1.かわいい子はどーれ | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2016>1.かわいい子はどーれ
|
菟道稚郎子 PROFILE | |
【生没年】 | ?-313? |
【別 名】 | 宇遅能和紀郎子・宇治若郎子・宇治天皇 |
【本 拠】 | 菟道宮(桐原日桁宮。京都府宇治市) |
【職 業】 | 皇族 |
【役 職】 | 太子(309?-313?) |
【 父 】 | 応神天皇(仲哀天皇皇子) |
【 母 】 | 宮主宅媛(日触使主女)or山無媛(物部多遅麻女) |
【 師 】 | 阿勅岐・王仁 |
【兄 弟】 | 額田大中彦皇子・大山守皇子・去来真稚皇子 ・大鷦鷯尊(仁徳天皇)・根鳥皇子・稚野毛に派皇子 ・隼総別皇子・大葉枝皇子・小葉枝皇子・迦多遅王 ・大原皇女・コム来田皇女・荒田皇女・高目郎女 ・阿倍皇女・淡路御原皇女・紀之菟野皇女 ・三野郎女・滋原皇女・八田皇女(仁徳天皇大后) ・雌鳥皇女・菟道稚郎姫皇女(仁徳天皇妃) ・草香幡梭皇女(履中天皇大后)・川原田郎女 ・玉郎女・忍坂大中姫?・登富志郎女(衣通郎姫)? |
【妻 子】 | ナシ? |
【墓 地】 | 宇治墓(宇治市) |
【霊 地】 | 宇治神社・宇治上神社(宇治市)など |
応神天皇四十年(309?)の春、伝十五代大王・応神天皇は、息子たちのうち二人を呼んで尋ねた。
二人とは、二番目の皇子・大山守皇子(おおやまもりのみこ)と、四番目の皇子・大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)である(「天皇家系図」参照)。
「お前たち、自分の子たちはかわいいか?」
二人とも既婚者で、何人か妻子がいた。
「はい」
「もちろんかわいいです」
応神天皇は質問を変えた。
「では、大きくなった子と、まだ小さい子と、どっちがかわいいか?」
大山守皇子は答えた。
「俺は大きくなった子がいいですね。もう手間がかかりませんから」
「なるほど。考えようだな」
応神天皇はおもしろくなさそうであった。
大鷦鷯尊が察して言った。
「私はまだ小さい子のほうがかわいいです。将来が楽しみですから」
「うん。朕も小さい子がかわいい」
我が意を得た応神天皇はニッコリとした。
「だからお前たちの弟の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)を太子にしたいと思う」
菟道稚郎子は応神天皇の六番目の王子である。彼は年少者を後継者にするために、二人にこんな質問をしたのであった。
不満そうな大山守皇子に、応神天皇は言った。
「その代わりといっては何だが、大山守には山海林野の管理を任せよう」
大鷦鷯尊にも言った。
「そして大鷦鷯は、太子を補佐して国政に当たってほしい」
これが応神天皇の遺言になった。
応神天皇四十一年(310?)、応神天皇は軽島豊明宮(かるしまのとよあきらのみや。奈良県橿原市。または難波大隅宮)で崩御した。享年百十一!(または百十!「百歳以上生きた天皇」参照)