5.で、ばらしちゃった

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宝くじ二億円当選女性殺害事件
1.京都へ行こう
2.ヒミツの会合
3.かぎつけた妻
4.追い詰められた夫
5.で、ばらしちゃった

 早朝、妻は目覚めた。
 昨晩は真相がわかって安心して寝てしまったものの、よく考えてみればとんでもないことである。
(待って――。もし、謀反に失敗したら、夫はどうなるの?謀反に成功しても、父はどうなるの?)
 考えなくともわかることであった。
 結局、妻は父斎藤利行のもとに走った。

「なんだと。頼春殿が謀反に加担しているだと……」
 利行は困った。
「どうすればいいのかしら……?」
 父娘して困惑した。
 利行がうなった。結論は出た。
「どうもこうもない。おまえたちが助かる方法はただ一つ、正直に六波羅殿に話すしかあるまい」

 利行は頼春を呼びつけた。
「おまえ、謀反をたくらんでいるそうだな?」
「え……。それは……」
「娘から聞いた。悪いことは言わない。六波羅殿に計画を密告するが、よいな?」
「……」
「謀反に失敗すれば、おまえが死んで娘は悲しむ。謀反に成功したとしても、おれが死んで娘は悲しむ。どちらにしてもおまえは娘を悲しませることになるんだぞ。おまえは娘を悲しませたいのか?」
「いいえ」
「だったら密告する。おれとおまえ、両方が助かるためにはそれしかないのだ」
 頼春は観念した。
「わかりました。義父上
(ちちうえ)にお任せいたします」

 利行は六波羅(ろくはら。京都市東山区)へ飛んだ。
「土岐頼兼と多治見国長らが北野の祭りに乗じて挙兵をたくらんでいます。我が婿・船木頼春から密告を受けました」
 話を聞いた六波羅探題北方・北条範貞は驚き困った。
「さてどうするか?土岐も多治見も我が配下。これを討とうと各所の兵をかき集めれば、ヤツらはすぐに察知して逃亡するであろうな」
「今、河内葛葉
(くずは。大阪府枚方市)で農民どもが反乱を起こしております。これを討つための召集だと触れれば、土岐も多治見も安心して宿所を離れますまい」
「二人はどこの篝屋にいる?」
「はい。土岐が三条堀川
、多治見が錦小路高倉に詰めております」
「そうか。やむなき場合は討ち取るしかあるまいが、なるべく生け捕るようにせよ。背後関係を探らねばならんからな。あのお方以外に考えられないが――」
「承知」

 九月十九日卯の刻(午前六時頃)、六波羅に軍勢三千騎が集結、うち山本時綱(やまもとときつな)率いる千騎が土岐頼兼詰める三条堀川の宿所へ、小串範行(おぐしのりゆき)率いる二千騎が多治見国長詰める錦小路高倉の宿所へ攻め入った。
 山本は逃がさないよう、まず一騎で頼兼の寝所に忍び込み、引きつけておいてから大軍で取り囲んだのである
(一騎で乗り込んだのは、投降を勧めたか?)
 寝起きの頼兼は散々戦ったが、
「無念。もはやこれまで」
 疲れ果てて生け捕られることを恐れ、腹を十文字にかき切って死んだ。享年不明。

 一方、国長も寝起きだったが、こちらは一緒に寝ていた遊女の機転もあって、手早く鎧兜(よろいかぶと)を身に付け、完全防備で応戦した。
 が、多勢に無勢で相手にならず、力尽きて一族の者二十二名とともに切腹して果てたという。享年三十六。
 最後の一人になるまで強弓を引き絞って奮戦した小笠原通弘
(おがさわらみちひろ。孫六)なる武士は、最期は櫓(やぐら)に上ると、
日本一の剛の者が謀反に組して自害する有様を見置きて人に語れっ!」
 と、大音声で叫び、刀をくわえて真っ逆さまに墜落死したという。

 十月、日野資朝・日野俊基が謀反の疑いで鎌倉に護送された。
「首謀者は帝だな?」
「いいえ。私が首謀者です。帝は無関係ですし、俊基らも全く関係ありません」
 資朝は頑として自白せず、結局、後醍醐天皇や俊基らの罪は不問にされ、資朝だけが翌正中二年(1325)に佐渡へ島流しにされた。

[2008年10月末日執筆]
参考文献はコチラ

※ 船木頼春と土岐頼員は系譜上別人ですが、逸話が混同しており、同一人物の可能性が高いと思われます(「土岐氏系図」「船木氏系図」参照)

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