★ 優柔不断→急転直下! 歴史を変えた究極至極の変節! 〜 裏切り者の代名詞・小早川秀秋の迷霧!!! |
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鎌倉時代前期の随筆家・鴨長明は、その随筆『方丈記』冒頭に次のように記した。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
また、江戸時代前期の蕉風俳諧の創始者・松尾芭蕉は、その紀行文『おくのほそ道』の冒頭に次のように残した。
月日は百代(はくたい)の過客にして、行きかう人もまた旅人なり。
月日は流れるものである。
歴史は移りゆくものである。
変わりゆく時流に合うよう主義や思想を変え、主君や盟友を替えるのは「変節」であり、「裏切り」ではない。
平成十五年(2003)九月、自民党橋本派(平成研究会)の幹部で、いわゆる抵抗勢力のドン・野中広務(のなかひろむ)元幹事長が今季限りの政界引退を表明した。
同派の同士である青木幹雄(あおきみきお)自民党参院幹事長や、村岡兼造(むらおかかねぞう)橋本派会長代行らの変節に憤っての爆弾発言であった。
彼らの変節の理由は明らかであろう。
「小泉は好きじゃないが、小泉が総裁に再選されなければ選挙には勝てない」
これに対し藤井孝夫(ふじいたかお)衆院予算委員長を推す野中は、
「自ら退路を断って戦う!」
と、背水の陣で挑んだものの、二十日、小泉の再選が決定した。
前号の主役・藤原道長の長子で、半世紀もの間摂政・関白を務めた藤原頼通(「無礼味」参照)は、摂関政治最後の巨星であった(「藤原北家系図」参照)。
頼通は先祖代々のやり方を継承、娘を次々と天皇に嫁がせて外孫を生ませ、これを天皇にすることによって将来に渡る磐石な権勢を誇ろうとしたが、どういうわけかタネ切れ、いくら娘を送り込んでも皇子が生まれなくなってしまった。
治暦四年(1068)、宇多天皇(「スト味」等参照)以来百七十年ぶりに藤原氏を外戚としない後三条天皇が即位(「天皇家系図」参照)、
「朕(ちん)には藤原氏に気兼ねする理由はない」
と、自ら親政し、村上源氏(むらかみげんじ。「村上源氏系図」参照)の祖・源師房(みなもとのもろふさ)ら皇族出身者や、儀式祭典の生き字引・大江匡房(おおえのまさふさ)ら反藤原の切れ者を登用、関白・藤原教通(のりみち。「毒物味」参照)を蚊帳(かや)の外に追いやり、延久元年(1069)に荘園整理令(延久の荘園整理令)を発令、ゼニカネ天国となっていた摂関家や延暦寺など巨大寺院の荘園にも容赦なくメスを入れた。
怒った延暦寺などは強訴を連発、ゼニカネを吸い取られ、饅頭(まんじゅう。ポスト)も作れなくなった摂関家の力は衰退した。
「思うように政治ができなくなった」
前関白・頼通はさじを投げて出家、完全に政界から撤退し、宇治(うじ。京都府宇治市)の平等院に隠居してしまったのである。
後三条天皇は延久四年(1072)に譲位、まもなく没したが、その子・白河上皇(「富豪味」参照)により、「院政」なる新たな政治形態が確立された。
以後、摂政・関白は無用の長物となり、摂関政治はここに崩壊したのである。
藤原頼通から後三条天皇へ。摂関政治から院政へ。
野中広務から小泉純一郎へ。派閥政治から官邸政治へ。
時代は変わりゆくものである。前より良くなるか悪くなるかは、新たなる為政者の腕にかかっている。
とにかく、自民党内の関ヶ原の戦は終わった。
大坂の役(「籠城味」参照)があるかもしれないが――。
* * *
今回は関ヶ原の戦最大の功労者にして、不名誉にも裏切り者の代名詞になってしまっている変節の武将・小早川秀秋(こばやかわひであき)の生涯を振り返りたい。
彼の裏切り、いや変節は、鎌倉幕府を瓦解(がかい)させた源氏の棟梁(とうりょう)・足利尊氏のものに勝るとも劣らないであろう。
何しろ秀秋が裏切らなければ、徳川家康は勝てず、江戸時代は来なかったはずである。東京という大都会も存在せず、現在まで大阪が日本の首都であり続けたはずである。
そうなると、今日プロ野球での常勝球団は阪神タイガースであり、一地方都市の球団でしかない読売巨人軍は、二十年周期でしか優勝できない弱小球団になっていたはずである。
つまり、今日巨人が最強なのは(近年そうとは言えないが……)、江戸・東京時代をもたらした小早川秀秋のおかげなのである。
小早川秀秋は関ヶ原の戦におけるMVP(最優秀選手)である。
家康は、秀秋ナシでは江戸(東京)を首都にすることはできなかった。巨人軍の父・正力松太郎(しょうりきまつたろう)は、秀秋ナシでは巨人を最強にすることはかなわなかった。秀秋は、東京人や巨人ファンにとって大恩人のはずである。本来であれば「神様仏様ヒデアキ様」とあがめ奉り、野球殿堂入りさせてもおかしくないヒーローなのに、よりによってみんなして「裏切り者」呼ばわりしているのである。
なんてかわいそうな小早川秀秋……。
もっとも三十年来の阪神ファン(今年だけじゃないよ)の私としては、彼をこのまま捨て置いてもいいのであるが、歴史ファンとしてはそうはいかないので、ちょっくら拾い上げてみたい。
[2003年9月末日執筆]
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参考文献はコチラ
【小早川秀秋】こばやかわひであき。筑前名島→備前岡山城主。
【豊臣秀吉】とよとみひでよし。関白。太閤。摂津大坂城主。
【浅野おね(ねね・北政所・高台院)】あさのおね。豊臣秀吉の正室。秀秋らの養母。
【小早川隆景】こばやかわたかかげ。筑前名島・備後三原等城主。大老。
【毛利輝元】もうりてるもと。大老。安芸五箇庄城主。西軍の総帥。
【前田利長】まえだとしなが。大老。加賀金沢城主。利家の子。
【宇喜多秀家】うきたひでいえ。大老。備前岡山城主。
【上杉景勝】うえすぎかげかつ。大老。陸奥会津若松城主。西軍。
【平岡頼勝】ひらおかよりかつ。小早川秀秋の家来。
【杉原重政(紀伊)】すぎはらしげまさ(きい)。小早川秀秋の家来。
【稲葉通政】いなばみちまさ。小早川秀秋の家来。。
【黒田如水(孝高・官兵衛)】くろだじょすい(よしたか・かんべえ)。豊前中津城主。秀吉の知恵袋。
【豊臣秀次】とよとみひでつぐ。関白。豊臣秀吉の養子。
【鳥居元忠】とりいもとただ。徳川家康の家来。山城伏見城将。東軍。
【大谷吉継】おおたによしつぐ。越前敦賀城主。西軍。
【島清興(左近)】しまきよおき(さこん)。石田三成の家来。
【淀殿(淀君)】よどどの(よどぎみ)。豊臣秀吉の側室。豊臣秀頼の生母。
【玉の輿をもくろむ欲深女たち】
【出世をもくろむ欲深男たち】
【小早川家の人々】
【大名たち】
【 百 姓 】備前岡山領内の百姓。
【石田三成】いしだみつなり。奉行。近江佐和山城主。西軍の主将。
【徳川家康】とくがわいえやす。大老。武蔵江戸城主。東軍の総帥。