1.見に行く〜かい? | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2019>令和元年七月号(通算213号)引籠味 生きている空海1.見に行く〜かい?
|
真言修験道中興の祖・聖宝が最期の時を迎えていた(「天皇家系図」参照)。
彼の住む深草にある普明寺(ふみょうじ。京都市伏見区)に陽成上皇と宇多法皇が見舞いに来ていた。
「菅家(かんけ。菅公。菅原道真は何も悪くなかった……(「受験味」参照)」
聖宝はカが鳴くように続けた。
「――安心してくだされ。わしは菅家の怨霊の邪魔をしたことはない。退治するふりをしていただけじゃ」
「うすうす感づいていた」
陽成上皇が笑った。
宇多法皇もうなずいた。
「左大臣がやられたことが何よりの証(あかし)」
菅原道真失脚に追いやった左大臣・藤原時平は、延喜九年(909)四月四日に三十九歳で没していた(「菅原氏・藤原北家系図」「入試味」参照)。
聖宝は安心したようであった。
「伝説のあの方も申しておられた。『悪いのは道真ではない。時平と帝(醍醐天皇)じゃと』」
陽成上皇は不思議がった。
「伝説のあの方とは?」
「空海猊下(げいか)じゃ」
「ああ、生前に言われていたのか」
陽成上皇は納得したが、今度は宇多法皇が不思議がった。
「それはおかしいですな。菅公が流された昌泰の変の時はすでに空海は死んでいたはず――」
聖宝は首を横に振った。
「空海猊下は今でも生きておいでじゃ」
「まさか!」
「まだ生きてたら、もう百何十歳じゃないか!信じられない!」
それでも聖宝は言い切った。
「いや、猊下は間違いなく生きておられる。聞こえるんじゃよ。猊下の声が。高野山に行けばわかる。奥之院へ行けば、猊下が生きておられるのを感じることができる」
「アハハハ!」
陽成上皇は笑い飛ばしたが、宇多法皇は考え込んでしまった。
「待てよ。朕も奥之院に行ったことがあるが、今思えば不思議な気配を感じていた……」
「もう! 法皇まで乗らないでくれ! こわ! こわ! ぞわわっ!」
延喜九年(909)七月六日、普明寺で聖宝は入滅した。享年七十八。