2.心動く〜かい?

ホーム>バックナンバー2019>令和元年七月号(通算213号)引籠味 生きている空海2.心動く〜かい?

2000万&8050問題
1.見に行く〜かい?
2.心動く〜かい?
3.扉開く〜かい?

 真言宗僧・聖宝没後、時の帝・醍醐天皇が頼ったのは、天台宗僧・尊意(「悪党味」参照)であった。
「朕を守って欲しい。朕は菅家の怨霊なんかに負けたくない」
「お任せください。ヒッヒッヒ」

 おもしろくないのは真言宗僧たちである。
 特に聖宝の弟子で、延喜十九年(919)に醍醐寺
(伏見区。「花見味」参照)初代座主・金剛峰寺検校になった観賢(「貨幣味」参照)は不満たらたらであった。
「朝廷は天台宗を贔屓
(ひいき)している。今に始まった話ではない。そもそも天台宗の開祖だけに大師号が与えられているのがおかしいのだ」
 貞観八年(866)八月、天台宗最澄円仁に、それぞれ「伝教大師」「慈覚大師」という大師号が与えられていた。
 菅原道真の孫で、観賢の弟子になっていた淳祐
(じゅんにゅう)も同調した。
「ですよねー。空海猊下にも諡号
(しごう)が欲しいですよねー」
「諡号というな。大師号といえ」
「はい?」
「諡号とは、亡くなった方に贈る名だ」
「わかってますよ」
空海猊下はいまだ亡くなられておられない」
「え!?」
「奥之院でずっと生きておられるではないか」
「!」

 そんなある日、醍醐天皇は夢を見た。
「昨晩、ボロボロの衣をまとった高僧が夢枕に立って何やらむにゃむにゃ話していた。あれは誰であろうか?」
 観賢がすかさず我田引水に話を広げた。
「それは空海猊下でしょう。間違いありません」
空海だと? なぜあの伝説の僧が朕なんかの夢枕に?」
「むにゃむにゃとはこんな歌を詠んだのではないでしょうか?『高野山結ぶ庵に袖朽ちて苔の下にぞ有明の月』」
「うーん、思い出せないが、言われてみれば、そんな気もする〜」
「猊下が入定されてからすでに八十年以上が過ぎました。その間、一度もお着替えになられたことはないんです。袈裟
(けさ)だってボロボロになることでしょう」 
「それはそうであろうが、故人の僧にはもう袈裟は必要あるまい」
「猊下は故人ではありません」
「何だと?」
金剛峰寺の奥之院にある御廟で、今でもずっと生きておられます」
「なんじまで聖宝のようなことを申すのか」
「事実なので、そう申すしかございません」
「信じられないな」
「陛下。猊下をお味方になさいませ。猊下の法力は最強です。尊意なんてクズでカスです。菅家の怨霊を鎮められるのは猊下しかおりません」
「では、空海はどうすれば味方になってくれる?」
「大師号を贈ることでしょう。猊下も大師号を賜れば、必ずや味方になってくれます」
 醍醐天皇は応じた。
 延喜二十一年(921)十月、空海に「弘法大師」という大師号と新しい袈裟を与えることにしたのである。

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