3.報 告 〜 岡崎へ | ||||||||||||||
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鳥居強右衛門はその晩遅くに長篠城を脱出することにした。
敵に怪しまれないように、武田軍の穴掘人夫風の服装に着替え、城の南端の野牛門から密かに出立することにした。
細雨の振る雲間から月が顔を出した。十四日の月なので明るい。動きやすいが、見つかりやすいということだ。
敵に怪しまれないため、見送りはなかった。
いや、城主・奥平貞昌が一人でこっそり見送りに来ていた。
「頼むぞ、強右衛門」
「は、はい」
お辞儀をして立とうとした強右衛門の後姿に、貞昌が声を掛けた。
「死ぬでないぞ。お前の足には五百名の命が託されている。お前が死ぬということは、お前があきらめるということは、長篠城兵五百人も同時に死ぬということだ」
強右衛門は振り向いた。そして、大きくうなずいた。
強右衛門は豊川に飛び込んだ。旧暦五月は現在の六月頃なので、水はそんなに冷たくはなかったであろう。ただ、梅雨時なので水量が多く、流れも速かったと思われる。
豊川には、武田軍が仕掛けた鳴子が張り巡らされていた。
強右衛門が水中で手足をばたつかせるたび、鳴子はカランカランと鳴り響いた。
武田軍の見張りが音に気が付いた。そばで寝ていた仲間を起こした。
「おい。鳴子が鳴ったぞ。見に行こう」
しかし、鳴子は感度が良く、魚が通っただけでしょっちゅう鳴っていたため、仲間は面倒くさがった。
「またか。どうせ魚だろう。放っておけ」
強右衛門は泳いだ。敵が追ってくるかもしれないので、必死で水をかいた。
四キロほど下流の広瀬(ひろせ。新城市)で上陸すると、今度は平野を北西に走り、雁峰(かんぼう)山に登った。
夜が白々と明けてきた。頂上で強右衛門は狼煙(のろし)を上げた。
長篠城の兵が狼煙に気が付いた。
「やった!
強右衛門が脱出に成功したぞ!」
城内では歓声が沸き上がった。
強右衛門は走った。徳川家康のいる岡崎に向かって、心臓がはちきれんばかりに懸命に爆走した。
青い空の中、岡崎城が見えてきた。
強右衛門はそれに吸い込まれるように、走り続けた。
バラバラと兵たちが強右衛門を取り囲んだ。
「怪しいヤツ、貴様、何者だ?
そんなに急いでどこへ行く?」
強右衛門は必死で訴えた。息が切れすぎて声にならなかった。ヒーヒー風が吹いているようであった。
兵の一人が水を与えた。強右衛門が飲み干してから説明した。
「長篠から、参りました。主君の書状を持参しました。奥平貞能様にお取次ぎを……」
貞能が駆けつけてきた。
「強右衛門か!
どうじゃ、長篠の様子は?」
「深刻な状況です。食糧はあと三、四日でなくなります。どうか、お助けを……」
「分かった。大殿に頼んでみる。それから喜ぶがいい。岐阜から織田信長様も御来援じゃ」
「信長様も!」
強右衛門は城中の広間へ通された。
上座には家康が、そして、信長もいた。
強右衛門は平伏した。
家康が言った。
「手紙は読んだ。強右衛門、安心せい。援軍は明日、長篠へ向けて出発する」
信長が付け足した。
「我が織田軍三万、徳川軍八千、しめて三万八千の大軍じゃ」
強右衛門は感涙した。
「あ、ありがたき幸せでございます〜」
家康がいたわった。
「強右衛門。使い、御苦労じゃった。出発は明日じゃ。それまでゆっくり休むがいい」
が、強右衛門は立ち上がろうとした。
「いえ。この吉報を一刻も早く城の仲間たちに知らせたいと存じます」
家康が驚いた。
「先に長篠城へ帰るというのか……。それはちょっと、無理ではないか」
信長も止めた。
「死ぬぞ」
強右衛門は首を横に振った。
「私は解放されました。この開放感を、いまだ城内で苦しんでいる仲間たちにも一刻も早く味あわせてあげたいのです」
家康は許可した。
「分かった。じゃが、メシぐらいは食って、しばらく休んでおけ」