2.蓮如の子たち

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北陸新幹線延伸開業
1.鈎の陣
2.蓮如の子たち
3.一向一揆蜂起
4.高尾城の戦
高尾城跡周辺(石川県金沢市)

 長享二年(1488)春、富樫政親加賀高尾(たこ・たこう。石川県金沢市)城を改造すると、城内に軍勢を結集した。
「一向宗徒は納税せよ!さもなくば討つ!」
 総勢一万人、数に頼んで滞納連中に脅しをかけたのである。

「富樫のお屋形は本気だ」
 宗徒らはビビった。
 当時すでに蓮如は北陸にはいなかった。
「わしがここにいれば、争いが起こる」
 文明七年(1475)に越前吉崎御坊
(よしざきごぼう。福井県あわら市)に放火された後、山城山科本願寺(やましなほんがんじ。京都市山科区)へ移っていた。
 それでも、八人
(最終的には十三人)いた蓮如の男子のうち、四人までもが加賀にい続けた。
 本泉寺
(ほんせんじ。金沢市)の蓮乗(れんじょう。二男)と蓮悟(れんご。七男)、松岡寺(しょうこうじ。石川県小松市)の蓮綱(れんごう。三男)、光教寺(こうきょうじ。石川県加賀市)の蓮誓(れんせい。四男)である。
 蓮如の子たちは宗徒を集めて話し合った。
「戦はすべきではない」
「その通り。反戦は父の御意思だ」
「下間蓮崇
(しもつまれんそう)は父の側近であったが、一揆を扇動して戦を仕掛けたために追放された」
「父は他宗派との紛争が起こるたびにカネで解決してきた。今回も簡単に解決できる。我らが納税すればすむだけのこと」
 が、武士国人門徒、洲崎慶覚
(すのさきけいかく)・河合宣久(かわいのぶひさ)・石黒正末(いしぐろまさすえ)らは反対した。
「軟弱だ!カネを払えば、敵をつけ上がらせるだけだ!」
「いかにも!平和主義は大切だが、我らが唱えるのは積極的平和主義!平和というものは、平和を脅かす悪党を退治して構築するものだ!」
「その通り!我々は不戦主義者ではない!富樫幸千代
(とがしこうちよ。政親の弟)や石黒光義(いしぐろみつよし)らを討ち、お屋形とも戦ったこともある百戦錬磨軍団なのだ!理不尽なヤカラには断固抵抗すべきだ!」
「上人さまは常々平等主義を唱えられてきた!お屋形も我らも平等のはずではないか!お屋形に武器を取る権利があるとすれば、我らにだってあるはずだ!」
「待て。父のいう平等主義はそういう意味ではない。それではまるで下間蓮崇と同じ考え方ではないか」
「ヤツと一緒にするな!本音と建前を使い分けろと申しているのだ!上人さまは建前は平和主義者であるが、本音では戦を容認している!弱者救済を建前としているが、強者とつるまなければ布教は進まない!」
「否定はしない。それならなおのこと強者にこびるべきだと思わぬか?お屋形は強者だ。加賀守護だけではない。天下一の将軍に最も信頼されている最強の強者なのだ。最強とつるまずに誰とつるむというのか?」
「何が最強だ!お屋形は自分一人では幸千代に勝つことすらできなかった!我らが助勢してやって初めて幸千代を討ち、守護に返り咲くことができたのではないか!にもかかわらず、お屋形は恩を仇
(あだ)で返した!そのような卑怯者に断じて納税する必要はない!」
「滞納には賛成する。戦をせずに抵抗する方法は非暴力不服従だけだ」
「だが、納税しない者は討つというぞ」
「戦を避けようとしても戦になるという」
「どの道、戦になるのであれば、こちらから仕掛けるのみだ!」
「それが下間蓮崇と同じだというのだ」
「まあ、待て。まずは話し合いで解決する方法を考える」
「お屋形が聞く耳持つとは思えぬ!」
守護代
(山川高藤)殿は話が分かる。守護代殿の妹御は一向宗徒の大窪源左衛門(おおくぼげんざいもん)の妻だ。守護代に頼んでみよう」

 こうして一向宗徒らは山川高藤に政親との仲介を依頼した。
 高藤は聞いてくれた。
「恩を仇で返してはなりません。年貢はもう少し待ってあげましょう。武士は食わねど高楊枝
(たかようじ)とも申すではありませんか」
 政親を説得するが、しきれなかった。
「納税せぬ者は討てというのは将軍の主命である。主命とは聞かねばならぬものだ。なんじも俺の主命を聞け。腹が減っては戦はできぬ」

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