細川派と斯波派の確執から生じたもの。戦が始まれば、幕府軍にいる斯波派の武将たちが山名に裏切るやも知れぬ」
「この大内が裏切るというのか!」
「たとえばの話でござる」
「仮定の話でも許せぬ!言っていいことと悪いことがあるぞ!だいたい斯波派は南朝との交戦派、細川派は南朝との和平派ではないか!我らにとって南朝に転じた山名は憎きカタキにすぎぬ!むしろ貴殿ら細川派の面々こそ南朝に近い!貴殿らこそ南朝に裏切るつもりではないのか!?」
「何を言うか!拙者はこの戦いで先陣を務めるつもりで参ったのでござる!」
「わしこそ先陣を務めるつもりで参った!山名氏清か満幸を討ち取るのは、このわしじゃー!」
「山名と同じ斯波派は信用できませんな〜。形勢次第でいつ軍の向きを変えるかわかりませんからな。今、山名には勢いがある。戦が始まれば勢いに飲まれないとも限るまい」
「まだ言うか!ならば山名の要求を飲むというのか?山名の要求は、将軍さまの辞任であるぞ!将軍さまがお辞めになられたいわけがないであろう!」
「辞任したフリで治めるという手もあるのでは?」
「そんなものが通用するか!戦いあるのみじゃー!」
「将軍さま、ここはいったん和平の方がよろしいかと。戦闘を捨て、軍略で勝つ手の方が無難かと」
「いいや戦闘あるのみじゃ!」
「和平!」
「戦闘!」
「将軍さま、御決断を!」
義満は静かに口を開いた。
「和平は姑息(こそく)な手段に過ぎぬ。だまされたと分かれば、山名は何度でも攻めてくるであろう。主君に対してケンカを吹っかけてくる不忠者はすみやかに討ち果たさねばならぬ。長引かせれば、幕府の権威は失墜するだけじゃ」
義弘は喜んだ。
「よっ!それでこそ将軍さま!」
「しかし、この戦いが厳しいものであることは否定できぬ。しからば当家の運と山名が一家の運とを、天の照覧に任すべし」
「ははーっ」
「余の本陣は一色詮範邸に構える。各隊は内野(うちの。京都市上京区)に展開せよ」
内野は平安宮(平安京大内裏)があった場所である。安貞元年(1227)の火災以降、広大な荒地になっていた。
「大内、先陣を頼むぞ」
「ははーっ。ありがたきしあわせー」
十二月二十六日、幕府軍は京内や内野に布陣した。幕府軍の陣容は右の通り。