3.眉輪王の最期 | ||||||||||||||
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安康天皇横死を知って、大泊瀬幼武皇子は即座に動いた。
まず、兄の八釣白彦皇子(やつりしろひこおうじ)を責め、問い詰めた。
「眉輪王が大王を殺した。ヤツをそそのかして殺させたのは、お前だな?」
八釣白彦皇子はびっくりした。そんな知らせはまだ聞いてもいなかったであろう。逆に弟を疑って聞き返したかもしれない。
「どうして私が知らないことを、すでにお前が知っているんだ?」
大泊瀬幼武皇子は怒った。
「そうやってしらばくれているところを見ると怪しい。怪しすぎるっ」
そう言って殺してしまった。
続いてもう一人の兄、坂合黒彦皇子(さかいのくろひこおうじ)を責めた。
「眉輪王が大王を殺した。ヤツをそそのかして殺させたのは、お前だな?」
坂合黒彦皇子はびっくりした。声も出ずにいると、大泊瀬幼武皇子はますます怒り出した。
(このままでは殺される!)
そう思った坂合黒彦皇子は、スキを見て逃げ出した。眉輪王も共に逃げ、葛城氏の当主・葛城円(つぶら)に助けを求めた。
円は大臣、つまり当時の最高執政官である。
円は堂々と彼らをかくまった。
「いくら乱暴者の大泊瀬とはいえ、天下の葛城に対して戦いを挑んでくるはずはない。御安心なされよ」
ところが、大泊瀬幼武皇子はすでに手を打っていった。
葛城氏に次ぐ政治豪族・平群氏(へぐりし)や、軍事豪族の大伴(おおとも)・物部両氏を味方につけていたのである。
大泊瀬幼武皇子は円邸を大軍で取り囲み、激しく攻め立てた。
円は降伏した。娘の葛城韓媛(からひめ)を大泊瀬幼武皇子のもとに遣わして頼んだ。
「参りました。我が娘と我が領地七か所を献上いたします。どうかそれでお許しください」
大泊瀬幼武皇子は許さなかった。
でも、一方だけは受け入れた。
「お前の娘と領地はもらっておこう。ただし、お前たちはここで死ね」
そう言い捨てると、円邸に火をかけたのである。
火は瞬く間に燃え広がり、眉輪王・坂合黒彦皇子・葛城円らはワーギャー泣きわめきながら、一緒に焼き殺された。
ここに葛城本宗家は滅亡、以後二度と大臣に就任する者は現れなくなったのである。
変後、大泊瀬幼武皇子は市辺押磐皇子・御馬皇子(みまおうじ)兄弟をもだまして殺害(「継承味」参照)、泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや。奈良県桜井市?)にて、雄略天皇として即位した。
[2003年7月末日執筆]
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参考文献はコチラ
※ 『古事記』の坂合黒彦皇子は、葛城円を頼る前に殺されています。
※ この物語では『記紀』にはない眉輪王をそそのかす「青年」を登場させました。その名をはぐらかしておきましたが、候補者としては次の三名です。
第一候補 大泊瀬幼武皇子(雄略天皇)
第二候補 葛城円
第三候補 坂合黒彦皇子