★ クジラ様

ホーム>バックナンバー2019>平成三十一年一月号(通算207号)捕鯨味 クジラ様

日本捕鯨史
★ クジラ様

 おいらは漁師。
 新米漁師。
 三年ほど前から、おととの船に同乗して漁に行っている。
 でも、最近は行っていない。
 おととが船を出してくれないから行けない。
「腹が減って動けねえや」
 おととが寝てばかりいるようになったからだ。
 おかかは前から寝てばかりいる。
 ただしおかかは、食っちゃ寝食っちゃ寝の「食っちゃ」が抜けて、体型がトドからうアシカに変わった。
 動いているのはおいらだけだ。
 船が出ないので、浜辺で釣りをするのだ。
 そんなおいらにおととは言う。
「ムダに動くな。腹が減ってもごはんを買うカネはないぞ」
「雑魚を釣るからいいさ」
「そうか」
「動くなっていうけど、食べ物がなくなったら、余計に腹減っちゃうんだぞ。そのくらいわからないのかい?」
「わからない。考えるのもおっくうになってきた。空腹でいると何から何までめんどくさい」

 カネがないのはうちだけじゃなかった。
 この辺の漁師はみんな困窮していた。
 理由は飢饉のせいだ。
 後世いう天保の飢饉のせいで明浜中の漁民たちが貧乏に成り果てちゃったのだ。
 飢饉の最中はまだよかった。
「農村では米ができずに困っているそうだ」
「それならみんなで干物でも寄付してあげよう」
「よかったな。我々は飢饉とは関係ない漁師で」
 そうでもなかった。
 重税と物価高でじわじわとおいらたち漁師の生活も苦しくなっていったのだ。
 で、今ではこのザマである。
「どうすりゃいいんだ?」
「このままではみんな飢え死にね」
「大丈夫だ。農村ではたくさんの農民が死んだ。あっちに行っても大勢仲間たちがいる」
「全然さびしくないわ」
「わしは今までたくさんの魚を殺してきた。極楽往生できるだろうか?」
「そんなもの、念仏を唱えればチャラになるのよ」
「なんまんだぶなんまんだぶ」
 あきらめて静かになるおとととおかかに、おいらは反発した。
「がんばれよ!望みを持てよ!あの世の幸せを願う前に、この世の幸せを願えよ!」
「この世の幸せ?今のわしは、ただただメシを食いたいだけだ」
「食べられようになるよ!」
「どこに食べ物があるんだ?」
「今はないけど、そのうちにあるようになるよ!」
「あるようになんてならないさ。大きなごはんが天から降ってくるとでも言うのか?」
「……。降ってくるよ!」
 おととは笑い転げた。
「ごはんが降ってくる? 浜辺にドッカーン!ってか! アハハハ! こりゃおかしいぜ!」
 おかかはたしなめた。
「やめなさい。笑い転げるとお腹がすきますよっ」
「そうだった。自重自重〜」

 その時、浜辺で、
 ドッカーン!
 と、大きな物音がした。
「え?」
 おいらたちは顔を見合わせた。
「何だ今の音は?」
「すごい音だったな」
「ま、まさか……」
 おいらは家を飛び出した。
 木陰から浜辺の方をひょっこりはんしてみた。

 そこでは大きな物体がうごめいていた。
 巨大な黒い海生動物がバタバタひれをたたいて苦しがっていた。
「クジラだ」
 おいらは家に入って知らせた。
「おとと! おかか! 浜辺にクジラが打ち上げられているよっ!」
 今まで死んでいたおととの目が生き返った。
「何いー? クジラだってぇー!」
 おかかの目もギンギラギンに輝いた。
「ごはんよ! ごはんっ!」
 ばっ!
 ぐばっ!
 おとともおかかも勢いよく起き上がった。
 シャキーン!
 おととはクジラ刀を斜めに構えた。
 ピカーン!
 おかかは包丁二本を上段に構えた。
「行くぞっ!」
「よしきたっ!」
 二人は刃物を振り回して叫びながら、
「ウオーーー!」
「キャーーー!」
 浜辺へ向かって猛然と駆けていった。

 出遅れたおいらも刃物を探した。
 カマとナタを見つけたので、両手でつかんで二人の後を追った。
 ぞり、ぞり、ぞり。
 もぐ、もぐ、もぐ。
「こりゃいけるわ」
「生けづくりって最高!」
 二人はすでにクジラの上に乗って肉を堪能していた。
 がつ、がつ、がつ。
 おいらも子ライオンみたいに顔を真っ赤にして肉をむさぼり食べて涙を流した。
「うめえ! うますぎるぜ! それにしても、こんなに腹の足しになるもの食べたのって何日ぶりだろう」
 大きな音にびっくりした近所の人たちも集まってきた。
「何これ!」
「クジラだ!」
「ごちそうの山が転がっているぞ!」
 近所の人たちはいったん家に戻ると、刃物を手に絶叫して舞い戻ってきた。
「ひゃっはー!」
「食うぜ! 全部食ってやるぜー!」
「それにしても、でっか!」
「何日あっても食べきれない〜!」
 こうしてクジラの肉は数日にわたって明浜の漁民たちのお腹を満たしてくれた。
 飢餓に苦しんでいた漁村を救ってくれたのである。
「ふう! 毎日がお腹いっぱい!」
「ありがてえことじゃ」
「これはもう、クジラ様だ! おくじら様だ!」

 この話が殿様の耳にも届いた。
 殿様とは、第七代伊予宇和島藩主・伊達宗紀
(だてむねただ。春山)――。
 伊達宗城
(むねなり)の養父で、百歳まで生きた長寿大名として知られている。
「なんと!クジラが明浜の民を救ったと申すのか……」
 宗紀は感心した。
「窮民を救うのは領主の役目である。余がやらなければならなかったことを、クジラが代わりにやってくれた! 誠にあっぱれなクジラである! 丁重に弔って顕彰すべし!」

 こうして金剛寺にて都屋吉右衛門(みやこやきちえもん)なる者を喪主としてクジラの葬儀が盛大に執り行われた。
 等覚寺の丈嶽
(じょうがく)が「鱗王院殿法界全果大居士」という大名張りの戒名を付け、墓の碑文を宗紀自ら揮毫(きごう)したという。

[2018年12月末日執筆]
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参考文献はコチラ

※ クジラの墓や塚や碑は各地にあり、様々な逸話が伝えられています。 

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