1.大草香皇子殺害 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2003>1.大草香(おおくさか)皇子殺害
|
眉輪王が生まれたのは、允恭天皇(いんぎょうてんのう)三十八年(450?)とされている。
允恭天皇は、大仙陵古墳で有名な仁徳天皇(にんとくてんのう。「景気味」参照)の皇子で、在位四十一年で崩じた(「震災味」参照)。
眉輪王 PROFILE | |
【生没年】 | 450?-456? |
【出 身】 | 河内国?(大阪府) |
【本 拠】 | 河内国?(大阪府) |
【職 業】 | 皇族 |
【 父 】 | 大草香皇子(仁徳天皇の子) |
【 母 】 | 中蒂姫皇女(履中天皇の娘) |
【継 父】 | 安康天皇(允恭天皇の子) |
【友 人】 | 坂合黒彦皇子 |
【後 援】 | 葛城円 |
【仇 敵】 | 大泊瀬幼武皇子(雄略天皇) |
【没 地】 | 葛城円邸≒名柄遺跡(奈良県御所市) |
父は大草香皇子である。
彼も仁徳天皇の皇子であり、有力な皇位継承者の一人だったが、允恭没後は、その皇子・安康天皇が即位した。
母は中蒂姫皇女(なかしひめおうじょ・なかしひめのひめみこ)。先々々帝・履中天皇(りちゅうてんのう)の皇女である。
叔父(おじ)と姪(めい)の結婚になるが、この時代ではさほど珍しいことではない。
当初、眉輪王は幸せだったと思われる。
が、その幸せは、まもなくぶっ壊された。
きっかけを作ったのは、安康天皇の弟、大泊瀬幼武皇子、後の雄略天皇である。
兄の即位は彼を豹変(ひょうへん)させた。増長したのである。
「これからはオレたちの天下だ」
大泊瀬幼武皇子は、先々帝・反正天皇(はんぜいてんのう)の旧宮に押しかけると、その皇女たちに命令した。
「いいな。貴様たちはみんな、今日からオレのオンナだ」
香火姫皇女(かほひめおうじょ)・円皇女(つぶらおうじょ)・財皇女(たからおうじょ)といった反正天皇の娘たちは震え上がった。逃げ出して安康天皇に助けを求めた。口々に大泊瀬幼武皇子のワルぶりを訴えた。
「あの方はとっても怖いんです〜」
「機嫌が悪くなると、だれかれともなくすぐに殺しておしまいになるんです〜」
「お願いです。私たちを助けて〜」
可憐な娘たちにこぞって頼まれては、安康天皇としても首をたてに振らないわけにはいかなかった。
まもなく、大泊瀬幼武皇子がやって来た。
「兄貴、オレのオンナども、こっちに来ただろ?」
「来てないぞ」
「おかしいな」
大泊瀬幼武皇子は帰っていったが、いつまでも隠し通せるはずがない。
安康天皇は考えた。
(そうだ。大泊瀬を結婚させてしまえば、おとなしくなるに違いない)
そこで目をつけたのが、大草香皇子の妹・草香幡梭皇女(くさかのはたびおうじょ)である。
安康天皇は、いつか見た彼女の容姿を思い起こして思った。
(あの女なら、大泊瀬も不満ではないはずだ)
安康天皇は大草香皇子のところに根使主(ねのおみ)を遣わした。
根使主は古代豪族の名門・紀氏(きし)の一族で、和泉に地盤を持っていた有力者である。一方の大草香皇子は、河内に威を張っていたのであろう。
「大王は大泊瀬幼武皇子と貴殿の妹君との婚儀を望んでおられます」
この頃、大草香皇子は重病を患っており、自分の死後の妹の身を案じていた。
そんなときに大王の弟との縁談が降ってきたのである。断るはずがなかった。
大草香皇子は喜んで了解した。
草香幡梭皇女に家宝の押木玉縵(おしきのたまかつら)を与えて嫁がせることにした。
押木玉縵は輝いていた。根使主は、その美しさに目を見張った。
大草香皇子は自慢した。
「美しいであろう?」
根使主はうなずいた。
「まことに……」
そして、心の内だけで続けた。
(大王に差し出すのがもったいないくらいに――)
根使主は押木玉縵を欲しくなった。欲しくて欲しくてたまらなくなった。
根使主は押木玉縵を着服した。話をつなげるために、安康天皇にはウソを告げた。
「大草香皇子は怒りました。『誰がかわいい妹をあんなワルのところに嫁に出すものか!
今度変なこと頼みに来たら、ぶっ殺すぞ!』と」
安康天皇は激怒した。兵を遣わして大草香皇子邸を取り囲んだ。
眉輪王は家の外を見て不思議がった。
「父上、家の周りに怖そうな人がいっぱいいるよ。どうして?」
聞かれても、大草香皇子も訳が分からなかった。しかも、こっちに向けてピュンピュンと矢を放ってきやがる。
「いったい私が何をしたというのだ!」
大草香皇子は、理由を告げられることもなく、殺害されてしまった。
安康天皇は大泊瀬幼武皇子に草香幡梭皇女を与えた。
そして自分は、未亡人になった中蒂姫皇女をめとった。
つまり眉輪王は、安康天皇の継子になったわけである。
安康天皇元年(454)二月のことだという。