2.忠告!藤原緒嗣!!

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奈良という古都
1.秘密!伊予親王!!
2.忠告!藤原緒嗣!!
3.勧誘!藤原宗成!!
4.扇動!藤原雄友!!
5.窮鼠!藤原内麻呂!!
6.転換!藤原仲成!!

 大同元年(806)五月十九日、新皇太子が定まり、立太子した。
「ワクワク!ワクワク!」
 藤原雄友は伊予親王の立太子を楽しみにしていたが、予想外にも神野親王が立ってしまったのである。
「なんで?なんで?伊予親王殿下ではないんですか!?」
 雄友が詰め寄ると、平城天皇は仕方なさそうに言った。
薬子が『伊予は南家出身だからダメ〜。次の皇太子も当然式家出身の神野にして〜』ってダダをこねたから〜」
 神野親王平城天皇の同母弟で、桓武天皇皇后・藤原乙牟漏
(おとむろ)の子である(「式家略系図」参照)
「そんなぁ〜」
 雄友は落胆消沈した。

平城天皇政権閣僚(806.6/)

官 職 官 位 氏 名  兼職・備考
天 皇 平城天皇
尚 侍 従三位 藤原薬子
右大臣 正三位 藤原内麻呂 近衛大将。北家
大納言 正三位 藤原雄友 民部卿。南家
中納言 従三位 藤原乙叡 兵部卿。南家
中納言 従三位 坂上田村麻呂 征夷大将軍・中衛大将
中納言 従三位 紀 勝長 左兵衛督
参 議 従三位 藤原葛野麻呂 東海道観察使。北家
参 議 従三位 藤原縄主 西海道観察使。式家
参 議 正四位上 菅野真道 大宰大弐
参 議 従四位上 藤原緒嗣 畿内観察使。式家
参 議 従四位上 秋篠安人 北陸道観察使・左大弁
参 議 従四位上 藤原園人 山陽道観察使。北家
准参議 従四位下 吉備 泉 南海道観察使。右大弁
准参議 従四位下 安倍兄雄 山陰道観察使。右兵衛督
※ 赤字は同年死亡。青字は同年昇進。
※ 東山道観察使は807年設置
(安倍兄雄が就任、山陰道観察使は菅野真道が務めた)。
※ 807年に参議・准参議は観察使と改称(平城天皇譲位まで存続)。

 実はこれには式家の策謀があった。
 薬子にそう言わせたのは、その兄・藤原仲成であった。
 仲成長岡京造営中に暗殺された中納言・藤原種継の長子である
(「怨念味」参照)
 種継の死後、式家はしばらく衰え、南家や北家が台頭していた。
「父があそこで死ななければ、おれは今頃、納言や大臣になっていた……。北家の内麻呂
(うちまろ)や、南家の雄友より上位になっていたんだ」
 いまだ参議にもなっていない仲成は、常にそう思っていた。
 ちなみに左表が大同元年六月当時の参議以上の閣僚である。

 仲成は巻き返しをもくろんでいた。
(一番いいのは我が娘が生んだ子を帝位に就けること)
 それはわかっていたが、仲成に娘はいなかった。
(二番目は、妹が生んだ子を帝位に就けること)
 それもわかっていたが、妹薬子はかなり年で難しかった。
(三番目は、一族式家の娘が生んだ子を帝位に就けること)
 それがわかっていたからこそ、該当者である神野親王の立太子に動いたわけである。
 そしてそれは難なく成功した。何しろ平城天皇薬子の思うがままである。
(ハハッ!ようやくおれに風が吹いてきたようだ!)
 仲成は考えた。
(今なら北家と南家を蹴
(け)倒し、式家が完全天下を獲ることも可能だ!)

藤原仲成 PROFILE
【生没年】 764-810
【出 身】 山城国葛野郡?(京都市右京区)
【本 拠】 山城国葛野郡?(京都市右京区)
【職 業】 公卿(政治家)
【役 職】 出羽守→出雲守→左中弁→越後守
→治部大輔・山城守・主馬頭→大和守・兵部大輔
→左兵衛督・右大弁→北陸道観察使・左衛士督・大蔵卿
→参議・右兵衛督・伊勢守→佐渡権守ほか
【位 階】 従正五位下→従五位上→正五位下→従四位下
【 父 】 藤原種継
【 母 】 粟田道麻呂の女
【 子 】 藤原藤主
【叔父母】 藤原安継ら
【兄 弟】 藤原山人・藤原薬子(尚侍。平城天皇愛人)・藤原藤生ら
【主 君】 桓武天皇・平城天皇・嵯峨天皇

