4.激 走 〜 長篠へ

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イラク日本人人質事件
1.緊迫 〜 武田の嵐
2.挙手 〜 使者の名乗り
3.報告 〜 岡崎へ
4.激走 〜 長篠へ
5.勇者 〜 強右衛門の選択
    

 鳥居強右衛門は走った。
 長篠へ向け、全速力で駆け抜けた。
 行きよりも上り坂が多いため、すぐに疲れてきた。
 道なき道も草木をかき分けて進み、体中すり傷だらけになった。
 つる草に足をとられて何度も転んだが、そのたびに立ち上がって走り続けた。
 濁流も、彼の行く手をさえぎった。

 全然関係ないが、昭和時代初期の小説『走れメロス(太宰治作)』にはこうある。

 濁流はメロスの叫びをせせら笑う如(ごと)く、浪(なみ)は浪を呑(の)み、捲(ま)き、煽(あお)り立て、そうして時は、刻一刻と消えていく。今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、今こそ発揮してみせる。メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのたうち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻(か)きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅(ししふんじん)の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐憫(れんびん)を垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先を急いだ。

 翌十六日、強右衛門は雁峰山に登った。
 眼下に長篠城が見えた。武田軍に十重二十重と取り囲まれていたものの、火の手は上がっていなかった。
(やった! まだ城は落ちていなかった!)
 強右衛門は、援軍来援近しを知らせる狼煙を上げた。
(これで城内は活気付いたはずだ)
 ただ、これだけでは武田軍が謀略を使って「援軍は来ない」ことにしてしまうかもしれない。援軍が来る前に城が落ちてしまえば、せっかく来てくれる織田信長徳川家康にも申し訳ない。
(なんとかおれが城内に入って、直接真実を伝えなければ……)

 強右衛門は坂を駆け下りた。
 そして、転んだ。
 立ち上がろうとしたが、立ち上がることができない。すでに彼の体は限界に達していた。
 強右衛門は悔しがった。
(だめだ……。ここまでだ……。でも、おれはがんばったんだ。役目を果たしたのだ……。何も無理して城へ戻ることはない……)

 全然関係ないが、『走れメロス』にも、こうある。

 路傍の草原にごろりと寝転がった。身体疲労すれば、精神もともにやられる。もう、どうでもいいと思う。勇者に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰(く)った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走ってきたのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸をたち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と真実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事なときに、精も根も尽きたのだ。

 寝そべる強右衛門の耳に、水の音が聞こえてきた。
 はっとして起き上がると、近くに湧き水があるようで、足元に水が流れていた。
 強右衛門は一口すくって水を飲んだ。もっと飲もうと手を伸ばして歩いた。そして、気が付いた。
(おお! 歩ける!)
 強右衛門は喜んだ。水を飲んで少し体力が回復したようであった。

 そのとき、脳裏で奥平貞昌の声がよみがえった。
『死ぬでないぞ。お前の足には五百名の命が託されている。お前が死ぬということは、お前があきらめるということは、長篠城兵五百人も同時に死ぬということだ』

 強右衛門は忘れていた。
(そうだ、おれは行かなければならないんだ! おれは死んでも走らなければならないんだ! 長篠の仲間たちには、おれの足がすべてなんだ! 行こう! 仲間たちを救うために!) 
 強右衛門は歩き始めた。よろよろと、よろめきながらも再び走り始めた。

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