★ 天保飢饉!漁民窮乏!腹が減っては漁にも行けぬ! 〜 天保九年七月二十三日に伊予明浜で起こった奇跡!! |
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ホーム>バックナンバー2019>平成三十一年一月号(通算207号)捕鯨味 日本捕鯨史
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日本での捕鯨の歴史は五段階あるという。
1.弓取法
2.突取法
3.網取法
4.アメリカ式捕鯨法
5.ノルウェー式捕鯨法
弓取法は、湾や入江に迷い込んだクジラを弓矢でしとめる方法という。
原始時代から行われたが、よほどの強弓でないとしとめられないし、能動的な漁ではない。
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捕鯨 クジラ様 伊予 明浜 |
突取法は、銛(もり)でしとめる方法という。
古くは受動的な漁であったが、室町時代から船団を組んで沖へ出るようになり、元亀年間(1570-1573)から延宝年間(1673-1681)まで続いたという。
三河や尾張で始まり、尾張師崎の伝次(でんじ)によって紀伊太地の和田頼元(わだよりもと。忠兵衛)に伝来、和泉堺の伊右衛門(いえもん)の協力を得て本格的になった。
網取法は、銛と網を併用して捕獲しやすくした方法という。
延宝三年に和田頼治(よりはる。角右衛門。頼元の孫)が考案し、土佐や肥前などに伝えられたが、安房勝山の醍醐(だいご)組などのように突取法のみを続けた鯨組(捕鯨業者)もあった。
アメリカ式捕鯨法は、捕鯨銃でしとめる方法という。
幕末のアメリカ船などが鯨油を取るために行っていたが、日本には定着しなかった。
ノルウェー式捕鯨法は、捕鯨砲でしとめる方法という。
明治三十二年に山口県に設立された日本遠洋漁業株式会社が最初に導入して以降、主流の捕鯨法となった。
戦後、食糧難に陥った日本は、捕鯨に活路を見出して世界最大の捕鯨大国になったが、国際捕鯨委員会(IWC)ににらまれて規制されるようになった。
昭和六十二年(1987)、日米貿易摩擦の渦中で日本は商業捕鯨を断念、調査捕鯨のみを行うようになったが、度重なる規制強化や妨害により、平成三十年(2018)十二月に国際捕鯨委員会を脱退、今年(2019年)八月から商業捕鯨を再開する見通しになった。
はい、というわけで新年第一作は「捕鯨味」です。
伊予明浜(愛媛県西予市)に伝わる「クジラ様」の物語をお楽しみください。
[2018年12月末日執筆]
ゆかりの地の地図
参考文献はコチラ
【おいら】伊予明浜の新米漁師。
【おとと)】明浜の漁師。おいらの父。
【おかか】おいらの母。
【その他漁民たち】
【クジラ様】
【伊達宗紀(春山)】だてむねただ(しゅんざん)。殿様。第7代伊予宇和島藩主。