 仲成は都の南、山城の山本(やまもと。京都府京田辺市)を訪れた。
 そこに式家の出世頭である参議・藤原緒嗣
(おつぐ)の別邸があるのである。彼は公卿中一、二を争う大富豪でもあった。
「ああ、仲成殿。神野親王立太子の件、めでたいですね」
 緒嗣の父は、桓武天皇擁立に大功のあった希代
の策士・藤原百川(「ヤミ味」参照)である。そのおかげで彼はわずか二十九歳で参議に任じられた。
「うん。これで今上(平城天皇)の後も式家の血を引く帝になった」
「貴殿の天下ですか?」
「いや。あなたや縄主
(ただぬし)殿ともども、式家全体の天下だ」
「縄主ですか。あの帝と穴兄弟の……」
「下品な言い方はやめてくれ!薬子はおれの妹なんだから」
「そういえば、北家の葛野麻呂も穴兄弟……」
「やめろってっ!」
 緒嗣は笑った。
「ふぉっふぉっ!言い過ぎましたね。――それにしても貴殿の妹はおもしろいですね」
 仲成は言った。
「あいつは名前の通り、昔、薬子
(貴人の毒見役)をやっていた。そのときに変な毒でも食べて少々頭がおかしくなってしまったのかもしれない」
「いえいえ。後宮の仕事もてきぱきとこなしていると聞いています。少しおかしいのはアッチのほうだけではないですか?」
「だから、アッチのことはこっちに置いておいてっ」
「いえいえ。アッチは大事ですよ。貴殿もそのおかげでトラの皮をかぶっていられるんでしょう?」
「それはそうだが……。おれは現状には満足していない」
「強欲ですね。これ以上何を求めるのですか?」
「おれが望んでいるのは、式家の完全天下だ。トラの皮をかぶっていられるうちに南家と北家をたたきのめしておきたいのだ。二度と立ち上がれないまでに」
「おーおー、怖いですね〜」
 緒嗣の口は笑っていたが、目では笑っていなかった。
 仲成はにじり寄って小声になった。
「今夜来たのはそのためだ」
「カネが欲しいんですか?」
「いやいや。希代の策士の御曹司に意見を求めにきただけだ」
「私に策はありませんよ」
「すでに策は考えてある。南家と北家、双方を共倒れにする究極の策略を」
「へー。どんな策です?」
「ちょっと耳を」
 仲成は緒嗣の耳元でコショコショと明かした。
 緒嗣はうなずいた。
「なるほど。貴殿は策士ですね」
「どーも」
「ただし、策士というものは、人に策を語らぬものです」
「ハハッ!あなたは仲間なんだから、明かしてもいいではないか」
「策士に仲間はいません」
「――ってことは、ばらすのか?」
「ばらしはしません。貴殿が哀れです。それからもう一つ忠告しておきます」
「何だ?」
「策というものは、弄
(ろう)した者のところに必ず返ってくるものですよ」
「まさか!」
 仲成は吹き出した。苦笑して続けた。
「おかしいな。希代の策士の御曹司が策略を否定するようなことを言うとは……」
「否定するような、ではなく、否定しているんですよ。悪いことは言いません。やめておきなさい」 
 仲成は怒った。
「あなたの尊父百川
(きょう)は策を弄することでのし上がってきたではないか!あなたはその父の生き様を否定しているのかっ!」
「そうです!晩年の父が不幸だったのは、ひとえにも二重にも策を弄しすぎたからです!策を弄することがなければ、早死にもせず、いつまでも幸せに生きられたはずですっ!」
「もういい!あなたになんと言われようとおれはやる!あなたはわかっていない!幼くして父を亡くした子の心が!」
「私の父は、私が五歳のときに死んでいます!」
「あんたとおれとは全然立場が違う!先帝の無二の功臣の忘れ形見として贅沢三昧
(ぜいたくざんまい)に暮らしてきたあんたとはなっ!南家や北家の連中にペコペコこびへつらってきたあんたとはなっ!おれは一度、最下層まで突き落とされたんだ!ようやく最近になってここまでのし上がってきたんだ!これまで辛酸をなめ続けてきたおれの気持ちが、上の方でのほほんと生きてきたあんたなんかにわかってたまるかぁー!」
 仲成は立ち上がった。
「あんたの干渉は受けない。おれは誰に何と言われようとやってやる!おれは、南家も北家もこのおれの前にひざまずかせてやらなければ気がすまないんだっ!」
 帰ろうとした仲成に、緒嗣がため息混じりに言った。
「貴殿の策で南家は倒せるでしょう。でも、北家を倒すことは不可能です。流言は知者に止
(とど)まる。右大臣(≒首相)内麻呂を甘く見てはいけません」
「フッ!内麻呂は先帝に最愛の妻を寝盗られた時もニコニコしていた軟弱な男ではないかっ!」
 内麻呂は若い頃、百済永継
(くだらのながつぐ・えいけい)という女性と結婚し、長男・真夏(まなつ)と次男・冬嗣をもうけたが(「北家略系図」参照)、後に彼女は後宮に入り、桓武天皇の子・良岑安世を生んでいた(「尾行味」参照)
 仲成はまくし立てた。
「内麻呂は愛する女も守れないフニャフニャで堕落した男だ!そのような男が北家という大木を守れるであろうか?守れるはずがない!買いかぶりすぎだっ!」
逆です。内麻呂は家を守るためには、最愛の女をも平然と捨てられる男なのです。ヤツは神野親王立太子を聞いたときも、すぐにこれに最愛の娘・緒夏
(おなつ)を近づかせました」
「そのくらいのことはどこの公卿でもやっている。今に見ているがいい!その女も父ともども、不幸のどん底に突き落としてやろうっ!ハーッハハ!」

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