5.勇 者 〜 強右衛門の選択 | ||||||||||||||
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武田軍が近くなった。
馬のいななきも近くなり、無数の軍旗も見えてきた。有名な「風林火山」の旗も見て取れた。
川の流れが逆なので、今度は行きと違って泳いで城内に入るわけには行かない。武田軍にまぎれ、スキを見て城内に入るよりほかはない。そのために自分は、武田軍の穴掘人夫風の服装をしてきたのである。
鳥居強右衛門は篠場野(しのばの)に陣を構える穴山信君(あなやまのぶきみ。梅雪)軍に紛れ込もうと、もっこを担いでいた男に声を掛けた。
「おれの仕事は一息ついた。手伝おうか?」
「おお、誰だか知らないが、すまないな」
強右衛門は男とともに、堂々と見張りの前を通って陣地に入った。見張りの目をくらまることができたように思われた。
(しめしめ)
が、見張りの一人・河原弥太郎(かわはらやたろう)は気付いていた。
「おい。今、微妙に服装の違うヤツが入っていったぞ」
弥太郎は強右衛門に近づくと、こう尋ねた。
「おい、そこの男。『ほう』」
合言葉であった。
『ほう』に続く言葉を、強右衛門は答えなければならなかった。
(しまった!)
強右衛門は困った。
知らないものは答えられるはずがない。
強右衛門が黙っているのを見て、弥太郎がもう一度尋ねた。
「聞こえないのか?
『ほう』!」
強右衛門は考えた。適当に答えた。
「『ホケキョ』!」
弥太郎は一瞬固まった後、笑みを浮かべた。
(当たったか?)
もちろん違っていた。
弥太郎は言い放った。
「バカ者! 『ほう』と言ったら、『しょうとう』だ! こやつ、敵の間者だ!
ひっ捕らえよ!」
強右衛門はつかまった。暴れたものの、よってたかってねじ伏せられ、縄で縛られ、穴山信君によって武田勝頼の前に召し出された。
勝頼が聞いた。
「岡崎から来たのか?」
強右衛門は答えた。
「いえ。長篠の者です。岡崎に援軍を催促に行き、またここに戻ってきました。岡崎には、すでに織田信長様もいらっしゃいました。じきに織田軍三万、徳川軍八千の大軍がここに至り、あなた方をたたきのめすことでしょう」
周囲の者がどよめいた。三万八千といえば、武田軍の倍以上もの大軍である。
勝頼がカッカと高笑いした。
「何が三万八千だ! そのほとんどは昨日までの農民を徴収した、にわか仕込みの軍勢ではないか!
武田軍の一万五千はみな一騎当千の歴戦の勇者たちばかりだ! 質が違うっ!」
勝頼はそう周囲のどよめきを打ち払うと、強右衛門に向き直って言った。
「それにしてもお前はバカだ。岡崎へ援軍を頼みに行った時点で、お前の使命は終わっていたはずだ。それをなぜ戻ってきた?
二度までも我が軍を突破できるとでも思っていたのか?」
「その通りです」
「見くびるな! 現にお前は我が軍に捕らえられた! お前の命運は、我が手中にあるのだっ!」
勝頼は叫んだ後、穏やかに言った。
「どうだ、強右衛門。お前、勇者になりたくはないか?」
「勇者――。悪くない響きですね」
「もし、お前がおれの言う通りのことをすれば、お前を勇者の軍団・武田軍に加えてやろう」
「言う通りのこととは?」
「見れば分かるように、長篠城はもう少しで落ちようとしている。が、落ちそうで落ちない。ヤツらには『援軍が来るかもしれない』という期待があるからだ。その期待を、お前がぶち壊して欲しいのだ。城に向かって『援軍は来ないから開城したほうがいい』と、呼びかけて欲しいのだ」
「……」
「どうだ? お前が言えば、城兵も信じるであろう。開城するしかないと思うであろう。城が落ちれば、織田・徳川連合軍は引き上げるしかない。そして、お前はこの戦いの第一の功労者だ」
「……」
黙ってしまった強右衛門に、勝頼がどなり散らした。
「信長は将軍家を滅ぼした謀反人である! 朝廷に歯向かった朝敵である! 比叡山を焼き打ちにした仏敵である! そのような信長に味方する者は、それに加担する家康に仕えている者は、いずれ天誅(てんちゅう)を食らうであろう! 強右衛門! 改心せい! 信長を裏切れっ! 家康を見放せっ! そして、長篠城を見捨てるのだっ!」
信君も説得した。
「強右衛門、お前は勇者になるべきだ。共に勝頼様のもと、天下を目指そうではないか」
強右衛門はうなずいた。
「それが勇者というものであれば、おれは勇者になる」
勝頼はねぎらった。
「強右衛門、よく苦しい決心をした。ほめてつかわす」
強右衛門は武田の兵によって城の近くに連れて行かれた。
強右衛門は城に向かって叫んだ。
「みんな、聞けぇー! 鳥居強右衛門だ! 先ほど岡崎から帰ってきたが、このように敵に捕まってしまった!
おれはじきに処刑されるであろう! だが、その前に城のみんなに伝えたいことがある!
みんな、聞いてくれぇー!」
城門付近に城兵が集まってきた。
「おい、強右衛門だ」
「かわいそうに。捕まっちまったのか……」
「待て、何か叫んでいるぞ」
強右衛門は続けた。大音声で叫び伝えた。
「みんな喜べ! 家康様は今日、岡崎を出立される予定だー! 信長様も一緒だー! 二、三日後には三万八千の大援軍が城下を埋め尽くすんだーっ!」
武田の兵は驚いた。
「あ! 何を言う!」
慌てて強右衛門を引っ張り、引っ込めさせたが、もう遅かった。
大援軍近しの報を受けて、城内では大歓声が沸き起こった。
「我々は救われたぞ!」
「強右衛門、使い御苦労!」
「強右衛門、万歳ーっ!」
勝頼は激怒した。
「この、慮外者めが! 貴様、勇者になるのではなかったのかっ!」
強右衛門は不敵に笑った。
「勇者は決して仲間を裏切らないものです」
「黙れ! 黙れ! 黙れーっ!」
勝頼は強右衛門を蹴(け)り上げた。軍配うちわも投げ付けると、部下に命じた。
「こやつを磔(はりつけ)にせよっ!」
強右衛門は篠場野で磔にされた。
城からよく見える場所で、無数の槍を突き立てられて絶命した。
享年三十六。
下が彼の辞世の句だとされている。
我君の命に替る玉の緒を なといとひけん武士(もののふ)の道
「強右衛門の死を無駄にするな!」
強右衛門の死は、かえって城兵に力を与えた。
なんとか援軍が来る前に城を落としてしまおうと猛攻を加える武田軍を、奮戦して撃退し続けた。
二日後の十八日、織田・徳川連合軍が設楽原(したらがはら・しだらがはら)に到着、その三日後の長篠の戦で武田軍を壊滅させたことは、皆様御存知のことであろう(「 銃器味」参照)。
[2004年4月末日執筆]
参考文献はコチラ
※ 『寛政重修諸家譜(堀田正敦ら編)』には、強右衛門は馬場信房(信春)に捕らえられたことになっています。
※ 『参州長篠戦記(四戦紀聞。根岸直利著)』『長篠日記(阿部四郎兵衛著)』などには、強右衛門は十七日に磔にされたことになっています。