1.潜 伏 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2021>令和三年2月号(通算232号)変異味 布引の滝の変異1.潜伏
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源義平は落ち武者である(「清和源氏系図」参照)。
平治元年(1159)十二月二十六日、平治の乱における六条河原での決戦で平清盛らに敗れたため(「桓武平氏系図」参照)、東国へ落ち延び、飛騨や越前で味方を募っていた。
敗れたとはいえ、「悪源太(あくげんた)」と恐れられた義平の武勇は天下に轟(とどろ)いていた。
「悪源太さまの下でなら」
うわさを聞きつけて各所から武士が集まってきた。
「思いの外、集まったな。この調子なら再起も近いぞ」
喜んでいた義平のもとに、悲報が飛び込んできた。
「尾張へ落ち延びていた左馬頭(さまのかみ。源義朝)さまが亡くなられた」
「何! 父上が……」
平治二年(1160)正月四日、清和源氏の棟梁・源義朝は、尾張野間で内海荘司・長田忠致(おさだただむね)に殺されてしまった。享年三十八。
忠致は義朝の腹心・鎌田正清(かまたまさきよ。正家・政家)の岳父だったが、裏切って婿の正清共々だまし殺したのである。正家の享年も三十八。
義平は義朝の長男で、若干二十歳。
「左馬頭さまが亡くなられては源氏も終わりだ」
「御長男の悪源太殿はまだ二十歳」
「これからは平家、播磨守(平清盛)さまの天下だ」
そのため、せっかく集めた味方たちが全員離散してしまったのである。
「終わりだ……」
義平は愛刀「石切丸(いしきりまる)」を握りしめて自害も考えたが、思いとどまった。
「そうだ! 京都に行こう! 戦はできないが、清盛一人を暗殺するだけなら俺一人でもできる!」
義平はテロリストになった。
密かに上洛して京内に潜伏し、六波羅(ろくはら。京都市東山区)に住む清盛の命をつけ狙うことにした。
往来で見知った人に出会った。
丹波の住人で、義朝に仕えていた志内景澄(しうちかげずみ。景住)であった。
「よう!」
「あ、若さま……。どうしてこんなところに?」
「子細はわかっているはずだが」
「逃走中ですか……」
「まあな」
「聞きました。大殿さま(義朝)が尾張で終わられたそうで……」
「ああ。だが、こっちもやられてばかりはいない。機会があれば、やり返すつもりだ」
「六波羅に住むアイツを襲うつもりですね?」
「そうだ。おぬし、六波羅の平家にツテはないか?」
「ありますよ。私は今、そのアイツに仕えているんですから」
「何だと!おぬし、清盛の犬になったのか!?」
「仕方なくです。心底仕えているわけではありません。私は源氏累代の家来ですよっ」
「では、源氏の御曹司である、この義平の願いを聞き届けてくれぬか?」
「望むところですよ。六波羅に出仕した折にアイツの近くに案内すればいいんですね?」
「そのとおりだ。機会さえ与えてくれれば、この武勇に優れた義平が暗殺に失敗するはずはない。それまでは、おぬしの下人のふりをしていることにしよう」
「わかりました。こき使ってあげましょう」
「ほざけ!」